お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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Facebookはこちらです。
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■数日前、中国から小平や毛沢東の大きな切手を貼った郵便物が届いたのでいったい何事かと思ったらAmazonの中古で注文した本だった。中身はIngram, J. C. L. (2007) Neurolinguistics: An Introduction to Spoken Language Processing and its Disorders (Cambridge Universiry Press)。(なか見検索ができる。)どうみても新品である。こういう教科書的な概説書は定期的に買うことで、自分の手持ちの知識が古くなってしまうのを防ぐのに役立つ。著者や編者の力量に応じてもちろん当たり外れはあるが、これは当たりだったようだ。NeurolinguisticsとPsycholinguisticsの境目はしばしばあいまいで、どう違うのか分かりにくいが、Neurolinguisticsのほうは言語に関わる疾患も扱い、それに伴い事象関連電位や機能的MRIなどの脳画像法を使うことが多い。この本はサブタイトルにもあるように話し言葉だけを取り上げており、また言語産出の面は扱っていない。しかし、新しいだけあって特に語彙の意味論や文処理の内容が充実している。語彙の意味に関しては意味ネットワークという考え方(コネクショニスト)を採用している。これは意味カテゴリーのプライミング効果や疾患の説明に有効だからだ。もう一つ重要なのは、当然といえば当然だがオンラインの文処理における作動記憶の役割が重視されていることである。さらに最後の章では文脈における言語理解-談話処理が取り上げられ、Griceや関連性理論への言及もある。10年前のBrown, C.M. and Hogoort, P. (1999) The Neurocognition of Language (Oxford Universiry Press)にはGriceもSperber and Wilsonも出てこない。(ちなみにGibsonの解析モデルも出てこない。)この辺りは新しい展開と言っていいだろう。ただし談話処理と作動記憶を結びつけるような議論はない。しかし神経言語心理学の比較的新しい知見を得るためにはいい本だと思う。
■Mary Snell-Hornbyが2006年に出したThe Turns of Translation Studies (John Benjamins)の中できれまくっていて面白い。最終章のThe U-turns - back to square one?という節で、2001年のEST第3回大会の内容と若い世代が'Back to Linguistics'という傾向を示したことに対して「振り子が過去に揺り戻している」と述べ、最近の翻訳研究でも同じような傾向が見られることを指摘して、せっかく言語学から解放されたというのに、これでは「退行」だと批判する。さらに、'return to linguistics'を支持する(特に英語圏の)連中は機能的モデル(ドイツ語圏のskopos理論などを指す)を無視しているとし、Lefevreの言葉を借りて、'reinventing the wheel and not reading what other people have written' というのは「小児病」だと毒づいている。さらにナチス時代のドイツ語への翻訳を取り上げたSturgeの博士論文が機能的翻訳理論やskopos理論を脚注でしか言及しておらず、あまつさえ「関心がない」と言ったことに腹を立て、Kollerの1995年の論文に対しても、機能主義的アプローチへの言及はジェスチャーにすぎないと八つ当たりしている。…というなかなか面白い読み物になっている。
■しかし、Linguistig Re-turnにはそれなりの根拠があると思う。翻訳研究が目標言語志向を強め、等価などの言語学的議論から「解放」されたと言っても、それはただ問題に蓋をして、理論的追求をあきらめただけのことではないのか。僕などはたんにその揺り戻しが来ているだけだろうと思うが。skopos理論や社会(学)的翻訳研究は今後も翻訳研究の中に場所を占め続けると思うが、主流としてではないだろう。
■YouTubeの動画が貼り付けられるようになっていたみたいなのでテスト。
Yves Gambier:The development of doctoral programs in Translation Studies. Part 1
これでいいみたいですね。Part 2以降はYouTubeのサイトで見て下さい。Gambierさんには何年前だったか(7-8年ぐらい前かな)、ベルリンで会ったことがある。
■2月15日(日)に東京外国語大学で講演会をやります。タイトルは「通訳翻訳研究の過去・現在・未来」というもので、我ながら大風呂敷が過ぎますが他に思いつかなかったもので。時間は1時30分からです。場所など詳しいことはこちら。参加費無料、事前登録も必要ありませんので関心のある方はどうぞ。
■プロフィールの写真を変えました。これは実家に出入りしている猫。
