お知らせ
■来月からこのサイトをMITIS(水野通訳翻訳研究所)ブログに変更します。研究所の活動内容は、研究会開催、公開講演会等の開催、出版活動(年報やOccasional Papers等)を予定しています。研究所のウェブサイトは別になります。詳しくは徐々にお知らせしていきます。
■『同時通訳の理論:認知的制約と訳出方略』(朝日出版社)。詳しくはこちらをごらん下さい。
■『日本の翻訳論』(法政大学出版局)。詳しくはこちらをごらん下さい。
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■会社の引っ越しのために荷物の整理や箱詰め。ようやく治った腰痛が再発しないよう注意しながらの作業だったが、それでも腰から下が疲れた。ともあれ明日から9連休に入る。連休が明ければ新しい社屋への通勤時間は3分になる。(これまでは15分。部屋の窓から社屋が見える。ということは向こうからも見えるということか。)
■明日翻訳教育調査プロジェクトの初会合を開催します。
日時: 2007年4月28日(土) 13:00-15:00
場所: 立教大学3号館 3210(2F 打合せ室2)
内容: 現状進捗報告と今後の具体的な計画立案
お時間のある方はどうぞ。
■会社の引っ越しが近づいてきたので、会社に置いてある本を整理していると、1990年に出た『ブックレビュー:誘う書評・闘う書評03』(弓立社)というのが出てきた。その冒頭に産経新聞のコラム「斜断機(か)」対三笠書房の「パーフェクト・ウーマン論争」というのが載っている。まず「斜断機(か)」が、三笠書房刊の瀬戸内寂聴監訳『パーフェクト・ウーマン』(コレット・ダウリング原作)について、ダウリングの前作『シンデレラ・コンプレックス』が木村治美訳で出たあと、柳瀬尚紀の全訳版が出たことに疑義を呈した上で、木村治美の前作の訳と『パーフェクト・ウーマン』の訳文のスタイルが寸分違わないことを「奇怪」だと指摘する。そして「前作のスタイルを本の装幀にいたるまでそっくりにして別の有名人の訳ということで出すというのはどういう神経なのか。読者をなめきっているにもほどがあるではないか」と批判した。
これに対し三笠書房の書籍編集部長が反論するのだが、全訳版出版については「深い背景がある」「どうして取材しないのか」というにとどまり、理由を挙げない。さらに、「瀬戸内、木村の訳文スタイルがまったく同じだとしているが、原文の流れがどちらもそうなっていて、しかも著者が同一人物だというのに、それがどうしておかしいのか。文章のわかっている人の言とはとうてい思えない」と語るに落ちるようなことを言う。
「斜断機(か)」は「「反論」への反論!」で、「原文の流れがそうなっていて著者が同一人物なのだから同じ訳文のスタイルで何が悪いかと言っているが、それなら翻訳者の名前は何の為に違うのか。同じ原作にいくつもの翻訳の出るケースはざらにある。それにもし、違う翻訳者が同一の訳文のスタイルを用いていたら一体何とそしられると思うのだろうか」と、当然の反論を行う。論争はあと一回三笠書房の社長が出てきて、産経新聞が「斜断機(か)」を黙認しているのはけしからんと見当はずれなことを言い、それに対し産経新聞文化部が社長は報道と評論を混同していると軽くいなして終わる。
三笠書房側の言い分のどこがおかしいかは説明するまでもないと思う。瀬戸内寂聴監訳『パーフェクト・ウーマン』のことは知らなかったが、『シンデレラ・コンプレックス』が木村訳→柳瀬訳になったことについては以前から不思議に思っていたのだった。コラムという制約上、訳文を詳しく検討していないのが残念だ。だれかやってみる人はいないだろうか。
三笠書房刊の翻訳についてはもう一つ不思議に思っているものがある。フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』なのだが、これがあの渡部昇一訳で出てかなり売れたはずである。ところがいつの間にか絶版になっている。絶版の理由についてはフクヤマが誤訳が多いことに腹を立てて申し入れたという説と、渡部のイデオロギーが気にくわなかったという説があるようだが、よく分からないのである。これもだれか訳文を検討してくれる人はいないだろうか。
ついでにもう一つ。大学時代にサリンジャーのFranny and Zooeyを読まされることになり、多くの出来の悪い学生の例に漏れず当時角川文庫から出ていた鈴木武樹の訳本を買った。ところがこの訳本がほどなく絶版になってしまい、しばらくしてから改版が出たのだったか、とにかくそういうことがあったのである。あれはいったい何だったのか、今でも謎なのだ。(鈴木武樹はテレビの「クイズダービー」にも出ていた一種の才人だったが早くして亡くなった。)
