MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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Interpreting 最新号

2010年03月28日 | 通訳研究

雑誌 Interpreting Vol.12 No.2 (2010)は、編集部からは何の断りもないが、コミュニティ通訳の特集号である。asylum関連の通訳と法廷通訳に関する論文が各2編収録されている。
Patients as interpreters: Foreign language interpreting at the Friedrichsberg Asylum in Hamburg in the early 1900s (Stefan Wulf and Heinz-Peter Schmiedebach) 
The cooperative courtroom: A case study of interpreting gone wrong (Bodil Martinsen and Friedel Dubslaff)
Interpreting reported speech in witnesses’ evidence (Jieun Lee)
“That is not necessary for you to know!”: Negotiation of participation status of unaccompanied children in interpreter-mediated asylum hearings (Olga Keselman, Ann-Christin Cederborg and Per Linell)
最初の論文は20世紀初頭に東欧からアメリカに移住した者の中で、精神疾患があるとして戻された"insane re-migrants"の通訳を、他ならぬそのre-migrantsが行ったという話である。最後の論文はasylum seekerの子供の権利を通訳者が抑圧するケースを扱っている。アブストラクトはここで読める。


通詞カリヤシン

2010年03月26日 | 雑想

北海道開拓使『蝦夷風俗彙纂前編四』という、明治15年の本に「通詞カリヤシン」という項目を設けて短い記述がある。

「唐太嶋の夷人ども山丹オロツコ人へ対し辞は皆々は通せず。中には通ずるものあるよし。宗谷は夷人カリヤシンというふもの。山丹に行。年々山丹人に従ひ唐太へ来り。通辞をするよし。当時は右カリヤシンは山丹の人になれるよし。」

言葉の解説が必要だろう。唐太嶋は樺太のこと。夷人は未開人や野蛮人、または外国人のこと。山丹は山丹人(沿海州の民族)。明治初年に開拓使が調査したのであろう。言葉がなかなか通じなかったが、そこにカリヤシンという通訳者がいたというだけの話であるが、北辺の地にも当然異文化接触はあり、その媒介者もいたわけだ。江戸時代から山丹人(沿海州の民族)とアイヌとの樺太(サハリン)での交易は行われていたようだ。引用した文章は変体仮名で書かれていて、解読に30分を要したのであった

明日は翻訳研究分科会です。詳しくはこちら


日本初の女性通訳者?

2010年03月19日 | 雑想
明日は親戚の法事があり、日帰りの予定で会津若松へ。

日本初の女性通訳者という人の本がある。古屋登世子 (1962) 『女の肖像』(アサヒ芸能出版)。古書価がえらく高い。波瀾万丈の人生だったようで、父は結城無二三(ゆうきむにぞう)という新撰組で近藤勇の客分になった人らしい。古屋英語学園(あるいは古屋女子英語塾とも)を設立したが、親戚に乗っ取られたあげく精神病院に入れられ、後に霊能者として活躍したという。わずかにライオンズ伝というサイトに紹介されているのみ。

『英語の30秒スピーチ』

2010年03月19日 | 


小坂貴志さんから『英語の30秒スピーチ』(研究社)を頂く。相変わらず精力的に活躍されているようだ。就職も決まったようで何よりです。自己紹介からパーティー、式、歓迎、送別、シンポジウムの司会、プレゼン、授業/ワークショップ、会議など、状況ごとのサンプルスピーチが修められている。Baby Showerという慣習があるのをはじめて知った。僕自身はできれば英語でスピーチなどするような状況になりたくないが、若い人はそうも言っていられないから、本書は役に立つだろう。もちろんCDもついている。立教大学のヒース・ローズさんとの共著。

