MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

お知らせ

来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。

『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。

『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。

Facebookはこちらです。

Lawrence Venutiを招き講演会

2005年01月25日 | 翻訳研究
お知らせです。

5月28日(土)に立教大学異文化コミュニケーション研究科と立教・異文化コミュニケーション学会共催による公開講演会及び公開シンポジウムを開催します。現代翻訳研究の大物Lawrence Venutiを招きます。
第一部 講演 14:40~15:30
演題「翻訳におけるユーモア:等価・補償・デイスコースの観点から」
ローレンス・ヴェヌテイ氏(米国テンプル大学人文学部教授)
第二部 講演 16:00~17:00
演題「ヨーロッパにおける異文化コミュニケーション研究:政策との関連」
マイケル・ケリー氏(英国サウサンプトン大学人文学部長、現代言語学科教授)
<司会:鳥飼玖美子>
また翌29日(日)に公開ワークショップも行います。
公開ワークショップ:「翻訳・通訳・教育の未来」
ローレンス・ヴェヌテイ氏(米国テンプル大学人文学部教授)
マーサ・テネント氏(スペイン・ヴィック大学翻訳研究科前科長)
さらに詳しい内容についてはまた後日お知らせします。

翻訳研究新刊2点

2005年01月24日 | 翻訳研究
風邪、依然としてなおらず。今週中に修士論文10本熟読、レポート読み、成績評価、他の仕事をしないといけない。

というわけで今日はお休みのつもりだったが、到着した本があるので簡単に紹介。

Miller, J. S. (2001) Adaptations of Western Literature in Meiji Japan. New York: Palgrave.
比較文学の人が書いた明治時代の日本の翻案についての本。(そのまんまです。)たしかに原典を神聖視した受容があった反面、翻案も同時にずいぶん行われていたわけだ。当時の日本人が翻訳に対してこのような分裂的態度を取ったのはなぜなのだろうか。それにしてもこういうテーマの本が出版できると言うことが驚きだ。

Hatim, B. and Munday, J. (2004) Translation: An advanced resource book. London: Routledge.
これは翻訳研究専攻の修士課程の院生向けテキスト。体系的に翻訳研究の理論と実践を学べるように作られている(と著者は言っている)。もうちょっと見てみないと分からないが、たぶんMundayのIntroducing Translation StudiesとThe Translation Studies Readerをつなぐという位置付けになるだろう。翻訳研究は確かに範囲が広すぎるのだが、最初から一つのテーマや分野に自己限定してしまうのはやはりまずいのだ。

