光山鉄道管理局・アーカイブス

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新幹線開業前夜の盛岡駅ビルの思い出ばなし(笑)

2023-11-23 05:30:18 | 旅行・探訪・イベントなど
 今回のはなしは、当時を知る盛岡市民か、さもなければよほどの駅ビルマニアでもないと面白くないであろう内容である事を予め申し添えておきます(汗)

 現在の盛岡駅ビルの商業施設「フェザン」が開店したのは、東北新幹線の盛岡~大宮間の暫定開業の前年、昭和56年の春の事でした。

 その2,3年前に同様のコンセプトの駅ビル商業施設である仙台の「S-PAL」がオープンし、200キロ離れた盛岡にまでTVCMをバンバン打っていた事もあり「盛岡にもS-PALみたいなのができるのか」と期待に胸膨らませたものですw

 事実、開店当日などは文字通り「全店が東京の国電の車内並みに混雑し」あまりの混雑ぶりに「店内を見て回る間に、2,3回足を踏まれた」というのも今ではいい思い出です(そうか?)
 当時から老舗デパートだった川徳やサンビルとも異なる都会的に見えるノリのデパートメントだったフェザンは、市内とはいえ中心繁華街から離れた場末のイメージの強い駅前のイメージを一新させるものでした。
 
 さて、開店当初こそ盛況だったフェザンですが、当時は新幹線は開業しておらず、それどころかフェザンに直結する新幹線コンコースはまだ工事中。
 
 盛岡駅前そのものが新幹線が開通するまでは市街地の中でも場末に属するところだったため、普段でも休日や夜に積極的に繰り出す場所ではなかったのです。
(繁華街が集中する市街地と駅の間に北上川をはさんでいて実質的に開運橋以外の連絡経路がなかった事、駅の向こう側(西側)が広大な機関区と雫石川と言う大河で周囲から隔離されていた事で、市内にありながら地元民にすら僻遠の地の印象が強かった)

 とどめに工事中だった盛岡駅の仮駅舎までもがフェザンから隔離された駅前広場のど真ん中にありましたから、駅の利用者が本屋からフェザンに向かう事すらも結構な遠出になっていたのです。

 バス乗り場やタクシー乗り場こそ今と変わらない規模だったものの、そんな訳で当時の盛岡駅前通りは文字通り「駅に用のある人しか行かない」独特の異空間でした。
 日曜日の昼間、中心街の大通りや肴町通が賑わっているのに駅前通りはその半分かそれ以下の人通り。当然フェザンの客足もそれに準ずるものになります。
 休日でそれなのですから、ましてや平日の昼間の寂れっぷりときたらありませんでした。

 ですが、実はこの微妙な時期、当時のわたしは昼休みになるとほぼ毎日フェザン及びパルモ(元々の盛岡ステーションデパート。現フェザン地下1階)に通い詰めていました。
 何の事はない、昼飯に駅の立ち食いソバを食べるのと近所で屈指の充実度だったフェザン3階の書店(当時は誠山房)に立ち読みに行くのが楽しみだったからですw
 で、昼休みになると買いたてのタクトフルマークを駆って駐輪場(今の立体駐車場の一階、現在はダイソーが入っているフロア)に向かい、そこから隣の駅ビルに直行していました。

 盛岡駅の駅そば(またはうどん)は福田パンと並ぶわたし的「平日の昼飯の定番」だった訳ですが、一杯200円くらいのそばをかっ込んだ後は立ち読みついでに「書店以外半ば無人状態のフェザン内を逍遥」したり、これまた岩手初出店の「ロッテリア(現在のタリーズコーヒーの位置にあった)」の窓辺からスープをなめつつ「人通りのない駅前の閑散ぷりを眺める」のが日課でした(不毛だなあ・・・)
 事実、当時の盛岡駅前は「それ以外する事が無い場所」だった訳ですが、今の駅前の繁華さを思えば実は「それ自体が貴重な経験だった」事に改めて気づかされます(爆笑)

 この状態は(わたしの記憶では)東北新幹線が開業した後も10年くらい続き、秋田新幹線の開業や東京駅への直結が果たされた21世紀初頭辺りから今の賑わいに近づいてきたような印象があります(尤も、その頃の記憶は専ら「帰省のついでの買い物客」としての視点にすぎませんが)
 その頃にはあの広大な機関区も整理され、跡地が副都心化した事や北上川や雫石川に橋が4本以上整備されたこともあって、駅前周辺は新たな繁華街に変わってきた観があります(おそらく21世紀以降にターミナル駅周辺がこれ程大きく変化したところもそうないのではないでしょうか。まあ先述の様に元々が寂れ切っていた場所だったからですが)

 それに、同じ駅のモールでも駅利用者の利便の良かった地下のステーションデパート(旧パルモ、現フェザン地下1階)だけは当時でもそこそこ人出があった記憶がありますし。
 あと有難かったのは、当時はフェザンの2階から1番線ホームに直結した改札口があった事で、何かの用事で駅から在来線の列車を使うときは「列車の来る直前ぎりぎりまで立ち読みができた」というメリットが(同じ事は地下の改札口の真ん前にあったパルモの「久保庄書店」でもできました。全く当時の盛岡駅は本好きには優しい環境だった!)

 フェザンの建物は現在でも一部を除いて当時のままの外観・構造ですが、今では平日夜の閉店ギリギリでもそれなりの人出ですし、平日でも朝10時をちょっと過ぎれば駐車場が満車になってしまう賑わいを見せていますから、あの頃を知る者には全く隔世の感があります。



 今では帰省の時にはホテルから徒歩30秒で行ける様になったフェザンですが、あの頃と同じ様に店内を逍遥しているとふと40年前に立ち返ったような錯覚を覚える事があります。


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