お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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Facebookはこちらです。
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■今年最後のエントリーになります。Lathey, Gillian (2006) The Translation of Children's Literature: A Reader (Topics in Translation) (Multilingual Matters Ltd.) この本は新刊ではないが、過去30年間に発表された児童文学の翻訳に関する主要な論文を集めており、翻訳研究者にとっては必携の書だろう。児童文学研究がベースで、厳密な意味での翻訳研究分野の論文は少ないが、収録された論文は児童文学の翻訳に固有の問題を取り上げ、それに関連する理論にも言及している。全5部17編の論考を収録。詳しい目次はこちらを参照。編者によれば、いずれの論考も「児童文学の国際化はまったく問題がなく、ピノキオやアリスは簡単に国境と言語の壁を超えることができる」という通念に挑戦しているという。この分野についてはMetaも2号を充てて特集している。日本では児童文学の翻訳に関わる諸問題については、児童文学研究の分野でもあまり取り上げられていないようで、翻訳研究にとって魅力的な分野といっていいだろう。
■それでは皆様、よいお年を。
■ディエゴ・マラーニ『通訳』(東京創元社)。著者はトリエステの通訳翻訳大学院を修了してEU理事会の通訳・翻訳官もつとめた人。でもこれ小説です。帯のあおりがすごい。「アダムが話した原初言語の謎に迫る!」「言語神話にひそむ世界の深淵 究極の言語を人間が手に入れたとき-」と言われては、読まずにおれまい。ジュネーブの国際機関の通訳サービスの責任者である主人公は、16カ国語を操る通訳者が同時通訳中に異常をきたすという報告を受ける。いきなり通訳をやめて無意味な言葉、どの言語でもない言葉を発したり、金切り声をあげたりするというのだ。この男は主人公にこう訴える。「ぜひ同時通訳をさせてください。…まさに同時通訳に置いて、ことばが電子みたいにある言語から切り離され、混沌となってほかの言語と結合するあの場所で、同時通訳という電気分解のなかでこそ、すべてが起こるんだ!十五の言語すべてがふるえ、音が毛穴を開き、粘膜を通じてたがいを認めて求めあうあの場所、つまり通訳というはかない一瞬に、全体が遠くかすかに現れるのが聞こえるんだ!」(←前半はセレスコビッチか?)まあアイディアはよかった。こうくればドストエフスキーやトーマス・マンのような長広舌の観念小説を期待してしまうのも無理はないだろう。しかしその期待は100%裏切られる。主人公はこの通訳者の「病気」に感染してしまい、怪しげな言語療法施設に入り、そのあとはヨーロッパ中をめぐるピカレスクロマン風の展開となる。そして最後に主人公はかの通訳者と再会するのだが…。「これかよ!」と、久々に_| ̄|○。(ついでに仰向けパターンも、凹○)。
まあ、それでも結構面白く読んでいる人もいるようで、怪作というところか。作者Diego Maraniは面白い人で、Europantoという人工混成言語を作っている。暇な人にはお勧めだ。
■Yuletide(クリスマスよりはこの言葉の語感がわりと好きです)ということで、数日間限定のテンプレ変更。
■今日で(会社は)仕事納め。やっとあと3ヶ月になった。ここまでが実に長かったのである。そうは言ってもこの年末休みは学会誌編集の仕上げでつぶれそうだ。今日は目次を作ったが、正規の論文14,特別講演1、報告類9,研究ノート2、書評3,エッセイ1,博士論文要旨2というおそろしい全貌が浮かび上がる。500頁にはならないが、400頁台半ばにはなる。
