◾️「アガサと殺人の真相/Agatha and The Truth Of Murder」(2018年・イギリス)
1926年、アガサ・クリスティは11日間行方がわからなくなる。多数の警察官も動員されたこの騒ぎは謎に包まれている。本作は、クリスティの私生活にまつわる謎に、こんなことやってたら面白いかも?という発想で作られたフィクション。英国チャンネル5で放送されたドラマシリーズの第1話である。
この謎の11日間は、バネッサ・レッドグレーブ主演の「アガサ/愛の失踪事件」として映画が製作されたこともある。中学生の頃にテレビで観た記憶はあるのだが、内容はよく覚えていない。そう言えば、最近の「ウエストエンド殺人事件」でもクライマックスでクリスティが登場する。作家本人を描く作品が製作されるのは、それだけ愛されている証。
執筆の悩みと夫婦生活の危機に悩んでいたアガサ。やろうと思い立ったことには「女だから無理」と拒絶され、夫には「愛してない」と言い放たれる。そんな時に、6年前に列車内で起こった看護婦殺人事件を追っている人物から、犯人探しを手伝って欲しいとの申し出が。最初は断ったアガサだが、偽の相続話をでっち上げて関係者を集めることを思いつく。
登場人物が狭い空間に一堂に会するという、クリスティ作品にはお馴染みの舞台。そこで予期せぬ殺人が発生して、「次は誰?」というムードに引っ張るのは、クリスティらしさが感じられる分かりやすい筋書きになっている。警察が介入して
「身分を偽っている者がいれば捕まえるぞ」
と最初に関係者に告げるが、アガサ自身がまさに素性を偽っている。犯人探しのミステリーと、アガサだとバレるかの二重のハラハラが用意されている脚本はなかなか面白い。後者は意外とあっさりした結末にはなるのだが。
集まった人々がクリスティの小説について話を始める。
「アクロイド殺しの犯人はすぐにわかった」
「いちばんあり得ないと思える奴が犯人」
と目の前で酷評される様子が面白い。練りに練ったプロットのはずなのに「すぐに犯人がわかる」とか言われると、作者としては悔しくて仕方ない。フーダニットだけがミステリー小説の面白さではないはずなのに。
映画の最後に、アガサは執筆中の作品のタイトルを「ナイルに死す」と書き換えたように見える。「ナイル」は犯人探しだけでなくポアロの人物像にも迫ったビターな作品。今度は犯人探しだけでないひとひねりした作品を発表しようという意欲と感じられた。が、「ナイル」が発表された時期は失踪よりもかなり後のようだから、わかりやすいフィクションってことなのだろうか。
この謎の11日間は、バネッサ・レッドグレーブ主演の「アガサ/愛の失踪事件」として映画が製作されたこともある。中学生の頃にテレビで観た記憶はあるのだが、内容はよく覚えていない。そう言えば、最近の「ウエストエンド殺人事件」でもクライマックスでクリスティが登場する。作家本人を描く作品が製作されるのは、それだけ愛されている証。
執筆の悩みと夫婦生活の危機に悩んでいたアガサ。やろうと思い立ったことには「女だから無理」と拒絶され、夫には「愛してない」と言い放たれる。そんな時に、6年前に列車内で起こった看護婦殺人事件を追っている人物から、犯人探しを手伝って欲しいとの申し出が。最初は断ったアガサだが、偽の相続話をでっち上げて関係者を集めることを思いつく。
登場人物が狭い空間に一堂に会するという、クリスティ作品にはお馴染みの舞台。そこで予期せぬ殺人が発生して、「次は誰?」というムードに引っ張るのは、クリスティらしさが感じられる分かりやすい筋書きになっている。警察が介入して
「身分を偽っている者がいれば捕まえるぞ」
と最初に関係者に告げるが、アガサ自身がまさに素性を偽っている。犯人探しのミステリーと、アガサだとバレるかの二重のハラハラが用意されている脚本はなかなか面白い。後者は意外とあっさりした結末にはなるのだが。
集まった人々がクリスティの小説について話を始める。
「アクロイド殺しの犯人はすぐにわかった」
「いちばんあり得ないと思える奴が犯人」
と目の前で酷評される様子が面白い。練りに練ったプロットのはずなのに「すぐに犯人がわかる」とか言われると、作者としては悔しくて仕方ない。フーダニットだけがミステリー小説の面白さではないはずなのに。
映画の最後に、アガサは執筆中の作品のタイトルを「ナイルに死す」と書き換えたように見える。「ナイル」は犯人探しだけでなくポアロの人物像にも迫ったビターな作品。今度は犯人探しだけでないひとひねりした作品を発表しようという意欲と感じられた。が、「ナイル」が発表された時期は失踪よりもかなり後のようだから、わかりやすいフィクションってことなのだろうか。