お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■今日たまたまある論文を読んでいたら頭がこんがらかってしまった。この論文はJournal of Pragmatics 36 (2004)に載ったもので、reformulation markers (that is to sayとかin other words, namelyの類のこと)の関連性理論的評価がテーマなのだが、実にわかりにくいのである。たとえばこんな文章。
Implicatures fall into two subgroups: those that make implicated premises explicit and those that concern implicated conclusions.
(後半はimplicated conclusionをexplicitにすること。)冒頭のImplicaturesはExplicaturesの間違いではないのかとも思ったのだが、ここはImplicaturesという小見出しの直後であるし、その前にはExplicaturesが扱われているので間違いではないようだ。仮にExplicaturesであっても分からないことに変わりはない。Implicatureは「推意」や「暗意」という訳語からも分かるように、表意や状況,文脈に基づいて推論した結果得られる「意味」であるはずだ。それがどういう筋道で「含意された前提を明示的なものにする」ことになるのであろうか。その例として挙げられているのが次の文だ。
A typical examples is Ma Tai Sien Koo, namely water chestnuts and mushrooms blended in a light vinegar and lemon sauce, seasoned with chilli, sesame seeds and cherry tomatoes, served on a bed of lemon bean curd. (Asian Times, 11th May 1993)
明らかに筆者はexplicitationのことを言おうとしている。しかもこの文例がAsian Timesからのものであることに何の疑問も抱いていないようだ。この媒体はアジアの事件や事象を英語で報じるもので、英語圏読者向け翻訳のような性質も持っている。この事例は昨日のde Silva先生の話にあった「天声人語」の鯉のぼりの例を思い起こさせる。天声人語の英訳で「鯉のぼり」がちょうどこの例のように説明的に訳出されているケースである。(しかし、これらをexplicitationと言っていいのか、大いに疑問が残るのである。namely以下の説明は、果たして含意されていた想定と言えるだろうか。起点言語の話者にとってMa Tai Sien Kooは「鯉のぼり」が「鯉のぼり」でしかないように、Ma Tai Sien Kooでしかないのではないか?namely以下は単にadded explanationと言うべきではないか。)
思い直して、論文の筆者に好意的に考えてみた。おそらく筆者は「implicaturesに対するreformulation markersの作用(機能)は2つほど考えられる。一つは含意された前提を明示化することであり、もう一つは含意された結論を明示化することである」と言いたかったのではないか。それならそのように書くべきであった。関連性理論を扱いながらこんなにも読者に処理努力を強いる関連性の低い書き方をするのはいかがなものか。そしてそれをacceptしてしまうJournal of Pragmaticsもいかがなものか。
■MRI検査をしてきた。数週間前、軽い顔面麻痺になって診察を受けた際に検査を予約してあったのだった。麻痺の方は3日で完治したのでキャンセルしようかとも思ったのだが、面白そうなので行ってきた。評判に違わず実にうるさい機械だ。しかも轟音にもいろんな種類がある。磁場を発生させるためには仕方がないらしい。検査には20分ほどかかる。確かにうるさいと言えばうるさいのだが、そのうち慣れてうとうとしてしまったよ、私は。
■水野真木子さんからノーマン・フェアクロー(著)貫井孝典(監修)吉村昭市・脇田博文・水野真木子(訳)『言語とパワー』(大阪教育図書)を頂いた。原著はFairclough, N. (2001). Language and Power (Second Edition). (Longman)。Faircloughはvan Dijkと並ぶCDA(批判的談話分析)の雄である。なぜかまだAmazonどころか版元のサイトにも載っていないのでリンクはなし。
訳者まえがき」にあるようにCADについての日本語の本はきわめて少ない(代表的なものは野呂香代子・山下仁(編)『「正しさ」への問い』(三元社)ぐらいか)ので、本書が出版されたのは喜ばしい。実はCADは翻訳研究とも密接に関連する分野であり、数は少ないがいくつか研究もある。日本にも立教の坪井さんのCADを使ったボスニア紛争報道翻訳の分析がある。CADはフーコーなどの現代思想とも関係があるし、僕は詳しくないがポストコロニアル翻訳研究とも当然関連しているはずだ。この方面に関心のある人にとっては必読文献になると思う。この翻訳では「訳者まえがき」の中に各章の簡単な紹介があり、続いて「キーワード一覧」が置かれるなど、読者の理解に資する工夫が見られる。さらに巻末には和英対照の索引と英和対照の索引を付すという親切な作りになっている。また巻末にまとめられることが多い訳注が各章の末尾に付けられているのも便利だ。
■これは買わないわけにはいかないだろうなという本。安井稔『英語学の見える風景』(開拓社)。伝統的なトピックスの他に「文法的メタファー」、「コミュニケーションと翻訳」、それに「早期英語教育」まで扱っている。英語学自体はそれほど面白いものとは思わないが、この人の書くものだけは面白かったのである。