■忙しくて紹介しきれなかった新刊(一部旧刊も含む)のお蔵出しということで、ぼちぼちいきます。今日は、10月に出た新熊清(2008)『翻訳文学のあゆみ:イソップからシェイクスピアまで』(世界思想社)。帯には「文化創造の足跡としての翻訳史の試み。ザビエルの鹿児島上陸による切支丹文学の移入から、明治時代の翻訳事業まで、過去数百年に渡る先人達の努力と情熱の跡をたどり、翻訳文学の歴史を顧みる」とある。目次はこちら。しかし230頁ほどの本なので、明治以前は30頁ほど。残りは明治時代の翻訳に充てられている。「はしがき」に「本書は翻訳論を展開するものではない」と断っているとおり、基本的には翻訳史の試みである。この分野は柳田泉を始めとする先行の研究があり、特に新味はないし、そうした先行研究への言及もほとんどないことでも分かるように、翻訳(思想)史の新しい視点を打ち出したわけでもない。しかし、こういう内容の本が新刊で提供されることの意義は小さくない。紙幅の関係上、どうしても記述に精粗がでてしまうのはやむを得ないだろう。たとえば森田思軒の訳業についてはほとんど触れられていない。また森鴎外を「其意を失はざらむとする」という主張に一元化するのはどうか。翻訳史の試みとうたいつつ明治までしかない…などいろいろ注文をつけたくなるのだが、出版事情もあるのだろう。
巻末近くに織田純一郎訳『いさこ』に対する『時事新報』の直訳調批判と、それに対する織田の応答が出てくる。これは資料を持っているにもかかわらず、恥ずかしながら見逃していた。『招待』1号の論文はいずれ書き直すのでその時触れよう。最後に、明治時代の翻訳文学を概観したい人にはとっつきやすい本だと思う。ほとんど書かれていない森田思軒の翻訳思想については、1月に出る『通訳翻訳研究』8号の齋藤さんの論文を読んで下さい。
■津田守(編)日本通訳翻訳学会(監修)『法務通訳翻訳という仕事』が大阪大学出版会から刊行された。2007年の第8回年次大会の特別プログラム「グローバル化する日本における法務通訳の現状と課題」の発表をもとに編集したものである。くわしくは学会のサイトを参照。
■津田さんのところでは法廷通訳のDVD教材も作ったらしい。
■尾籠な話で恐縮ですが、ついに石がでました。5mm弱のやや細長い形。10月末に救急受付に駆け込んでからほぼ2ヶ月でした。めでたい。
■しかし学会誌編集作業は大詰めに来ていろいろ大変である。Acrobatが壊れたようで機能をフルに使えなくなった。こんなに重くて出来の悪いソフトに3万円以上出すのも業腹なので以前使ったことのあるpdfFactoryという4千円のソフトをダウンロード。まずまず使える。もうひとつフリーソフトで評判のいいprimoPDFも使ってみた。Acrobatの100倍、いやもっと速いかもしれない。ただし、特定の文書でAcrobatと同じ症状が出た(文書の最後のほうになると空白の文字が多数生じる)。pdfFactoryは大丈夫なので、しばらくはこれでしのぐことにする。
■モンゴル、ウランバートル在住の研究者、北村彰秀さんから新著『続 東洋の翻訳論-学者基本典を中心として-』を送っていただいた。学者基本典(1742)とは、仏典の学問的文献部分の翻訳のために編纂されたチベット語・モンゴル語対訳専門用語辞典であるが、その序文に翻訳論が含まれている。昨年出版された『東洋の翻訳論』はその紹介と検討が中心だったか、今回は仏典漢訳の様々な翻訳論との比較になっている。比較されるのは、釈道安の五失本三不易、僧祐、彦、玄奘、宋賛寧である。最後に林語堂の翻訳論に触れている。記述は簡にして要を得ており、読みやすい。
今回も「アジア文庫」(神田神保町すずらん通り内山書店の上。TEL 03-3259-7530)で販売される。そろそろ入荷予定とのこと。
■今日は三ツ木道夫さんの『思想としての翻訳』も頂いた。美しいデザインの本だ。これについては明日。
■昨日のメルドラムさんの話だが、ご本人からのメールによるといろいろ尾ひれがついてしまったようである。要するにいわゆる翻訳マニュアル本にあるような「日本語らしい日本語」とご自分の「翻訳調」に関する研究プロジェクトの話をしたのがああいうふうに書かれたとのこと。まあしかし、翻訳が無視されがちな北米で取り上げられたのでよしとしましょうとのことでした。
■翻訳マニュアル本からの脱却は先日の北代さんのお話の要でもあった。もちろん翻訳における自然な日本語という主張それ自体は誤りではない。それが十分に妥当する場面は当然ある。しかし、その主張(というか、本当はそうすればうまくいくという一種の仮説と捉えるべきだ)が、あらゆるケースにあてはまると考えたり、市場を前提にして正当化したりするとしたら、それは違うだろう。
さて、その北代美和子さんが翻訳した『届かなかった手紙』(クレスマン・テイラー著)を原作とする舞台の公演が来年1月にある。詳しくはこちらを参照。(橋田壽賀子のテレビドラマとは関係ありません。)