MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

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カラスヤサトシ『強風記』に期待

2010年02月28日 | 雑想
 
カラスヤサトシ『強風記~小説家烏山サトシ』が『まんがタイムスペシャル』(芳文社)という、ちょっと買いにくい雑誌ではじまった。ひさびさのストーリーマンガとして期待したい。背景や服装から判断するに時代は大正らしい。(芥川龍之介似のライバルも出てくるし)。『小説宝石』(光文社)では長島有漫画化計画の第2弾として「夕子ちゃんの近道」を全3回の予定で連載している。これは原作つきだが、面白い世界を作り上げている。文学づいているようだが、本来こういう資質なのだと思う。

『手話通訳を学ぶ人の「手話通訳学」入門』

2010年02月27日 | 通訳研究
金城学院大学の林智樹先生から『手話通訳を学ぶ人の「手話通訳学」入門』(クリエイツかもがわ)を御恵投いただいた。林智樹(著)一般社団法人日本手話通訳士協会(監修)となっている。同協会の小椋英子会長の監修のことばによれば、本書は手話通訳を学ぶための入門書であると同時に、手話通訳を学問研究の対象として位置づけ、「手話通訳学」として掘り下げる専門書でもある。林先生の40余年にわたる手話通訳研究の成果と課題を体系的かつ簡潔に整理したもので、実務者にとっては知識の再確認と実践検証のために、手話通訳を学ぶ人にとっては手話通訳がどういうものであるかを体系的に学ぶことができる。「思想・基本理念・概念」、「手話通訳論」、「手話通訳者の業務」、「手話通訳者の教育・養成」、「手話通訳制度と手話通訳の実際」、「手話通訳運動」の全6章からなり、各章は細かい項目に分かれて読みやすくなっている。巻末には参考文献と索引がある。
音声通訳も手話通訳も、それぞれ課題を抱えているが、そのいずれにも社会的にしか解決できない課題と理論的に解決するしかない課題がある。しかし、理論的研究が社会的課題の解決に資することはありうると思う。その意味で、日本初の手話通訳学の本が出たことを喜びたい。

Target 最新号

2010年02月26日 | Weblog

 
Target 21:2 (2009)が届いていたのを忘れていた。収録論文のabstractsはリンク先をごらん下さい。この号では20周年ということでGideon Touryが巻頭に回顧と分析を書いている。あとは異文化語用論的アプローチ、翻訳評価の機能的アプローチ、マオリのテクストの翻訳についてのポストコロニアル研究、地域語などの翻訳、奴隷制度廃止文学の翻訳についての分析である。Forumは特に新味はないと思うが。

これもすっかり忘れていた本で、Baker, M. (Ed.) (2010) Critical Readings in Translation Studies. (Routledge)。25編の論文が収録されているが、restrospectiveよりぱprospectiveな方針を採ったと言っている。内容はリンク先を参照。Indra Levyの日本近代文学と翻訳を扱った論文があるが、これはSirens of the Waetern Shore: The Waeternesque Femme Fatale, Translation, and Vernaculat Style in Modern Japanese Literatureという本の一部で、ちょうど二葉亭四迷を扱っている箇所が収録されている。この本はまもなくペーパーバックで発売される予定で、現在Amazonで予約受付中。ただし、ざっとみたところ、内容的にはぬるい。


