お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■心覚えに。1969年、アポロ11号の月着陸船のラダーから月面に降り立ったとき、ニール・アームストロングは"That's one small step for man, one giant leap for mankind."と言ったとされた。非文法的かどうかは微妙なところだが、これではWashington Post紙の言うように"One small step for mankind, one giant leap for mankind."という意味になってしまう。しかし、アームストロング自身はmanの前に"a"を入れたと言っており、NASAの公式記録は"That's one small step for (a) man, one giant leap for mankind."になっているという。ところが、去年の9月の話なのですでにご存じの方もいるかも知れないが、オーストラリアのPeter Shann Ford という研究者が音声編集ソフトを使って、実際にアームストロングの発言中に"a"があったことを発見した。発声時間は実に35ミリセコンドであり、聴取可能持続時間の10分の1であったという。今年亡くなった西山千さんは、"a"が聞こえなかったため、前半を抜いて「これは人類にとって大きな一歩です」と訳した。(訂正します。「これは人類にとって小さな一歩です」だったようです。前半だけを訳したんですね。)ご本人は「いやあ誤訳ですねえ」というようなことを言っていたが、聞こえないことがわかったこと自体すごいことである。並みの「一流」通訳者だったら、聞こえないはずの"a"を「幻聴」して正訳をしていたかもしれない。ただしFordの説に関しては論争がある(このサイトでは実際の音声も聞くことができる)。それはともあれ、Times OnlineのOne small word is one giant sigh of relief for Armstrongという見出しが楽しい。
■ついでに、と言っては悪いのだが、英語教育を取りあげたので最近の関連書を2冊紹介します。
大津由起雄(2007)『英語学習7つの誤解』(NHK出版・生活人新書)。7つの誤解というのは(1)英語学習に英文法は不要、(2)英語学習は早く始めるほどよい、(3)留学すれば英語は確実に身につく、(4)英語学習は母語を身につけるのと同じ手順で進めるのが効果的、(5)英語はネイティブから習うのが効果的、(6)英語は外国語の中でもとくに習得しやすい言語である、(7)英語学習には理想的な、万人に通用する科学的方法がある、というものだ。本書中に出てくる「英語狂想曲」に対する批判になっているわけだ。すべて頷ける主張なのだが、松本亨と彼の「英語で考える」という主張にたいする評価だけはちがう。大津さんはどちらかというと好意的だが、僕などはラジオ講座を聴き始めて1,2回でやめてしまった口で、そのせいもあると思うのだが、まったく評価に値しないと思っている。実は数年前気になって彼の『英語で考える本』を買って読んでみた。やはり何も言っていないと判断せざるをえなかった。まあ、時代的な制約を割り引いて考えないといけないのだろうとは思うのだが。
小坂貴志(2007)『お金を使わない英語勉強法』(PHP新書)。頂きもの。小坂さん、どうもありがとうございます。基本的にはテレビ、ラジオの活用、シャドーイング、サイトラ、インターネットの利用ということなのだが、その他にもいろいろな自習のやり方と素材を紹介している。「英語学校の効果を過信してはいけません。英語の習得のためには、他人任せの学習から、自分で自分のための学習法を探していくに限ります。」学習方法に迷っている人向け。
■最近テレビはよほどのことがないと見ないのだが、昨日たまたま眺めていたら総合テレビの「英語でしゃべらナイト」という番組に石黒さんと小沼さんが出てちょっと通訳のことをしゃべっていた。アーカイブで概要がわかる。Presenting-大人の社会科見学の写真の1枚目と9枚目に写っている。8枚目の写真は谷島さんのように見えるがどうなんでしょうか。再放送は30日の深夜1:35から。
■ところで僕は英語でしゃべらなくてもいい派(というかしゃべりたくない派)なのだが、最近文科省が審議中の新しい学習指導要領のホームページを公開した。(前半と後半のつながりが悪いですが我慢して下さい。)この中の「高等学校の教科・科目案」の英語を見てみると、事態はさらにとんでもないことになりつつある。「コミュニケーション」がつくのが4科目に「英語会話」が加わり、現行の「リーディング」、「ライティング」が「英語表現I,II」になっている。その中味については「審議のまとめ(案)」の111-112ページに書いてある。英語表現Iは話すことと書くことが主眼のようで、英語表現IIに至っては「スピーチ、プレゼンテーション、ディスカッション、ディベート」だという。いったいいつ英語の読解や解析をするのだろうか。学力の更なる低下は避けられまい。文法も知らず、英語も読めないのにピーチクパーチクやって何になるんだ?もうひとつ。こういう科目構成になると英語嫌いの生徒が更に増えるだろう。少なくとも、僕が高校生だったら願い下げだ。コミュニケーションしたくない、英語なんかしゃべりたくないという人間だっているのだということを忘れてはいないか。
■時々目を通しているサイトの一つに「英語教育ニュース」というサイトがある。この中の「英語教育エッセイ」に面白いというかすごいのがあった。「英語との格闘 私の英語学習遍歴」というのであるが、この人は30代半ばで大学教員を辞めてイギリスに再留学する。その間家族は「無職になった私のおかげで1年間生活保護を受け、3年間貯金だけで食いつなぐという傍から見たら無謀な生活をした」というのである。この条件で生活保護が受けられるのか、という疑問はさておき、この選択はどうなのかなあ。いろいろ事情があったんだとは思いますが。
■Taylor-Bouladon, Valerie (2007). Conference Interpreting: Principles and Practice. BookSurge Publishing. これは第2版で、初版は2000年に出ている。どこが違っているのかは一切書かれていないのでわからないが、Amazonのレビューでは散々だった(他の本を推薦されてしまった)のでそのあたりを直したのかも知れない。著者は僕の生まれる前から通訳者をしていた人。別にA Foreign Affairという自叙伝も出している。なつかしや、Peter Davidson先生が序文を書いている。一応自叙伝も買いましたが、たぶん読まないと思う。
