お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■坪内逍遙『文学その折々』(明治29年)に、「欧文直訳並に訓点」という項目がある。逍遙は「方今普通に行はるる欧文直訳法の拙劣にして不便宜なること」を嘆き、その原因として英和辞典の訳語が不適当であることと、「其の訓の宜しきを得ざる」ことを挙げる。そして自分も従来の訓読法を不便と感じて新しい訓読法を工夫したことがあるが、うまくいかなかった、と述べ、辰巳小次郎の『訓点英語読本』を推薦する。
「然るに文学士辰巳小次郎氏、近ごろ『訓点英語読本』といふ一小冊子を著し、巧に漢文訓読の法を英文の上に応用して、断然積弊を破らんと試みたり。(・・・)著者の深切と着想とは、吾人が賛同して助成せんとする所なり。」
明治初期の英語学習では英語が訓読されていたことはよく知られている(と思う)が、辰巳の『訓点英語読本』は、例えば森岡健二『欧文訓読の研究』(明治書院)の中の英文訓読資料で挙げられている方法のいずれにも該当しない。
方法はきわめて簡単な原則による。使用する記号は、(1)1,2,3の数字(あるいはabc)、(2)>、(3)-、(4)○の4つだけ。(2)の>記号は前後を逆転させることを示す。(3)は It-is-true-that Alexander was > highly-talented.のように解釈上分離できない語群を示す。(4)の○は相関語句であることを示す。例えば、以下のようになる。
Fuji-san is2 so○ high1 that ○ its top is2 always covered1 > with > snow.
富士山は なり 高山 /ゆえに 其 頂は 有る 常に 蔽はれて 以て 雪を
逆転すべきところを記号で示したこと、語群を一括したこと、相関語句に注目したことは、数字を30も40も並べ替えさせて意味をたどるような「英文訓読法」よりは数段優れている。やりかたは若干異なるが、サイトトランスレーション(原稿ありの同時通訳)の際に、同じような記号を使って逆転させる個所を示す通訳者もいる(馬越さんだったかな)。辰巳のこの訓点法は旧来の訓読法から村田祐治の直読直解法に至る媒介項のように思える。
■最近は1日5キロは歩くようにしているのだが、この雨のせいでなかなかうまくいかないことが多い。近隣はほぼ歩き尽くした感があるので、新しいルートの開発が大変である。仕方がないのでしばらく行っていないところを歩く。最初の写真は江戸川公園(関口)にある水神社の二本の銀杏の木。神社本体は小さな祠である。
三日ほど前には根津から谷中墓地を経て日暮里、西日暮里、千駄木、弥生のルート。写真は谷中墓地の猫。雨上がりのせいか、数が少なかった。夕焼けだんだんの猫のたまり場だった駐車場にはビルが建ってしまい、見かけたのは一匹だけ。
今日は巣鴨駅前から地蔵通り商店街を抜けて明治通りを左折し池袋に向かう。山手線を越えたあたりで雨になり、急いで地下街に潜り込む。
■Mona Bakerが数年前から何か大きな企画に携わっていたのは知っていたが、ついに発売になったようだ。
Baker, Mona (2009) Translation Studies: Critical Concepts in Linguistics (in 4 volumes) (Routledge).
まあひと言で言えば、比較的新しい論文を中心にしたやや傾向的な翻訳研究アンソロジーだ。目次はリンク先ですべて読めるが、いかにもMona Baker風の翻訳の政治・社会学的論文集というところか。サブタイトルと内容がまったく合っていない、というかこれは違うだろう。最近の翻訳研究分野はポストコロニアル研究や社会(学)的研究が目白押しだが、屋上屋を重ねる必要があるのかどうか。最大の問題は価格だ。4巻本とはいえ10万円というのはどうなのよ。大半は簡単に読める雑誌に収録されているし、5万円でも高いと思う。図書館向けか。通訳関連の論文も若干収録されている。とりあえずJuliane Houseのこっちの本を注文しておこう。ペーパーバックで安いし。(書影はこの本です。)
House, J. (2009) Translation (Oxford University Press).