小宮豊隆『演劇論叢』について

2010年02月25日 | 翻訳研究



2月19日に「出所不明の論文」を書いたが、その後コメント欄で教えてくれた人がいて(ありがたいことです。どなたでしょうか?)、『演劇論叢』という本に載っているとのこと。古書店にあったので取り寄せてみた。この本自体は昭和12年刊であるが、「戯曲の翻訳」は大正4年の発表のようだ。700頁近い大冊だが、「戯曲の翻訳」は6頁。東の本が引用しているのは全体の約半分である。比べてみると、微妙に句読点の打ち方や語句(「およそ」が「凡そ」だったり)が違う。しかし、その点では東=河盛=別宮であることもわかった。ただし、この三者が初出から引用して、小宮が本にまとめる際に変えたということも考えられるから、これだけでは何とも言えない。
翻訳劇に関する文章がかなり入っていて、翻訳自体についての言及も多い。上田敏、森鴎外、森田草平、島村抱月などの戯曲翻訳を舌鋒鋭く批判しているが、「エレクトラ」を日本初演した松居松葉に対する批評はすさまじい。(「私は初め松居松葉氏の訳本を読んだとき、訳者は、芸術の翫賞といふ事には全然無力(イムポーテンツ)であるといふ事を知つた」、「この訳者は「言葉」といふ事に殆ど何の神経をも持つていない」、「訳者は、言葉に対する敏感を持つてゐないといふよりも前に、外国語に対する知識をまるで持つていない」など。)反対に小山内薫に自分が訳した「父」を批判されたことに対しては、徹底して自分の翻訳を正当化している。上田敏への批判はここで出てくる。ただ全体に、小宮の翻訳についての考え方はわかりにくいのである。戯曲翻訳に興味のある人は読んでみるといいかもしれない。1,800円ぐらいで買える。
初出はいぜんとしてわからない。小宮が奉職していた東北大学と学習院大学の図書館にも著作目録はないようだ。あとは大正4年の演劇関係の雑誌とかを調べる手があるが、そこまでやることもないだろう。長く気にかかっていたことがようやく半分ほど解決したのであった。


グループメソッド

2010年02月24日 | 通訳・翻訳研究

日スーパーで買い物をして小石川の商店街を歩いていたら、どこかで見たような人が歩いてくる。似てるけど違うよな、などと思っていたら(マスクをしていたにもかかわらず)向こうが気づいた。卒業した院生のSさんなのだが、やはりもと院生のWさんと電話の最中で、僕まで電話にでるはめになったのだった。



保町のあるビルの中に倉庫のような古書店があり、そこで、浦口文治(1927)『グループ メソッド:外国文学研究の近道』(文化生活研究会)という本を500円で入手した。英語教育史では有名な本で、復刻版も出ているが1万円を超す。古書も通常それぐらいはする。いわゆる「直読直解」法の流れをくむ方法であり、普通の訳読とは違って、英語の語順(句順、節順)通りに訳す点が特徴なのだ。同時通訳の「順送りの訳」とも似ているので以前から関心はあった。まあ、主眼は理解の方法なのだろうと思っていたのだが、実際に見てみると、読み方(ポーズの入れ方)、理解の仕方に加えて、翻訳の方法でもあるという。俄然おもしろいことになるわけだが、実例を見て、これはだめだと思った。浦口はたとえば、次のような原文について、グループメソッドによる翻訳とそれ以外の方法による翻訳を比較している。

Krogstat: The law takes no account of motives.
Nora: Then it must be a very bad law.
Krogstat: Bad or not, if I produce this document in court, you will be condemned according to law.

実際はもっと続くのだが、ここまでにする。以下、グループメソッドによる訳とそれ以外の訳を並べてみる。

(グループ式訳)
「今の法律が頓着しないのは動機ですよ。」
「それぢやきつとひどい悪法律ですわね。」
「わるからうとなからうと、もし私が此書類提出を法廷でやれば、あなたの処罰される標準は法律ですよ。」

(島村抱月訳)
「何のためだらうが、そんな事は法律は関係しません。」
「それぢや其の法律は大間違の法律です。」
「間違つて居やうが居まいが、此証書を裁判所へ持ち出せば、あなたは法律の罪人におなんなさらなくちやならない。」

(森鴎外訳)
「いや、法律は動機を問はないものです。」
「そんな法律なら極悪い法律ですわ。」
「悪い法律だらうが、好い法律だらうが、わたしがこの一枚の証書を法廷に出せば、あなたが法律に依つて処分せられますよ。」

