MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

メインマシンのダウンから復旧まで

2006年06月30日 | 雑想

1週間ほど前、朝PCのスイッチを入れたら、Alert! Chipset heat sink not detected.というメッセージが出たまま動かなくなった。古いノートパソコンをネットに繋いで調べてみたらヒートシンクというのが文字通り落っこちているらしい。筐体を開けてみるとたしかにラジエターのような形状の部品がカラカラと外れた。どうも糊でくっつけてバネで押さえつけていたようで、そのバネを引っかけるマザーボード側の金具が吹っ飛んでしまったようだ。コンピュータなんだから糊と針金はやめてほしいのだが。さて、外れただけならよかったのだが、留め金の方が吹っ飛んだとなると打つ手がないのでサポートに電話したらマザーボード交換になるらしい。仕方ないかと思ったら、ついては修理の際にデータが消える場合もあるので同意してほしいという。(この場合もはやバックアップのしようがない。)冗談ではない。どう見ても問題はハードディスクにはないし、この場合データの方が大切なんだから、じゃあハードディスクは外して渡す、ということにした。ところがこれが外れないのだ。仕方がないのでハードディスクには手をつけないでやってくれと念を押して渡した。ここまでのやりとりで数日かかった。

数日後、修理というかマザーボード交換が終わって品物が届いた。やれやれ、これからコードをハードディスクにつないで、BIOSの設定とかやるのかあれ分からないんだよなと、うんざりしながら開けてみるとハードディスクが繋いである。あれほど言ったのにぃと、おそるおそるスイッチを入れると何の問題もなく以前のデスクトップが現れた。まあ当たり前といえば当たり前の話なのだが、データがなくなったらどうしようと、気分の重い一週間であった。

ハードディスクの故障や異常などでデータが取り出せなくなった場合、可能な場合は業者に吸い出してもらうわけだが、これが1Gで1万円ぐらいするらしい。そんなことになったら大変と早速秋葉原に行って外付けのHDD(とりあえず250G)を買ってきてデータのバックアップ。HDDの説明書をみたら万一に備えてデータのバックアップをしろと書いてある。つまりバックアップしたデータのバックアップである。無限連鎖である。重要なデータは使っていない別のデスクトップにも移しておくことにしよう。やはり紙は偉大である。


講演会のお知らせ

2006年06月20日 | 大学院
今日、立教大学池袋キャンパス 8号館1階8101教室で、ステラ・ティン=トゥーミー氏(Dr. Stella Ting-Toomey)教授(カリフォルニア州立大学フラトン校 スピーチ・コミュニケーション学部)の公開講演会があります。参加自由です。詳しくはこちらをご覧ください。また僕が通訳を務めます。(原稿ありません。)

バース大学で40周年記念通訳翻訳シンポジウム

2006年06月11日 | 通訳研究
イギリスのバース大学がThe MA in Interpreting and Translating設立40周年を記念して9月8日、9日に「通訳翻訳シンポジウム」を開催する。発表申込の締め切りは5月31日までで、すでに過ぎているが、まだ受け付ける可能性はあるので、発表したい人はDr Valerie Pellatt mlsvip@bath.ac.ukまで。シンポジウムのサイトはこちら

人工知能学会全国大会(JSAI)

2006年06月08日 | 通訳研究
第20回人工知能学会全国大会が7日からタワーホール船堀(江戸川区)で開催されています。僕は明日9日の「異文化コラボレーションとAI」のセッションで招待講演をします(といっても20分です)が、発表内容がPDFファイルで読めるようになっています。興味のあるかたはこちら。今回はカラーを使った多少グラフィックなプレゼンテーションを試みます。

米原万里さん追悼

2006年06月02日 | Weblog
米原万里さんが亡くなった。ひと月ほど前に送ったメールには返事がなかった。同世代の人が亡くなるのはかなりへこむものである。もう猫と一緒の写真つきのオリジナル年賀状も見られない。
米原さんとはロシアのクーデタの時、何度か一緒のブースに入ったことがある。その縁で2回も講演に呼んでくれたのだが、一度はダブルブッキングで迷惑をかけてしまったこともあった。年末の特番の通訳で収録が長引いたとき、彼女がイニシャティブを取り、通訳料の割り増しを求めるべく通訳者全員をオルグしていた姿を思い出す。
その後彼女はエッセイスト、作家として活躍するようになった。自分の歌を歌いたくなったのだろう。
2002年に出版された『オリガ・モリソヴナの反語法』(現在は集英社文庫)は、亀山郁夫の指摘しているようにドストエフスキーを彷彿とさせる。その白眉は末尾近くの、ミハイロスキーなる登場人物の「泣き出しそう」な表情にある(僕には泣き笑いに思えた)。もっと正当に評価されて文学史に残るべき作品のはずだ。もしかしたら日本のドストエフスキーになりうる可能性を秘めていたのは、椎名隣三でも埴谷雄高でもなく、米原さんだったのかもしれない。彼女が自分の歌を歌い始めたことはロシア語通訳界にとっては損失だったかもしれないが、我々にとっては幸福なことだったと思う。