お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■
Facebookはこちらです。
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■
Facebookはこちらです。
■昨日は中野から新井薬師、哲学堂公園、水道タンク経由で江古田まで、今日は西荻窪から一気に石神井公園まで歩く。いずれも中央線から西武新宿線を突っ切って、西武池袋線の駅に至るコースだ。距離はそれほどでもなく、寄り道しなければどちらも1時間ほどで着いてしまう。30数年前石神井公園に住んでいたときはなかった北口から池袋行きにのった(はず)が、なんだか別のルートで着いてしまって改札口を出られず、精算するはめになった。まるでウラシマのようでありました。(写真は石神井公園)
■ジャック・L・チョーカー『変容風の吹くとき』(角川文庫・絶版)というSFの翻訳がある。ごく一部(こことかここ)で「全編直訳小説」として有名なので買ってみた。どんなのかというと、
「それでも彼女として思案せずにはいられなかったことに、どれほど安易(たやす)く、そんな装束は得られるのだろうか。みんな、見た感じ、工場生産されたらしく、それは確実なところだけれど、ぴったりフィットするのだろう、おそらくは。」
このあたりは原文の情報提示順序どおりに訳そうとしたらしい。それは基本的には間違っているわけではない。問題はその訳し方が下手なことだろう。訳者は作品全体をこの調子で訳しているのだが、そこには何か理由があったはずだ。しかし作品の内容を見る限り、このような訳し方をする根拠は見あたらないのである。
■ 『時事英語学研究 Current English Studies』の最新号(44号)が送られてきたが、鍋島さんが「批判的ディスコース分析と認知言語学との接点」という論文を書いている。サブタイトルが「認知メタファー理論のCDAへの応用」とあるように、認知言語学と批判的談話分析とをメタファー理論で結びつけよう(本人は相互補完と言っているが)という面白い内容だ。個人的には決められた領域の中でコツコツと掘り進む形の研究よりも、こういう何かと何かを関連づけるとか統合するという思考の方が好きである。
鍋島さんの論文と直接関連はないのだが、翻訳研究でもメタファーの翻訳は以前から大きなテーマであり、最近は認知言語学的アプローチが出てきている。Zouhair Maalejによると、存在論的メタファー(たとえばコンテナ・メタファー)を使った表現は構造的メタファーを使ったものよりも(メタファーとして)literal訳しやすいという。前者はソース・ドメインからターゲット・ドメインへの「類似写像条件」を満たす。しかし、構造的メタファーの方は「異なる写像条件」の場合、literalには訳せるのだがあいまいでわかりにくいものになるというのだ。ここには汎文化的・汎人間的な基礎経験と、文化固有の概念配置の問題が横たわっているようだ。この点はCognitive Linguistics and Poetics of Translationを書いたElzbieta Tabakowskaの議論によく似ている。ところで、Tabakowskaはimagery(ラネカーの言う、ある状況を別のやりかたで構築する能力)を不変項にして翻訳的等価を説明しようとするのだが、どうも古い「三角図式」に逆戻りしているような気がしてならない。認知言語学的翻訳研究はまだまだ少ないので、このあたりはぜひ認知言語学に詳しい人にやってもらいたいと思う。
■古書店に頼んでおいた柳田泉『明治初期翻訳文学の研究』(春秋社)が届いた。明治時代の翻訳研究の定番だ。通訳研究から翻訳研究にシフトしていく計画なのでそろえておく必要がある。この本は昭和10年に出た本の増補改訂版で、増刷されなかったとすれば1000部しか存在しないことになる。どおりで高いわけだ(が、入手は容易)。二葉亭四迷の名高い「あひびき」の翻訳が、それ以前あるいは同時代の周密訳がなければ成立しなかったろうという評価は頷ける。
■タカビーのお嬢様はなぜ「おほほほほ・・・」と高笑いするのか。(日本語訳)こういうのも翻訳研究に関係あるかもしれん。
■『DVDで見る・知る・体験する!通訳&通訳ガイドの仕事』(イカロス出版)を頂く。毎年出ている『通訳者・翻訳者になる本』とは別ものかも知れない。特徴は「DVDで見て、聞いて、体験する実践講座」で、その通訳訓練編は日本通訳学会の田中深雪、鶴田知佳子、稲生衣代、河原清志の4人が執筆している。(執筆・訓練指導:日本通訳学会・通訳教育分科会、とある。)「こういうものはやはり通訳学会のメンバーに」という方向に向けての好ましい一歩が踏み出された。
■吉武好孝(1974)『近代文学の中の西欧-近代日本翻案史-』(教育出版センター)。