以下、あと3人の訳例が続くがいずれも似たようなものなので省略する。言うまでもないと思うが、抱月と鴎外の訳の方が優れている。浦口はグループ式訳がいかに優れているかをさまざまな理由(背景とか主張が鮮明になるとか)を挙げて力説しているが、すでに当時から批判はあったようで、その辺りは現在の視点から見た批判も含めて、庭野吉弘(2008)『日本英学史叙説』(研究社)に詳しい。しかし、困ったことに現在の批判もあまり理論的なものではないのだ。第一に指摘すべきなのは、グループメソッドによる訳が、情報構造(焦点など)を無視していることだろう。抱月や鴎外の訳は無意識のうちに原文の情報構造を歪曲しないような訳になっているのだ。


ひだまりの猫

2010年02月20日 | 雑想

頭痛のきざしがあるのに2万歩歩いてしまい、やはり微頭痛が取れないため、今日撮った写真で穴埋め。暖かかったので遭遇率も高かった。裏の家の屋根にいたのと、谷中銀座にいた猫。


出所不明の論文

2010年02月19日 | 雑想
論文の出典がわからないというのも困ったものである。引用するにも「初出不詳、…に引用」とせざるをえず、みっともないのである。小宮豊隆「戯曲の翻訳」という文章があるが、これがわからない。最初に見たのは、別宮貞徳『英文の翻訳(スタンダード英語講座[1])』(大修館書店)である。この本は14編の翻訳論の抜粋を収録しているが、すべて出典を書いていない。それでも他の13編は簡単にわかるのだが、小宮のものだけわからなかった。もうひとつ、河盛好蔵(編)『翻訳文学(近代文学鑑賞講座21)』(角川書店)の冒頭の論文、河盛好蔵「翻訳論」にも引用されているが、やはり出典を明らかにしていない。(それどころか、河盛の論文自体、書き下ろしではなく他で発表したのを再録したものであることが判明した。この「講座」はどうもすべてそうらしい。ちょっと驚くべきことである。)ところで、大正5年発行の、東草水『翻訳の仕方と名家翻訳振』(実業の日本社)という本があり、その中にやはり小宮のこの文章が引用されている。ここでも出典は明らかではない。三者を対照してみると、別宮本、河盛論文のいずれもその収録範囲は東草水の引用を超えないことがわかった。そうなると、ネタ元は東の本という疑いも出てくる。また「戯曲の翻訳」というタイトル自体もあやしくなる。東が出所を示さなかったことは、本の性質上やむを得ないかもしれないが、後の二著は少なくとも何か出所を記載すべきだったろう。
 小宮豊隆は漱石の弟子で、『三四郎』のモデルに擬せられた人であるが、今ではほとんど忘れられた存在であり、著作目録の類もなさそうだ。

『「国語」という呪縛』

2010年02月17日 | 雑想



川口良・角田史幸(2010)『「国語」という呪縛-国語から日本語へ、そして○○語へ』(吉川弘文館)が面白かった。タイトルだけなら、ああまたあの手の本か、と買わないところなのだが、たまたま本屋で手に取ってみたら、「国語と和語をめぐって」という章が目についた。たとえば、
「どんなに時代をさかのぼっても、日本語の実態として見いだされるのは、この漢語と和語、和語と漢語との相互作用、それらの相互変容、そしてそれによる両者の混合と混血でしかありません。」
そして、純粋な和語(大和ことば)の探求は「まったく虚妄」だと言う。その理由は(1)何の資料もないので原倭語がどのようなものであったか、そもそも存在したのかどうかもわからない、(2) 原倭語自体が多種の言語の混合・混血であると推定されるからである。「混合」とか「相互作用」というのは、たとえば「いわばしる」という和語は「いわ」と「はしる」による造語だが、それが結合するためには合成力が必要である。それは端的に言えば漢字の造語力である、つまり漢語の影響に浸透された和語であるというわけだ。この論理(仮説)は少し弱く、しかも語彙に限定されてはいるが、面白い。シンタックスの側面については、訓読とピジン・クレオール語との類似性を指摘する高津孝が、「文法的簡略化=助詞、助動詞の使用の減少、機能語の単純化」を挙げている。結局、日本語は昔から広い意味で「和漢混淆文」(その現代的形態が漢字かな交じり文)なのだが、和漢の比率の違いによって漢文読み下し風(強い漢文脈)から漢語の少ない和文脈の強い文章になるということだろう。
問題は明治以降、ここに欧文脈が加わったという点だ。大量の語彙はとりあえず漢字の造語力を利用して翻訳したが、語法や統語法はどうであったのか。言語接触(主に翻訳)によって語法やシンタックスはどのような変容を被ったのか。ここに翻訳理論上の問題があると思う。


