MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

『日本語は論理的である』

2009年08月07日 | 

明日は理事会のため準備書類作成で忙殺される。事務処理能力が明らかに落ちているのを自覚するこのごろである。

月本洋『日本語は論理的である』(講談社選書メチエ)。「あとがき」の最初の部分が本書の要約になっている。
「多くの日本人は、日本語が非論理的であると思い込んでいる。しかし、日本語は論理的である。その論理は特殊な論理でもなんでもなく、数学で使う形式論理(の中の命題論理)なのである。日本語は非論理的であるという思いこみは、日本語に主語がない場合が多いことに起因している。学校で主語がなくてはいけないと教えられたから、主語がない場合が多い日本語は、非論理的だと思い込んでいるのである。(…)この自虐的言語観を払拭するには、学校文法を見直さねばならないのである。
また、現在進められている小学校英語教育は、生徒の英語力を向上させないどころか、日本文化の将来に対して悪い影響を与えるのではないかと、私は危惧している。母音脳が完成していない小学生の段階で、英語教育を通して子音脳の形成を促進するのは、母音脳の形成を阻害するものであり、日本語の文法や論理に悪い影響を与えるだろう。」
この著者は1年前に同じシリーズで『日本人の脳に主語はいらない』。(この本を紹介したかどうか記憶がない)を出していて、後半の母音脳、子音脳の話はそちがら詳しい。基本的な主張は「主語や人称代名詞が必要な言語現象は脳というハードウェアに依存する」というもので、今回の新著でも「日本人は、発話開始時には母音を左脳の聴覚野で脳内で「聴く」ので、右脳の自他分離を担う部分である聴覚野の隣(下頭頂葉と上側頭溝後部)を刺激しない。よって、自分と他人の識別の度合いがあまり強くなく、自分と他人を識別する人称代名詞をあまり発しない」と述べている。
面白い仮説だがもっとも危ういところでもある。いつも言うように、構造から機能を導き出すことは極めて難しい。また、日本人の多くが、主語を強調する学校文法にもかかわらず主語や人称代名詞を「省略」してしまうのは、たんにそういう言語規範があり、それを社会的に学習するからに過ぎないのではないかという身も蓋もない反論が可能だ。
言語はシンタックスでさえ変化する。それと脳機能との関係はどういうことになるのだろうか。


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