■雑誌『英語教育』(大修館)2月号が「インプットからアウトプットへ」という特集を組んでいる。語学教育の問題に首を突っ込むつもりはないが、この特集の中でシャドーイングが大きな比重を占めているようなのでひとこと言っておきたくなった。まずすべての議論において、玉井(2005)が慎重に指摘した上位グループへの頭打ち効果が無視されている。この時点で一体議論の対象が誰なのかがあいまいになってしまっている。またこの特集の中の理論編とも言うべき「ボトムアップ・シャドーイングvs.トップダウン・シャドーイング」と題したコラムで、門田は「初めて接する未知の内容を素材」にしたシャドーイングにより「音声知覚を自動化」するというボトムアップ・シャドーイングの効果を称揚している。「シャドーイングによる音声知覚の自動化」が何を意味するのかはよく分からない(構音速度を高速化するのなら分かる)が、そもそもこの問題はスピーチ知覚の研究でElman and McCleland (1988)*などがトップダウンの音素回復効果を主張して以来論争が続いている大きな問題である(feedback vs. feedforward)。しかしボトムアップ派(Norrisなど)の主張もトップダウンとcompatibleであるというものだし、その差異も小さい(しかもinputとcontextを最初期のユニットとして並列している)。いくら練習したところでまったく未知の語彙を正しく認識できるはずもなく、音声と文字をまず結びつける操作が必要だと言ったのは、確か安井稔だったと思う。実際は門田の言う「初めて接する未知の内容」には多くの既知が含まれていると考えるべきだろう。
*Elman, J. L. and McCleland, J. L. (1988). Cognitive penetration of the mechanisms of perception: Compensation for coarticulation of lexically restored phonemes. Journal of Memory and Language, 27.
■この他、大学でのシャドーイングを中心とした多聴クラスの実践報告(茨城大学)もある。目的は発音をネイティブ並に鍛えることとリスニング力の向上であるが、選択科目だからいいようなものの、必修だったら逃げ出さないまでも迷惑に感じる学生はいると思う。
■The Routledge Companion to Translation Studiesが届いた。編者はJeremy Munday。(目次は11月2日に紹介済みです。) 同様なコンセプトで作られたKuhiwczak and LittauのA Companion to Translation Studies (Multilingual Matters)は180ページだが、こちらは300ページある。しかしそのうち75ページはKey Conceptsという用語集になっているので、実質的な分量はほぼ同じ。特徴は、Kuhiwczak and LittauにはないTranslation as a cognitive activityとIssues in inerpreting studies (by Pochhacker)が扱われていることだろうか。認知活動としての翻訳の章は前半が翻訳プロセス分析のモデルとして、Seleskovitch, Bell, Kiraly, Wilss, Gutt, Gileのモデルを解説し、後半はTranslation Competenceの問題に充てられている。モデルは簡単な紹介だけで、問題点の指摘や批判的考察はないし、そもそも(TAPは別にして)翻訳(者)の内的プロセスを解明することにどれほどの意義があるのだろうかという疑問が生じる。分析すべきはむしろ起点言語と目標言語の「読者」の認知プロセスではないのか。その紹介も少なくとも最先端の研究の紹介ではない。SeleskovitchモデルはDelisleが翻訳モデルとして作り直している程だから翻訳とも関係するが、Gileの努力モデルは翻訳モデルとしてはふさわしくないだろう。また両者に欠けているテーマとして、認知言語学的アプローチがある。ないないづくしのようだが、この手の本はこういうものであって、あまり求めすぎてはいけない。研究のとっかかりとして、また知識を整理するためには便利なのである。しかし、そういう目的なら、この春に出版予定の『翻訳学入門』(みすず書房)(Jeremy MundayのIntroducing Translation Studies第2版の翻訳)をまず読むことだろう(と宣伝しておく)。
■研究社から出ていた『英語青年』が廃刊になるというので、神保町に行ったついでに最終号を見てみた。(三省堂には見あたらなくて、東京堂でようやく1冊見つけた。)特集は「翻訳書の最前線から」というのであるが、内容に興味がもてず結局買わなかった。その代わりでもないが、庭野吉弘『日本英学史叙説:英語の受容から教育へ』(研究社)を見つけた。内容の大部分は特に目新しいものでもないのだが、「訳読史における浦口グループ・メソッド:その評価と問題点」という章があったので購入した。グループ・メソッドについては研究があるのかもしれないが、読んだことがなかったからである。このメソッドはいわゆる「直読直解法」とも関係があり、「順送りの訳」とも関係がある。従って通訳・翻訳理論とも関連する。ざっと目を通しただけだが、庭野の評価と批判はあまり的確ではないと思う。もっと理論的な評価と批判が可能であるはずだ。なおこの本には「米国通訳官ヒュースケンの「明と暗」という章もある。