第12回翻訳研究分科会のお知らせ

2010年02月16日 | 催し

12 回翻訳研究分科会を3月27日にやります。すでに学会のサイトでは告知しましたがこちらでもお知らせ。

日時: 2010年3月27日(土)13:30-
場所: 立教大学池袋キャンパス 太刀川記念館1階 第1・2会議室
発表者: 岸正樹氏(翻訳家、河合塾講師)
テーマ: J-J. ルセルクル『言葉の暴力』を読む

要旨:ソシュールとチョムスキーに挑む「反言語学」、「よけいなもの」の言語学とは何か。フロイトの「無意識」を出発点とし、ラカンの構造主義言語論とドゥルーズ・ガタリのポスト構造主義言語論を媒介にして練り上げられたJ-J・ルセルクルの「よけいなもの」概念の、その意義を考えてみたい。そしてこの「よけいなもの」が、ポスト・コロニアリズムの今日、L・ヴェヌーティのトランスレーション・スタディーズにおいていかに「創造的に誤読」されているかをたどってみたい。
(分科会担当者注:あらかじめ
J-J. ルセルクル(2008)『言葉の暴力 -「よけいなもの」の言語学』(法政大学出版局)をお読みになっているとわかりやすいかもしれません。)

[参加費] 会員:無料  非会員:1,000円
[場所]
アクセスマップキャンパスマップ
[出席の連絡] 3月25日(木)までに水野(a-mizuno(a)fa2.so-net.ne.jp)までお願いします。((a)をアットマークに変えてください。)とはいえ、当日ふらりといらっしゃっても結構です。


「昇曙夢の時代があった」

2010年02月15日 | 翻訳研究

昇曙夢(のぼりしょむ)と言っても知る人は少ないと思うが、二葉亭四迷亡き後、ロシア文学紹介を引き継いだ翻訳者である。中村白葉や米川正夫は次の世代になる。昇について入手しやすい本が2冊ある。和田芳英(1991)『ロシア文学者昇曙夢&芥川龍之介論考』(和泉書院)と田代俊一郎(2009)『原郷の奄美-ロシア文学者昇曙夢とその時代』(書肆侃侃房)。和田の本は研究書で田代のは伝記だ。先の宇野浩二の項で触れたように、昇の影響力は現在からは想像するのが難しいぐらいに圧倒的だったようだ。まさしく「昇曙夢の時代があった」(武者小路実篤)のである。和田は、「ひとりの翻訳家の仕事が、同時代の多くの作家(文学者)や作家予備軍、或いは無名の青年達に「芳烈なる新鮮味」(山崎斌)で迎えられ、「思ひ出深い愛読書」(豊島与志雄)となり、第一等の「文学の教科書」(谷崎精二)とまで言わしめた事例をわが国の近代文学史上、私は他に知らない」と書いている。しかし昇に関する研究は少ない。ましてその翻訳の研究となるとほとんどなかったのではないか。上記二著も翻訳自体の分析はない。
 昇曙夢は1953年に亡くなっているが、葬儀の際には鳩山一郎元首相や藤山愛一郎外務大臣からの弔電が届いている。晩年に奄美大島の日本復帰運動に尽力したためだろう。本名は直隆で、雅号の曙夢は内村鑑三の訳詩集『愛吟』冒頭の詩句から取られている。