森田思軒『死刑前の六時間』

2010年03月16日 | 


写真は森田思軒訳『死刑前の六時間(明治文学名著全集第六篇)』(東京堂)。大正15年の本で、「クラウド」「死刑前の六時間」「探偵ユーベル」を収録し、木村毅による解題がついている。木村毅に『明治文学展望』という本があり、その中に「森田思軒とその翻訳」という文章があるのだが、これが上記「明治文学名著全集」の解題であったというので、探して入手した。「阪急線岡町本通」某古書店の古びたラベルが貼ってあるが、入手したのは沖縄県宜野湾市の古書店からである。何だかこの本の辿った数奇な運命を思わせる。また、森田思軒は明治30年に死去すると、すぐに忘れ去られてしまったようなことが言われているが、30年後の大正15年に名著全集の1冊に入る程度には記憶されていたことが分かる。
さて、未読だった「クラウド」を読んでみた。ユーゴー原作のこの小説、実はかなり変な話なのだ。盗みで監獄に入れられたクラウドが看守を殺害するのだが、その理由というのが、大食らいの自分に食べ物を分けてくれる少年囚人と引き裂かれたから、というのである。その程度で殺すかね。同性愛的感情があったわけでもなさそうだし、どうも納得しかねる。だから末尾の死刑廃止論の熱弁もなんだかそぐわない感じがする。
それはさておき、思軒にはあまり欧文脈は見られないという人がいるが、実際はそうでもない。確かに全体としては漢文脈が強い(漢文崩し)文体ではあるが、関係代名詞の箇所に「ところの」を充てたり、「看守をしてクラウドの状相を熟視せしめん」のような使役構文、さらには「己の手に法律を執りて之を行はねばならぬ」のような直訳があちこちに見られる。「造化が一個人に賦したる所のものは、願くば社会をして之を成就せしめたし」などは典型的な欧文脈だろう。

翻訳者 古井由吉

2010年03月12日 | 雑想

古井由吉の作品は初期からずっと読んでいたのだが、いつの頃からか、忙しさにかまけて読まなくなって久しい。(「杳子」とか「先導獣の話」とか、実によかった。)読まないくせにぽつぽつと新刊を買っては積ん読状態が続いている。ところで古井は翻訳者でもあった。ロベルト・ムージルの『静かなヴェロニカの誘惑』、『愛の完成』 、ヘルマン・ブロッホの『誘惑者』などを訳している。そしてエッセイで翻訳について何度か書いている。作家が翻訳をすることは珍しいことでもなく、作家による翻訳論(エッセイ)も多いのだが、古井のそれはひと味違うような気がする。わかりやすい所を引用すると、たとえば、

「一頁ごとに、一文章ごとに、いや、ほとんど一言一句に追いつめられ、立往生させられたものだ。訳文の体に格別の注文があったわけではない。入り組んだ原文を、日本語としてどうにか読者の忍耐に範囲内で読みたどれるよう、束ね直すことだけで精一杯になる。とにかく伝わるか、まるで伝わらぬか、そのどちらかであって中間はないという隘路ものべつ渡らされた。それを理不尽として憤る、これこそ理不尽な反応もしばしば起ったが、辛抱するうちに、それでも、物を書くことについて多少悟らされるところはあった。できるかぎり訳文の平明さをこころがけるうちに、複雑な事柄に関する平明さはそれ自体が相応の複雑さをあらわす、でなければ紛い物になる、また、拡散してしまった平明さは平明にもならない、というようなことを。」(「中間報告ひとつ」)

こういうところに翻訳プロセスについてのすぐれた内省がある。「日本翻訳論アンソロジー」の現代編を仮に作るとすれば是非とも収録したい著者だ。しかし解題は書けそうにない。


アンソニー・ピム 『翻訳理論の探求』 明日発売

2010年03月10日 | 
 

MIISの武田珂代子さんが翻訳したアンソニー・ピム『翻訳理論の探求』(みすず書房)が明日発売される。詳しくはみすず書房のサイトの紹介を見ていただきたいが、一言で言えば、翻訳理論の重要なパラダイムとそれに関連する理論を分析した本だ。いま、国際的な翻訳研究の場で何が問題になっているのかを知ることができるので、関心のある人は手にとって見てほしい。ここに武田さんによるピムへのインタビューがある。原著はExploring Translation Theories (Routledge)。これについてはまた紹介します。