■京都にあるユニプランという出版社から日本通訳学会宛てに『忍者と剣豪への旅 A Journey to the World of Ninja and Kengo』という本が送られてきた。英文と日本語が対照され、沢山の写真や図版がついたバイリンガルのガイドブックだ。主に通訳ガイドにとって便利な本だと思うが、一般の通訳者にとっても役に立つところはあるだろう。お礼を兼ねてここで取りあげておきます。
■パリのESITが11月に国際会議をやるとのことで、そのお知らせをJAIS What's NEWに掲載しました。
■何年かぶりに風邪を引いてしまったのと腰痛のため、更新が途絶えていました。以前から気になっていた菅季治について少し。ジュンク堂池袋店に平澤是曠『哲学者菅季治』(すずさわ書店)が1冊だけ残っていたので買ってきた。(Amazonでは扱っていないが版元にはまだ残っているかも知れない。)シベリア抑留については若い人はなじみがないかもしれないが、僕の場合はよく家に出入りしていたおじさん(姻戚関係はない)がシベリアに抑留されていた人で、酔っ払うと「露助がよう…」とくだを巻いていたのを覚えている。
「敗戦の年から五年目を迎え、廃墟の瓦礫の中からようやく復興のきざしが見えはじめた1950(昭和25)年4月6日の夜、東京の街は降りしきる春の雨に濡れそぼっていた。
午後7時25分ごろ、中央線立川発上り東京行き1910B電車が吉祥寺駅にさしかかろうとしたちょうどそのとき、突然左側電柱のものかげから黒い人影が姿を現し、レインコートを電車に投げつけて、雨に鈍く光る鉄路を疾走する車両に頭から躍りこんだ。菅季治(かんすえはる)の生の最後の瞬間だった。」(平澤著p. 7)
菅季治はこのとき32歳。哲学の学徒だった菅季治はシベリアに4年間抑留され、カラガンダの収容所で通訳の役目をしていた。昭和25年に帰還した「日の丸梯団」と名乗る引き揚げ者の一群は、自分たち日本人捕虜の帰国が遅れたのは共産党書記長の徳田球一がソ連に「反動思想を持つ者は帰すな」と「要請」したからだとして、真相解明の懇請書を国会に提出する。これはカラガンダの収容所で、政治部将校のヒラトフ少尉が捕虜からのいつ帰れるのかという質問に対し、「日本共産党書記長徳田球一氏より…思想教育を徹底し共産主義にあらざれば帰国せしめざる如く要請あり云々」と答えたということを指している。この通訳をしたのが菅季治であった。徳田球一は「私が反動を帰すなと要請したというのは作り話である」と「要請」の存在を否定した。菅は国会の引揚委員会に召喚され、執拗な質問を受ける。
「菅は…政治部将校が日本人捕虜の質問に答えたときのことを、「カクダー・ヴイ・モージェテ・パエハティ・ダモイ…」とロシア語を引いて説明した。そして「私は大体直訳する方が間違いないと、いつも通訳の経験から信じておりましたので」と前置きし、政治将校の言ったことを、徳田は「民主主義者として帰国することを期待している」と訳したと証言した。それに対し、保守党議員から矢のような質問が彼に集まった。それは期待ではなく、要請ではなかったのか、と。」(p. 198)
これが「徳田要請問題」といわれるものだが、ソ連が崩壊し、野坂書簡など様々な情報が公開されている今も、徳田書簡の存在は確認されていない。菅季治の自死は喚問の翌月であった。詳しい経緯は平澤の著書か澤地久枝の『私のシベリア物語』を読んでいただきたい。(澤地の本は長い間幻の書だったが今では古書店で簡単に入手できる。)もう一人の悲劇の通訳者とも言うべき菅季治は、戦後史の専門家の間では有名なようだが、通訳の世界ではほとんど知られていないため、あえてここに記しておくことにした。
■『明治文化全集第14巻飜譯文藝篇』は「伊蘇普物語」やリットンの「花柳春話」、シェイクスピアの翻訳などを収め、翻訳史研究には欠かせないが、13巻の『時事小説篇』も副題に「附続飜譯文藝篇」とあるので気になっていた。実際入手してみると「暴夜物語」、「鬼啾啾」、「狐の裁判」、「西洋娘節用」の4編が収録されており、ページ数でもほぼ2分の1を占めている。「鬼啾啾」(宮崎夢柳訳)の「緒言」には「…篇中三人の事跡を抜粋敷衍し、且つ近日西字新聞の伝ふるところを湊合して…」とあるように、いわゆる豪傑訳である。その中にこういう人物が出てくる。「抑も此の一等警視ドレボフを狙撃せし曲者は誰ぞ。此は即はちウエラ、サシュリツチにて、其の身は最早世の中に養うべきの親もなく、侍づくべきの人もなく…。」晩年のマルクスの『ヴェラ・ザスリッチへの手紙』のヴェラ・イ・ザスリッチその人である。ザスリッチはいわゆるナロードニキで、20歳にもならない時にロシアの警視総監トレボフ中将をピストルで狙撃する。これはヨーロッパでは大事件だったようである。この事件の記述を訳した「鬼啾啾」が当時の自由民権運動に影響を与えるのである。
