お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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Facebookはこちらです。
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■立教の連続公開講演会、次回は10月7日(土)(まもなく)、あの國弘正雄先生(エジンバラ大学特任客員教授、元参議院議員)です。もちろん日本通訳学会の共催。時間は午後6時半から8時。タイトルは「異文化に橋を架ける-通訳・翻訳そして外交-」。詳しくはこちらをごらん下さい。事前の申込は不要です。國弘先生ご自身も楽しみにしておられるようですし、こういう形で講演を聞くことができる機会はもうあまりないかもしれませんので、ぜひご参加下さい。また関心のありそうな人への口コミをお願いします。講演の後、楽しい懇親会もあります。
■スロバキアにThe Slovak Association for the Study of Englishという学会(?)があり、SKASE Journal of Translation and Interpretingという雑誌を発行している。まだ1冊だけだが、その全文をこちらで読むことができる(左のJournals Volumesをクリック)。Mona BakerのNarratives in and of TranslationやRobin SettonのSo What is Interesting about Simultaneous Interpreting?など8本を収録。他にも理論言語学や応用言語学のジャーナルが読める。ISSNがついているが、紙媒体なしのWebジャーナルなのだろうか。
■日本通訳学会の年次大会と翌日の立教での講演会(ワークショップ)が終了して、ようやくひと息ついた。講演会の方は立教のRW運営機構との共催だったのだが、通訳学会側は僕一人だったのでちょっとシャレにならない忙しさであった。幸い東京外語の南部さんと立教の吉田さんが手伝ってくれて何とか共催の責を果たせた格好です。大会の方は場所がちょっと不便だったにもかかわらず、外語の学生・院生の皆さんの活躍で大成功だったと思います。皆さんお疲れ様でした。それからご協力ありがとうございました。来年はその一ヶ月後に大阪大学との統合をひかえた大阪外国語大学で2日間にわたって行われる予定です。今度は津田先生にお世話になります。なお実際の会場はまだ流動的です。
■その津田先生から昨日、雑誌記事のコピーを頂いたので紹介しておこう。日本キリスト教団出版局が出している『信徒の友』2006年8月号に、津田守先生が書いた「多言語・多文化間の境界に立ち続けて」という1ページの記事なのだが、実に5世代にわたる異文化間媒介者としての津田家の歴史を簡潔にまとめている。それによると曾祖父の仙氏は1867年江戸幕府とアメリカ政府の外交交渉のために、外国奉行通弁役としてワシントンまで出張している。今で言えば外務大臣付きの通訳官というところだろうか。仙氏の娘が有名な津田梅子(津田塾大学の創始者)である。ところでこの記事には仙氏と津田先生の写真が並んでいる。2人とも顎髭だけが豊かであるところがうり二つである。
■さて、大会が終わるとそろそろ秋の風が感じられるようになる。僕の教員生活もいよいよあと半年を残すだけとなった。(ひとまず、であるが。)すでに立教の授業は始まっており、大東も今週の土曜日から。来月前半は秋の大学院入試業務がある。翻訳研究分科会のOccasional Paperの編集作業もしなければならないし、終わっていない査読もある。追い込みに入る修士論文指導にも本格的に取り組まなければならない。しかしこのブログは何とか更新していくつもりです。
■そうそう、大会では船山さんと一緒に発表したのですが、これが翻訳の論文の片手間にやったにしては意外に面白いことになってきたので、発表の場では時間がなくて触れられなかった点を含めて、論文でもないですがホームページの方にアップしようと思います。あと数日お待ちを。
「今や我邦の文体に四種あり。曰く漢文体なり。曰く和文体なり。曰く欧文直訳体なり。曰く俗語俚言体なり。」
「四体の精華を摘撰して、各々之を妥当なる地に填用せば、天下の事物、復た将に写出し難き者あらざらんとす。」
「意に随て漢文、和文、俗語の三体を雑用する者は、已に非常の便宜あるに、今叉欧文直訳なる一種の新体を生ずるに至る。是に於てか文を屬するの便、益々加て文体叉益々変ず。若し一体を墨守する者より、之を見ば其の奇怪幻妖なる実に愕貽(正しくは貝偏ではなく目偏)すべき者多からん。」
「叉欧文直訳体は、其の語気時として梗渋なるが為に、或は文勢を損する┐なきにあらず。しかれども、極精極微の状況を写し、至大至細の形容を示すに於ては、他の三体に有せざる、一種の妙味を含蓄せり。(中略)欧米の進歩せる繁密の世事を叙記して、毫も遺脱なからしむる、欧米の語法文体を移し来て、之を我が時文に用るは、非常の便宜を感ずること少なからず。余は深く信ず、後来欧文直訳の文体が我が時文に侵入し来ること、益々盛なるべきを。」
これでも旧字体を使っていない分だけましなのだが、書き写すのが大変。「┐(こと)」のような「合字」もあるし。(「ども」の合字は表記のしようがなかった。なんとかならないものだろうか。)なお地の文は原文ではカタカナ。明治17年なので、『繋思談』(訳者が序文で直訳の態度を鮮明にした)より1年早い時期に、直訳体が日本語に及ぼす影響を見通しているわけで、なかなかの慧眼というべきだろう。
この折衷案に対して末松謙澄は、「それはいいが、もっと流暢円滑で一般にも分かりやすい文にすべきだ」と批判し、たとえば(1)其の審理を識別せざるもの (2)其の道理を知らざる者 (3)其のことわりをわきまへしらぬやから、のうち、円滑流暢で尤も世間に通用しやすいのは(2)だと言ったのであった。(『日本文章論』明治19年)。