MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

言語と翻訳国際会議

2005年03月30日 | 翻訳研究
まだちょっと先の話だが、来年の1月12日-14日にベルギーのGhentで International Congress on The Study of Language and Translation という会議がある。メインテーマは言語学と翻訳研究のインターフェイス。80-90年代にCultural Turnを経験した翻訳研究の Linguistic (Re-)Turn を考える。詳しくはこちらを。

希望格差社会 魂の労働

2005年03月28日 | 
昨日は草月ホールで、50歳以上のシェイクピア劇「真夏の夜の夢」を観てきた。通訳仲間の谷島さんが出演したのである。驚いたのは観客の動員力。満員御礼である。それも2日間だそうだ。50歳以上のエネルギーにはすごいものがある。

テレビ番組「フリーター漂流」山田昌弘の『希望格差社会』がきっかけで、時間もないのによけいなテーマに首を突っ込んでいる。山田の主張の大筋はこの議事録で言い尽くされており、この資料と付き合わせればほぼ理解できるだろう。以前の『パラサイトシングルの時代』(ちくま新書)もかなりいいかげんな話で、厳しい批判もあるが、今回も「ニューエコノミー論」を根拠にして、格差はやむを得ないがニートやパラサイトにもささやかな希望は与えなければならないとして、擬似的なコミュニティの構築を提案している。結局は「それなりに認めてやるからおまえら働けよ」ということにしかならない。こうした疑似的コミュニティへの取り込みの企てに対しては渋谷望『魂の労働─ネオリベラリズムの権力論』(青土社)を対置すれば十分だろう。

「「快楽」ないし「自己実現」の場としての労働を強調するアプローチによって、個人と労働との間の運命主義的な強固な心理的絆は解かれ、組合への結束は解体される。代わって産業構造の変化にフレキシブルに対応可能は労働力が創出される。」

「80年代を通じて日本では「社会参加」という言葉は、「自己実現」ないし「生きがい」といった言葉に接合し、フレキシブルな労働と、フレキシブルな福祉供給を同一の平面で語ることを可能にしてきた。」

「〈コミュニティ〉への訴えかけによってわれわれが誘われるのは「労働」ではなく「活動」である。この戦略は〈公的なもの〉と〈私的なもの〉に関するわれわれの表象を"脱構築"する。すでに見たように、それは従来私的なものとみなされていた「自己実現」と、公的なものとみなされていた「義務」ないし「活動」(アーレント)を同一の次元に流し込むからである。そこではフレキシブルな低賃金労働が「活動」と称され、これに耐えることが「善」なのである。」

こうした渋谷の主張は、たとえば医療通訳や手話通訳は対価をともなう仕事なのか福祉(ボランティア)活動なのかという問題の解明のためのヒントを与えてくれるのではないか。ついでに言っておけば「自己実現」としての労働」というのは別に新しいことではなく、古くからストライキに反対する口実として使われたのだ。しかし、渋谷の主張はさらに実証的・理論的に補強される必要がある。おそらくは知的熟練論批判を通じた労働組合論の再構築が必要になるだろう。以上の記述はきわめて不十分で、分かる人でないと分からないとは思うのだが、とりあえず提起しておく。

翻訳と状況モデル再論

2005年03月26日 | 翻訳研究
今週は水曜日に卒業式(というのかな?)のあとパーティー2つ、翌木曜日は職場の送別会、ということで、先週の2件と合わせると、これほどアルコールの入った月もないだろう。おそらく新記録である(ただし量はごくわずかだ。)

今日は用事があって渋谷に出かけたのだが、あいにく閉まっていて目的は果たせず。陽気がいいので代々木公園を散策してからBook 1stで買い物。『SF Japan』(春期号)に山田正紀、笠井潔、恩田陸の鼎談があり、その中で山田正紀が「人間は関係代名詞が七重以上に入り組んだ文章を理解することができない、というのは、何か元ネタがあるんですか?」という問いに対して「ありません。まったくの創作です。」と答えている。これですっきりしたが、それはそうだろう。「十三重の埋め込み文になっている古代文字」とでもすれば少しはリアリティがあったかも知れない。もっとも人間はオンラインで直感的に理解することはできなくても、分析して意味をとることは可能だろう。『神狩り2』では「クオリア」(主観的な感覚質)が中心的なアイディアになっている。クオリアについては1)評価不可能、2)問題設定の不良、3)解明可能という立場があるようだが、僕自身はかなり疑問だと思っている。