日本初の聖書翻訳『約翰福音之書』

2005年01月23日 | 翻訳研究
風邪直らず。昨日は大学院の瀬田先生最終講義と懇親会へ。卒業生も参加して大いに盛り上がっていました。
ところで、乾杯のときの小ネタ、瀬田先生が登場する本は宝島編集部・編『VOW王国笑う広告』(宝島社)です。2003年発売の本ですからまだ書店にあるかも。71ページに「テキトーなキャラクター」というキャプションで問題の似顔絵の写真があり、似顔絵の下には瀬田信哉委員(財)国立公園協会理事長とあります。コメントは「この肖像画はおそらく10秒くらいで描かれています」。要するにどこかの役所の広報に載った似顔絵につっこみをいれているわけですが、まあまあ似てます。
「ハジマリニ カシコイモノゴザル コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル コノカシコイモノワゴクラク」
これは1837年に日本初の聖書翻訳、『約翰福音之書』の冒頭部分だ。現代語訳では「初めに<御言葉>があった。<御言葉>は神とともにいた。<御言葉>は神であった。(ヨハネによる福音書)」となる。翻訳したのはドイツ人宣教師カール・ギュツラフであるが、協力した3人の日本人がいた。尾張(現愛知県知多郡)の廻船の乗組員だった音吉以下3名である。この翻訳について『にっぽん音吉漂流記』(晶文社)を書いた春名徹さんは、「無学な水夫に頼ったために語学的過ちをおかしたなどという誤解もあるので、はっきりしておく必要がある」としてこの部分の訳を擁護している。(春名徹「日本語訳聖書第一号」)つまり「かれ(ギュツラフ)は日本語の「神」という言葉を知ってはいたが、キリスト者としては偶像崇拝者の信仰の対象と神(ゴッド)を区別するために「ゴクラク」の方が好ましいと判断したのであろう」というわけだ。「カシコイモノ」(logos)の訳については三浦綾子が『海嶺』(角川文庫)の中で次のように書いている。
「むずかしいな。舵取りさん」
音吉が頭を抱えた。(・・・)
(よその国の言葉を、自分の国の言葉になおすって、大変なことやなあ)
音吉は、ギュツラフの顔をまじまじと見た。ギュツラフは今までに、何カ国語にも聖書を訳したという。僅か一語でも、これだけ時間をかけて考えねばならない。音吉は改めてギュツラフの偉さを思った。
と、久吉がひょうきんな声で言った。
「な、昔。良参寺の和尚さんな、善悪のわからんもんは、愚か者やと言うたわな」
「ああ言うた、言うた、よう言いなさった」
懐かしい良参寺の境内を思い出しながら、音吉が答えた。
「したらな、善悪をわかる者は、愚か者の反対やろ」
「そうや。それで?」
「したらな、愚か者の反対は、賢い者やろ。どうや、舵取りさん」
今、ギュツラフは、善悪を判断する智恵と、確かに言った。
「なるほど、賢い者か。それがええな」
岩吉がうなずき、ギュツラフに言った。
「かしこいもの」
「カシコイモノ?」
ギュツラフは、ノートにその言葉を書いた。」
もちろんこの場面は三浦綾子の想像であるが、事実もこれとさほど違わなかったろう。
音吉についてはこのサイトが詳しい。

虎ノ門の中心でインターはどこだと叫ぶ

2005年01月18日 | Weblog
ベタですみません。何しろずっと風邪がよくならないもので。もう1週間になるのでそろそろ直るころなのですが。
金曜日のNHK国際研修室の授業に続いて土曜日に虎ノ門に移転したインタースクールプロ科の授業へ。それで表題のようなことになったわけです。方角を90度間違ってしまいました。雨降ってるし、風邪は冷たいし。

たまたま見つけた畠山雄二『情報科学のための自然言語学入門』(丸善)。Xバー理論までしか扱っていませんが、なぜ生成文法が科学であるのかをちゃんと説明している。まあ生成文法がつまらないのには変わりはないのだが。

高安秀樹『経済物理学の発見』(光文社新書)。物理統計学を経済学に応用するという話。ほぼまったく分かりませんが、「くりこみ理論」の考え方は面白かった。しかしインタゲ批判はこれではどうしようもないだろう。

Conference2件

2005年01月14日 | Weblog
翻訳に関する国際会議のお知らせが2件あります。ひとつはJudy Wakabayashiさんからのニュースで、Asia in the Asian Consciousness: Translation and Cultural Transactionsという会議が今年の11月11日から13日まで、インドのBarodaで開催されます。アジア内、インド内の翻訳の伝統、アジア諸言語間の翻訳、インドとアジア各国が翻訳において相互にどのように表象されているか、というのがテーマです。詳しくは学会のほうのHPでお知らせすることになるでしょう。

もうひとつはEuropean Society of Trnaslation Studiesからの連絡。今年の5月2日-6日にEuroconference 'Multidimensional Translation'という会議が、5月7日-12日にはInternational PhD School 'Multidimensional Translation'という催しがあります。くわしくはwww.euroconferences.infoをご覧下さい

Conference Interpretation and Translation最新号

2005年01月12日 | Weblog
Korean Society of Conference InterpretationからConference Interpretation and Translation Vol. 6 (2) (2004)が届いていた。この号の英語論文はRevisiting the Role of InterpretersとA Metacoginitive Approach to Evaluating Consecutive Interpretation for Novice Learnersの2編のみです。

以前近刊案内で紹介したGhelly V. ChernovのInference and Anticipation in Simultaneous Interpreting (John Benjamins)が出たようだが、これはRobin Settonさんとの共著ではなく、Settonさんは英語をチェックしただけだそうだ。これはSettonさん本人からの情報。訂正しておきます。