東京も雪

2010年03月09日 | 雑想


夜に入って東京も雪になりました。3月には必ず降ります。それで写真も雪のお茶の水橋。多分明治末から大正初期の撮影だろう。というのは、中心に見える尖塔を従えたニコライ堂は大正12年の関東大震災で倒壊するからだ。橋の下の流れは今こそ神田川だが、昔は伊達堀と呼ばれていたようだ。それまでは水道橋あたりから日本橋川に流れていたのを、幕府が伊達藩に命じてこの「運河」の工事をさせたのである。

Forum 最新号

2010年03月08日 | 通訳・翻訳研究



しばらく前にKSCIのForum, Vol. 7 No.2 (2009)が着いていたのだった。この号は翻訳の比率が大きくなっている。タイトルを見る限りではいくつか読んでみたいものがある。
Sommaire/Contents
Nizar Qabbani's "Balquis": Translation into English with an introduction (Yasser K. R. Aman)
Globalization and Boudaries in Translators' and Interpreters' Professional Organizations (Graciela Calderon)
Numbers in Simultaneous Interpreting: An experimental study (Andrew Kay-fan Cheung)
Translation in Enhancing National Brand (Choi Jungwha)
Cinquante ans d'interpretation parlementaire (Jean Delisle)
Les enjeux du debat sur l'(in)traduisibilite de la metaphore (Kim Hyeon-ju)
Revisng the Target Text Independently of the Source Text (Kim Ryonhee)
The Impact of Non-native English on Information Transfer in Simultaneous intepretation (Ingrid kurz & Elvira Basel)
Style Shift in Korean Teledramas: A case for the careful consideration of speech style in translation (Jeansue Mueller, Charles Mueller)
Trajectory of Vladimir Nabokov's Literary Translation Practices (Zhanna Yablokova)
Influence of Ideology, Poetics, Patronage and the Prodessional on Rewriting Vanity Fair into Chinese Terms (Yand Shizhuo, Yang Wenrui)

写真はニコライ堂つながりで、昔のニコライ堂の遠望。お分かりでしょうか。九段坂の上から神保町を見下ろし、彼方に駿河台の森とニコライ堂が見えます。


In Other Words...

2010年03月07日 | 翻訳研究

In Other Words... というとMona Bakerの有名なテキストを思い出すが、これはタイトルに[ ... ]がついた雑誌だ。1月の立命館の会議のとき、サンプルコピーが展示されていた。サブタイトルがThe Journal for Literary Translators で、University of East AngliaのThe British Centre for Literary Translationが出している。立命館でも発表していたValerie Henitiukさんが編集しているようだ。名刺をもらったので、メールしたらNo.32(2008 Winter)とNo.33 (2009 Summer)を送ってくれた。
No.32の方が紹介しやすいのでこちらにするが、まずアラビア語の方言やスラングを創造的に翻訳する可能性について、ある種のポルトガル語の話し言葉を英訳すると、リスボンの住民がロンドンのイーストエンド住民やバルチモア市民が話しているようになってしまう問題、エスペラントへの翻訳の問題、オリジナルの言語を読めない読者に向けて翻訳するのはやめようという「挑発的」な提言、文学作品の意味と含意を充分に伝えるために翻訳者は言語の他にどのていど直接的な文化の知識を必要とするのかという問題、ベンガル語の児童文学を翻訳するさいに
、教訓主義を避けて読者がそこから理解と喜びを得るために、翻訳者は何をすべきか、というようなテーマが取り上げられている。つまり、内容はかなり実務的なのだ。いわゆるTranslation Studiesの分野の参考文献は一切挙げられていない。というか文献指示のない文章がほとんどである。ただし書評の一部には翻訳研究の本が取り上げられている。ゲーテのファウストの新訳(英訳)についての書評もある。なぜ新訳なのかについては日本とは事情が違うようだ。

写真は2日前のニコライ堂と明治大学のリバティタワー。以前ここにあったビルが解体されてこの角度から見えるようになったのだが、新しいビルの工事が始まっていて、この2ショットがこの見られるのは短い間だけだ。