■運転免許の更新に行く。この前までは日比谷公園前の警察署だったのが、今回から内神田にある運転免許更新センターになった。平日の午前中(というか朝)のせいか、5,6人しかいない。1時間もかからずに終了した。このセンターには悪名高い交通安全協会の窓口がなかったので、理不尽な交通安全協会費を取られずにすんだ。これまでは知らずに払っていたようなのだが、ほとんど詐欺である。対価として何かサービスがあるかと思いきや何一つない。財政報告などもちろんない。「請求」されてもうっかり払わないように。というか、免許更新制度自体にも問題がありそうだ。
■このセンターのすぐそばに首塚があったのをあとで知った。見てくればよかった。
■第5回プロのコミュニケーションと翻訳研究国際会議
5TH INTERNATIONAL CONFERENCE ON PROFESSIONAL COMMUNICATION AND TRANSLATION STUDIES
First Call for Papers:13-14 September 2007
開催地:Timisoara, Romania
The conference aims to continue and develop the exchange of ideas on the
following topics:
* Communication and public relations: theoretical and didactic problems and solutions
* Linguistic insights into professional communication
* Translation theory and translation didactics: their roles in communication
Conference format
* Sections: Communication and public relations, Linguistics, and
Translation studies
* Types of presentation: talk (20 minutes), workshop (45minutes)
* Working languages: English, French, German and Romanian
Conference Proceedings: Selected papers will be published in the volume of conference proceedings (Languages of publication: English, French, German)
Important dates
Abstract submission deadline: June 15, 2007
Second Call for Papers (accommodation, registration fee, and publication
guidelines): May 15, 2007
Notification of acceptance and first draft of the conference programme: July 15, 2007
Final draft of the conference programme: September 1, 2007
■新しい翻訳研究の国際誌のお知らせ
Call for papers
MonTI 1:1 (January, 2008)
The Universities of Alicante, Valencia and Castellón have set up a new international journal on translation: MonTI (Monographs in Translation and Interpreting). What makes this journal different is that each issue (which will come out every six months) will be devoted to one single topic, analysing it in depth and trying to open new and critical debates. Each issue will be an independent book and will have a defined and homogeneous identity.