3月10日にZwaan, R. A. & Radvansky, G. A. の状況モデルに関する展望論文に触れた際、「比較のための第三者」ないし「第三項」として状況モデルを使うのはおかしいと指摘した。もうひとこと付け加えておこう。状況モデル(あるいはメンタルモデル)が言語理解の際に構築されるのであれば、それは翻訳の媒介項として使うのではなく、むしろ「翻訳者は翻訳の読者が構築する状況モデルが原文の読者の作り上げる状況モデルと類似することになるような言語表現を達成すべきだ」、といった翻訳の指針(のひとつ)として使うべきではないか。それは結局「第三項」にすることと同じではないか、とか、それはNidaのDynamic Equivalenceとどこが違うのかという反論はありうる。しかし「原文→状況モデル→訳文」という、いわば三角モデルと、「原文→状況モデル1 訳文→状況モデル2 状況モデル1,2の比較」というモデルは同じではない。また、Nidaの「核文以下のレベルでの転移」とも違う。翻訳者は原文から得られた状況モデルを入力として翻訳のproductionを行うのではない。この事情は関連性理論の「解釈的類似」に基づいて翻訳する場合でもたぶん同じだ。比較は翻訳の初稿のあと、「事後的に」、第三項を解さずに直接行われる。ううむ、うまく説明できていない。

テロリズムと翻訳・国際会議

2005年03月21日 | 翻訳研究
11月11日にイギリスのUniversity of WarwickでTRANSLATING TERROR: GLOBALISATION AND THE NEW PLANETARY WARSという会議があります。1日だけです。案内の冒頭部分。

A one day international conference organised by the Centre for Translation and Contemporary Cultural Studies and the Centre for the Study of Globalisation and Regionalisation, University of Warwick, UK.
Uncertainty, insecurity and conflict are constitutive features of globalisation. 9/11 has been viewed as the symbolic unleashing of a new Age of Terror, in which traditional conceptions of national security are shattered and a new kind of global vulnerability emerges. This interdisciplinary conference aims to explore the relationship between globalisation and political violence, to analyse the way that terror has been represented through the global media and to highlight the importance of translation in shaping current discourses on terror.

会議自体は11月ですが、発表と参加申込の締め切りは以下の通りなので参加される方はお早めに。
Deadline for submitting abstracts: 31 May 2005Notification of acceptance: 30 June 2005

さらに詳しい情報は以下のサイトを参照してください。
For further information on the project please visit:
http://www2.warwick.ac.uk/fac/arts/ctccs/research/tgn
For further information on the organising institutions:
CTCCS:
www2.warwick.ac.uk/fac/arts/ctccs
CSGR:www.csgr.org

神狩り2

2005年03月20日 | 文学
花粉がひどく飛んでいるようで、頭がはっきりしない。かなりつらい状況である。午前中に駿河台の出版健保まで行き薬をもらう。

一昨日は大学院の卒業生たち3人と新宿の高層ビルで食事会。夜景がきれいでした。今日は赤坂で長年お世話になった人の送別会。こちらは通訳者を中心に20人ほどが集まる。

通訳翻訳のエントリーはお休みにして、今日お茶の水の丸善で見つけた山田正紀『神狩り2リッパー』(徳間書店)について一言。旧作『神狩り』の原型が発表されたのが1974年ということだから、ほぼ30年後の続編(と言っていいのか)。まだ読み始めたところだが、冒頭の舞台は現代の日本、続いて1933年のドイツに移りヒトラーやハイデッガーが登場する。神学の議論やデリダ、フロイトが出てきたり、前作よりは記述が込み入っている印象だ。ところで前作『神狩り』に登場した古代文字は、論理記号が2つだけ(人間の言語では5つ)、関係代名詞が13重以上に入り組んでいるという設定で、「人間は、関係代名詞が7重以上入り組んだ文章を理解することができない」という記述があった。しかし埋め込み文でないなら、関係代名詞がいくらあろうと理解できると思うが。(埋め込みなら僕は3つでダメです。)