■7月22日にNTV系で放送された「ザ・世界仰天ニュース」を見た人はいるだろうか。この回は、田渕君という16歳のルービックキューブの達人を取り上げていた。番組では、彼がルービックキューブをやっているときの脳活動を光トポグラフィーで調べていたのだが、面白いのは普通に(つまり目で確認しながら)作業するときには脳の活性化が見られなかったことである。彼にとってこの作業はほぼ自動的な作業=ほとんど意識的努力を必要としない作業なのだろう。渡辺教授は「一桁の計算と同じなのだろう」と言っていた。これと対照的に、最初にパターンを記憶した後、目隠しをして作業すると左右両半球に活性化が見られた。番組では触れていないが、右半球はおそらく空間認識の部位、左半球は作動記憶に関わる部位だと思う。足し算で繰り上がりを一時的に保持しておくのと同じように、直前のパターンを短期的に貯蔵しておいて、絶えずそれを参照しながら作業を進めるのだろう。こちらは意識的な作業である。しかし、興味深いのは非(不)活性の方だ。エキスパート行動のカギはこちらの方にありそうだ。
■同時通訳もエキスパート行動の一種として知られており、PETなどの画像法を使った研究がある。僕の知る限りでは、「活性化」の方に焦点が合わせられていて、「非活性」の方は取り上げられていない。しかし、エキスパート行動としての同時通訳にとって重要なのは、脳が非活性の自動的遂行の方ではないのだろうか。様々な認知的制約をともなう同時通訳では、意識的作業が少なく、自動的作業が多いほど失敗が少なく、円滑な遂行が可能になるはずだ。
■山本正秀『近代文体発生の史的研究』(岩波書店)の中に、杏堂散史訳『妖怪船』(明治21年)への言及があり、その「例言は、「訳文ハ専ラ平易流暢ニス故ニ稍ヤ卑俗冗長に流ルルヲ免レズ」とわざわざことわってある」と書いている。原作は有名なハウフの『隊商』の中のDie Geschichte von dem Gespensterschiffであり、現在でも「幽霊船の話」とか「なぞの幽霊船」などとして翻訳されている作品だ。杏堂散史訳『妖怪船』は国会図書館にあることはあるようだが、まだ近代ディジタルライブラリには入っていない。しかし、藤田保幸氏が1994年に大阪大学所蔵の本を「複刻」しているものがある(本文の他総索引を付し、別冊でドイツ語原文も付いている)。その解説から、明治20年には「隊商」が中川霞城訳『砂漠旅行 亜拉比亜奇譚』として翻訳されていることがわかる。さらに鈴木重貞(1975)『ドイツ語の伝来』では、中川霞城訳は「逐語訳に近く相当正確」であり、杏堂訳は「霞城訳に比して冗長である」と指摘しているという。
前置きが長くなったが、そこで少しだけ2つの訳を比較してみる。
杏堂訳「そも我父はバルゾラてふ、亜布利加州の一都府に商店(あきないみせ)を構へつつ、甚だ富めるにあらねども、亦た貧しからず住ひしが、元来実直の人なれば、彼の山気ある商売等が、一時に大利を博さんと、競ひ競ふ状(さま)を見て、心に深く卑しみつ、かかる危険を冒しなば仮令一度は笑ふとも、却て後の禍災(わざわい)を牽起(ひきおこ)すべき根源なりと、絶て投機を試みず、唯に己が営業(いとなみ)を、後生大事と保守して最(い)と安穏に暮らしける」
霞城訳「拙者の父はバルソラにて商業を営みしが 固より富たる身分にあらねど 又貧しといふにもあらず 多からぬ財産を失はまじとの恐怖より 事に手出しをせぬ者の一人にて…」
もし霞城訳がほぼ逐語訳であるなら、杏堂訳は「冗長」どころか原文のほぼ倍の分量になっていることになる。ここだけでなく全編がこんな風なのだ。七五調の文体といい、この訳しぶりといい、二葉亭の『あひびき』や森田思軒の『探偵ユーベル』と同時期のものとは思えない。これまでの主立った翻訳史には出てこない作品なので取り上げてみた。
■新刊やらいただき物やらいろいろたまっているのだが、それは前期終了後に。今日のところは、Arthur Symons: The Symbolist Movement in Literatureの邦訳がそろったので報告。写真下から、岩野泡鳴訳(大正2年)『表象派の文学運動』の入っている全集第14巻、次が久保芳之助訳(大正14年)『文学における象徴派の人々』、次が宍戸儀一訳(昭和12年)『象徴主義の文学』、戦後は比較的最近になって、樋口覚訳(1978)『象徴主義の文学運動』、前川祐一訳(1993)『象徴主義の文学運動』、一番新しいのが山形和美訳(2006)『完訳象徴主義の文学運動』、以上6冊である。新プロジェクトで必要になるかも知れないと思い、持っていなかった久保訳と宍戸訳を入手したのである。無理かと思ったが、簡単に手に入った。
宍戸儀一は宮沢賢治と親交のあった詩人、文芸評論家。宍戸の本には「この訳書を故友石川善助の純貴なる霊に捧ぐ。」とある。この石川善助は詩人で、昭和7年に草野心平の家を出た後行方不明となったが、泥酔して電車から川に転落して死んだらしい。宍戸も友人たちと探し回ったという。
久保芳之助の訳本には本人の序言や後書きはない。本が完成する前に肺結核で亡くなってしまったからだ。京都大学英文科を出て各地の中学校の校長を歴任した人らしい。泡鳴訳が出てから12年後だから、もちろん泡鳴訳は知っていたと思うが、それに対してどういう思いを抱いていたかはついに分からない。ただし、訳文は泡鳴はもちろん、宍戸訳にくらべてもかなりわかりやすい。巻末の友人による後書きに「雪の降り積む北国の寒夜、かすかにひびくストーブの焔の音にはげまされつつ、十二時、一時、学兄の書斎にはペンの音が絶えなかつた」とある。古い本は本筋と関係のないところがまた面白いのである。