サブタイトルにあるように翻案史の研究。日本近代のまとまった翻案研究はたぶんこれとJ. Scott MillerのAdaptations of Western Literature in Meiji Japan (Palgrave)だけか。Millerもそうだったが、吉武も「翻案という分野は、日本文学の近代化の過程においてもっとも大きな役割を果たしてきている」と、翻案の重要性を強調している。ドナルド・キーンもまた、「ヨーロッパ文学の翻訳よりさらに一歩こなれた「翻案」は、日本近代の発展に、翻訳よりもっと大きな意義を持ったと思われる」と書いている(『日本文学の歴史10』(中央公論社))が、いずれも過大評価だろう。3人とも如何なる意味で翻案が大きな役割を果たしたか分析していないし、翻訳と翻案についての理論的な考察に欠ける。Even-Zoharのいうliterary polysystemの中では翻案はやはり周辺的な位置にあると思う。
■久しぶりに通訳研究の論文を紹介する。やや古いものだが別の分野の論文集に入っているので目につきにくいレアな論文と言っていい。
Ian Mason (1990) The interpreter as listeniner: an observation of response in the oral mode of translating. In: McGregor, G. & R. S. White (Ed.) (1990) Reception and Response: Hearer Creativity and the Analysis of Spoken and Written Text. London and New York: Routledge. 145-159.
Masonの主張はだいたい次のように要約できる。
・聞き手としての同時通訳者はTT outputの基礎となるtext-world modelを作り上げる。
・このために行う推論は、1)co-textual cueと 2)貯蔵された世界知識の関連するパターンに依存する。Masonは関連性理論には言及していないが、このあたりはかなり近い。あるいは状況モデルやメンタルモデルのようなものを考えていると言ってもいい。
・こうした聴解、推論プロセスの証拠は、通訳者が 1)最初の反応をためらいと共に訂正する場合(umなどが入ったりする)2)non-explicitなSTに対しexplicitな反応(訳出)をする3)ある種の起点スピーチの概念や表現に比喩的な表現で対応することからうかがい知ることができるという。つまり、Masonは以下のような仮説を提示しているのだ。
「通訳者の訳出は聴取プロセスの証拠を提示する可能性がある。また同一のテキストからの様々な訳出は、異なる聞き手によって異なるtext-world modelが作られることの証拠となるだろう。」
たとえばL'autre difficulte tient au retard quantitatif.という原文に対して、
a) The other difficulty is ...concerns quantitative matters
b) The second difficulty is the amount...of ground that we have to make up in terms of R and D spending.
の2つの訳出がある場合、b)は新しい入力を自分が作ったテキストモデル全体に関連させて、リンクを明示化しようとしていると読み取るのである。
また、聞き手としての(同時)通訳者の反応は、相手との意味のやりとりをする相互作用的反応ではなく、sympathetic impersonation共感的人格化の反応であるという。言い換えると、「私は聴衆に、スピーカーのtext-worldの忠実なバージョンを伝達しようとする。それは通訳者自身の聴解プロセスを通じて媒介される。」というものだ。
・つまり同時通訳は会話的相互作用とは異なる聴解プロセスを見せてくれる。McGregor (1986, 59)がGoffmanに基づいて提案した聞き手のカテゴリーで言えば、同時通訳者はある意味で、話してが直接語りかけない「ratified participant是認された参与者」である。しかしまた別の意味では「overhearer」である。スピーチの状況から物理的に孤立し、評価的聴取に関与できるという存在でもあるのだ。(もちろん同時通訳者といえどもresponsive listeningは行うのではあるが。)
Masonが実際にやっているのは、強いて言えば<徴候論的な発話解釈>なのであるが、同時通訳へのアプローチとして大変面白いし、参考になる。