今日は風邪を引きかけているようなのでお昼で会社を早引け。案の定、熱が少し出た。金曜日にはNHKの国際研修室、土曜日はインターのプロ科の授業があるので体調を崩すわけにはいかない。それが終わるとレポート採点と評価、修士論文の審査などが詰まっている。

Lawrence Venutiの文章

2005年01月11日 | 翻訳研究
ついついさぼってしまいますが、折に触れて書くようにしますので見捨てないで下さい。

昨日は学会の例会。新年早々にもかかわらず新しい参加者もいた。翻訳者の信条(意思決定の価値基準のようなもの)というのはあまり取り上げられないテーマで面白い。方法論など院生には大いに示唆的だと思うのだが。

土曜日の「異文化コミュニケーション研究」で30分のミニ講義をした。タイトルは「異文化受容としての翻訳―ポストコロニアル翻訳理論を中心に」というもの。わりあい面白いテーマだと思うのだが、ポストコロニアル批評は日本では評判がよろしくないと聞く。しかし翻訳理論上は無視できない領域だろう。権力関係の非対称という関係は植民者対被植民者以外にも拡張できる。日本のポストコロニアル批評は満州、台湾などの旧植民地を対象にしているようだが、非対称な権力関係(文化的権力も入る)下の翻訳を考えると、日本の歴史上たとえば「日本書紀」の成立から漢文訓読への流れ、キリシタン文学、幕末から明治初期の翻訳、日本国憲法など、いくつもテーマが出てくるはずだ。

そのミニ講義でちょっとだけ触れたLawrence Venutiの翻訳論のエッセンスがウエブ上で読める。Words Without BordersというサイトにHow to Read a Translationという文章がある。わりと読みやすい文章なのでお薦めだ。

ゆるりと始動 新刊紹介

2005年01月03日 | Weblog
新年おめでとうございます。いや年末にもう一度ぐらいエントリーを、と思っていたのですが、血管性の頭痛で大晦日のK1で武蔵が勝ったあたりでひっくり返り、新年早々アレですがこの頭痛のため久しぶりに吐いてしまいました。僕は寒い中を歩いたために血管が収縮して痛むのかと思っていましたが、逆のようで、拡張して痛むのだというのです。しかも原因は長期に渡るストレスというではありませんか。自分ではこれほどストレスと無縁なやつはおるまいと考えていたのですが、意外に繊細だったのですね。

それで長いエントリーはあきらめて、例によって軽く紹介。
中山真彦(2004)『小説の面白さと言語:日本現代小説とそのフランス語訳を手掛かりに』(新曜社)
日本の現代小説の仏訳を検討しながら、「フランス語訳を読み方のひとつの見本とみなして、それを相手に対話を試み」る、という内容。取り上げられているのは村上龍「コインロッカーベイビーズ」、村上春樹「羊をめぐる冒険」、吉本ばなな「キッチン」、津島祐子「火の河のほとりで」「光の領分」。文学的翻訳論です。
工藤幸雄(2004)『ぼくの翻訳人生』(中公新書1778)
まえがきから引用すると「この本は永年、外国語からの翻訳-ほとんどが異色の作品-をやってきたシガない男の書き下ろしの自分史である」。工藤さんはポリグロットと言ってもいい翻訳者だ。ほんの少ししか触れていないが、極東国際軍事裁判所の弁護団翻訳課の勤務経験が出てくる。またイニシャルにはしてあるが、「呪われた中庭」の翻訳を巡るかなり生々しい「盗訳疑惑」の話もある。買って損しない本です。
『ユリイカ』1月号「特集:翻訳作法」(青土社)。これはまあ特に…。いや、アンケートには面白いのもあります。ところで巻末の新刊(近刊)案内に、日本手話学会事務局長である市田泰弘さんの『手話の言語学』がタイトルだけ載っていた。今月か来月には書店に並ぶだろう。また『月刊言語』(大修館)でも1月号から市田さんの「手話の言語学」の連載が始まる。これで日本の手話を巡る状況も少しずつ変わっていくのだろうか。
『翻訳通訳ジャーナル』2月号に大東文化大学大学院の通訳コースの広告が載っている。4月から日中経済通訳コースも始まる。大学院で本格的に日中通訳コースを設けるのは初めてだろう。