The essays can be written in English, Spanish, French, German or Catalan. MonTI will be published first in book format and, after a six-month interval, in electronic format.
詳しくは以下を参照のこと。
http://www.ua.es/en/dpto/trad.int/publicaciones/index.html
■昨日は4時から国際研修室の講師会に出席するため久しぶりに渋谷へ。渋谷のセンター街は一段と人が多くなっているような印象を受けた。近頃になって思うのだが、民間の通訳学校はいずれも何か新しいビジョンが必要なのではなかろうか。通訳研究は徐々に進んできてはいるが、通訳者の養成は実質的には依然として民間の通訳学校が担っている。(この面では大学院はまだまだだろう。)しかし、「養成」とは言っても実際には「通訳者になれる人が勝手に育つ」、という状況はほとんど変わっていないのではないのか。どの学校でどのような教え方がされているのかについてデータがないので確定的なことは言えないが、だいたいのところは想像がつく。もちろん単体で採算をとらなければならないという制約があること、教師役の通訳者は専任で教えるわけではないことは承知している。しかし、教材、導入方法、カリキュラム、教授方法、教授内容、評価方法とフィードバックについて、そろそろ各学校が独自のビジョンをもって考えるべき時期に来ている、そんな気がする。それは学校の存続にも関わる問題だろう。抽象的な言い方で申し訳ないが、通訳教育の方法についてはもっと考えてから具体的に提案してみたい。
■山内義雄(1992)『飜譯者の反省(こつう豆本・117)』(日本古書通信社)。何もこんなものまで、とは思ったのだが。しかも特装版で、200部中66冊目であった。翻訳以外の山内義雄の著書には、他に『遠くにありて:山内義雄随筆集』(毎日新聞社、1975)がある。いずれも翻訳の手法や態度についての言及はない。ところで、高野文子の『黄色い本:ジャック・チボーという名の友人』の中で使われている「チボー家の人々」は山内義雄訳である。「チボー家の人々」は山内訳を経由して、『黄色い本』の中でも感動的にその「死後の生」を生きている。
■John Benjaminsから新しいBook Gazetteが送られてきたので通訳翻訳分野の新刊をタイトルだけ紹介しておこう。詳しい内容はJohn Benjaminsのサイトで見ることができる。
Doubts and Directions in Translation Studies: Selected Contributions from the EST Congress, Lisbon 2004.
The Critical Link 4: Professionalisation of Interpreting in the Community: Selected Papers from the 4th International Conference on interpreting in Legal, Health and Social Services Settings, Stockholm, Sweden, 20-23 May 2004.
In Translation - Reflections, Refractions, Transformations.
■NOVAが最高裁で敗訴確定し、Ladoがつぶれるなど、英会話業界は大変なようですが、追い打ちをかけるように(そういうわけでもないだろうが)、瀬古浩爾『目にあまる英語バカ』(三五館)という本が出た。特に目新しい点があるわけでもなく、あまり面白い内容ではない。例えば英語学習本で取りあげているのが「ビッグ・ファット・キャット」「英語は絶対、勉強するな」「英文法の謎を解く」「ドラゴン・イングリッシュ」「なんで英語やるの」など、どうでもいい本ばかりである。しかしこれが解毒剤になる向きもあるのかもしれない。
「まとめ」の部分で同意できる項目をいくつか挙げておこう。
・英語「第二公用語論」は妄想、愚劣、無内容。要するに寝言である。
・10年も勉強したのにしゃべれないという不満は当たっていない。あなたは実質的に10年も勉強してはいないのである。よくいうよ。
・落ちこぼれたらいい大学、会社に行けないというなら勉強すればいい。それだけのことである。
・ネイティブ並みの発音でなければならないというのは悪質な脅迫である。もちろんネイティブ並みになってもいい。だれも止めない。