■斉藤兆史(2007)『翻訳の作法』(東京大学出版会)。文芸翻訳の入門書。東大駒場の「翻訳論」講義をもとにしたらしい。学部の学生相手なので専門的な話はない。
■加藤晴久(2007)『憂い顔の『星の王子さま』:続出誤訳のケーススタディと翻訳者のメチエ』(書肆心水)。内藤濯の訳と2005年に独占出版権が切れてから続出した新訳に英訳3点を加え、計18の翻訳を比較検討した書。主に内藤訳を問題視しているが、舌鋒鋭く他の訳も俎上に上せる。三田誠広訳など「ウソ」「でたらめ」「訳したのではなく自分で書いた下手な作文」「欠陥商品」とケチョンケチョンである。この本は三修社から出版予定だったが、再校を終えた段階でご破算となり、結局書肆心水から出ることになったそうだ。こういうケースは同じ出版社から本を出している著者からのクレームを恐れてという事情が多い。たぶんそんなところだろう。幸いすでに第2刷になっているので何よりである。前半に翻訳批評と翻訳意識について書かれている部分があり、そこは面白いが、特に突っ込んだ翻訳理論に触れているわけではない。アマゾンレビューでいえば☆3つか。でもまあ買って損はない本だ。(Amazonやジュンク堂は在庫なしになっているので、Kinokuniya Webにリンクしました。神保町の三省堂1階にもあります。)
■別宮貞徳(2007)『実況翻訳教室』(ちくま学芸文庫)。『英語青年』の「英文解釈演習」をもとにして架空の教室での26講の授業実況中継に仕立てたもの。おなじちくま学芸文庫で『さらば学校英語 実践翻訳の技術』もある。じっくり勉強したい人向け。
■Jeremy Munday (Ed.) (2007) Translation as Intervention (Continuum Studies in Translation) (Continuum International Publishing Group).が11月23日発売予定。コミュニケーションの結果を作り上げる、あるいは作りかえる可能性のある翻訳者(通訳者)の役割に焦点を合わせた論文集。内容は以下の通り。
■FORUM Vol.5 No.2 (2007)が届く。KSCIのサイトには詳しい説明がないので目次を紹介しておく。
The effectiveness of summary training in consecutive interpreting (CI) delivery (Andrew Kay-fan Cheung)
Study of job satisfaction and directions for the training of conference interpreters (Choi, Jungwha)
Transfer of frames during simultaneous interpreting (Lee, Migyoung)
Negotiating in English: serving two masters (Lim, Hyang-Ok)
Directionality in translation and interpreting practice: report on a questionnaire survey in Croatia (Natasa Pavlovic)
"Going simul?" technology-assisted consecutive interpreting (Franz Pochhacker)
La traduction en tant que parcours cognitif-l'aalication a la traduction specialisee (Wei Shao)
Making the most of setting for less (Miriam Shlesinger)
La traduction du theatre francaise en Chine (Xiangyun Zhang)
この他にNotes from the fieldとBook reviewがある。
■これはあまりメディアで取りあげられていないようなので、記録を兼ねて書いておく。そもそもは9月17日の話なのだが、10月末から少数の新聞で記事になっている。「落語に手話「気が散る」抗議で謝罪…三笑亭夢之助さん独演会」。リンク先の記事はいずれ消えるので前半だけ引用しておく。
落語家の三笑亭夢之助さん(58)が9月17日、島根県安来市民会館で行われた同市主催の独演会で、舞台上の手話通訳者に「気が散る」として退場を促していたことが31日までに分かった。通訳はその後も舞台下で続けられたが、聴覚障害者からは「手話と夢之助さんを同時に見ることはできなかった」などと不満の声が噴出。後日、同県ろうあ連盟が夢之助さん側に抗議し、夢之助さんは謝罪文で「落語に集中するためだった」と釈明した。
落語独演会が始まって約5分後。1時間の大ネタ「天災」に臨んでいた夢之助さんは突然、「落語は話し言葉でするもの。手話に変えられるものではない」と切り出した。舞台の真ん中にいた夢之助さんの数メートル横には、聴覚障害者のための手話通訳者が立っていた。
その後も、通訳者の方には目をやらず、正面を見たまま「この会場は聞こえる方が大半。手話の方がいると気が散る」と発言。続けて「みなさんも散りますよね。みなさんがいいとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね」などと語りかけると、会場からは苦笑いが起こった。事実上、舞台から退場するよう促された通訳者は、舞台から下りて手話通訳を続けた。
記事の最後には「自ら手話を用いて落語を行う「手話落語」は、桂福団治、古今亭円菊が有名で、最近では林家正蔵が昨年の大銀座落語祭で行った例がある」との注がついているが、他に林家とんでん平が有名。 主催者側が夢之助に手話通訳がつくことを説明していなかったというのだが、前座にも手話通訳がついているのである。根本には手話と手話通訳にたいする誤解があると思う。