翻訳関連書2点

2005年03月15日 | 翻訳研究
やや軽量級だが一応簡単に紹介しておこう。
マーク・ピーターセン(2004)『ニホン語話せますか?』(新潮社)。ほぼ全部、翻訳と日本人英語の問題を扱っている。村上春樹の'you'の訳し方に触れているというので買ってみた。「小説新潮」の連載が原型。
新元良一(2004)『翻訳文学ブックカフェ』(本の雑誌社)。これは翻訳者11人へのインタビュー集。登場するのは若島正、柴田元幸、岸本佐知子、鴻巣友季子、青山南、柴田元幸(2回目)、上岡伸雄、小川高義、中川五郎、越川芳明、土屋政雄、村上春樹。読んでません。

同時通訳の基本的認知スキルについて

2005年03月15日 | 通訳研究
Ingrid K. Christoffels, Annette M. B. de Groot and Lourens J. Waldorp (2003) Basic skills in a complex task: A graphical model relating memory and lexical retrieval to simultaneous interpreting. Bilingualism: Language and Cognition 6 (3), 201-211.についてごく簡単に報告しておく。この論文は同時通訳の基本的な認知スキルについての研究で、特に記憶と語彙検索の役割に焦点を合わせている。記憶についてはreading spanとverbal digit spanを、語彙検索についてはpicture namingとword translationのタスクを課してcapacityを測る。そしてこの4つのタスクのパフォーマンスと同時通訳のパフォーマンスの相関を見る。被験者は通訳訓練を受けたことのないバイリンガルである。結果はword translationとpicture namingが同時通訳と有意に相関し、またそれよりも弱いがdigit spanとreading spanも同時通訳のパフォーマンスと有意な相関を示した。しかしさらにgraphical model analysisを行うと、同時通訳のパフォーマンスに最も強く関連する変数は英語(非母語)のreading spanとオランダ語から英語へのword translationであった。つまり同時通訳には相互に異なる独立のサブスキルが存在する。言いかえれば、working memoryとtranslation(対応する語句の検索)が、同時通訳のパフォーマンスに対して独立の関係を持つ、ということになる。
第一著者のChristoffelsはCognitive Studies in Simultaneous Interpreting (2004)という博士論文を書いており、上記論文はその第4章に該当する内容になっている。この論文を読んだ限りではいろいろな批判が可能だ。たとえば素人に同時通訳させて何がわかるのか、とか。しかしその点は著者も意識してやっている。要するに通訳の「才能」の個人差を見ているのだというわけだ。(博士論文ではプロの通訳者も使っている。)最大の問題は同時通訳モデルも提示せずに作動記憶と語彙検索が同時通訳の基本的認知スキルだと主張している点にある。同時通訳が一般的な言語処理とちがうのはどの点なのか、そのちがいは通訳者の認知処理にどのような制約を与え、その制約がどのように解決されることで同時通訳が可能になるのか。こういう基本的な問題には触れていないのだ。Christoffelsの博士論文については後日詳しく論評します。

日本における翻訳研究への胎動(か)

2005年03月13日 | 翻訳研究
先日紹介した『翻訳を学ぶ人のために』(世界思想社)が届いた。詳しい目次を紹介しているところがないので、主要目次だけでもここで紹介しておこう。「編者鼎談」翻訳とはクリエイティヴな作業である(安西徹雄・井上健・小林章夫)、「英文和訳から翻訳へ」(小林)、「発想を転換すれば、突破口が見えてくる」(安西)、「フィクションの翻訳」(柴田裕之)、「ビジネス翻訳」(村田寛)、「映像翻訳」(田中武人)、「翻訳で作られた近代日本語」(柳父章)、「第三の文学としての翻訳文学-近代日本文学と翻訳」(井上)、「翻訳家への道」(今野哲男)。もとより「翻訳研究」ではないし、一般書であって学術的な本ではないが、日本における「翻訳論」の水準を見るのに適している。(決してくさしているのではない。)

日本には翻訳研究の受け皿となる学会がない。強いて言えばIJETという国際会議をやっているJATがそうかもしれないが、強い学術的な志向性を持っているとは言い難い。そこでいろいろ模索してきたわけだが、まもなく本格的な翻訳研究をめざすグループが立ち上げられそうだ。翻訳研究Translation Studiesは文学的な翻訳理論から言語学的翻訳理論、字幕翻訳、社会学的・歴史的研究、ウェブやゲームの翻訳、現代思想(ポストモダン、ポストコロニアル批評)まで、幅広い領域をカバーする。関心のある方は連絡して下さい。