Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

アガサと殺人の真相

2024-06-05 | 映画(あ行)


◾️「アガサと殺人の真相/Agatha and The Truth Of Murder」(2018年・イギリス)

1926年、アガサ・クリスティは11日間行方がわからなくなる。多数の警察官も動員されたこの騒ぎは謎に包まれている。本作は、クリスティの私生活にまつわる謎に、こんなことやってたら面白いかも?という発想で作られたフィクション。英国チャンネル5で放送されたドラマシリーズの第1話である。

この謎の11日間は、バネッサ・レッドグレーブ主演の「アガサ/愛の失踪事件」として映画が製作されたこともある。中学生の頃にテレビで観た記憶はあるのだが、内容はよく覚えていない。そう言えば、最近の「ウエストエンド殺人事件」でもクライマックスでクリスティが登場する。作家本人を描く作品が製作されるのは、それだけ愛されている証。

執筆の悩みと夫婦生活の危機に悩んでいたアガサ。やろうと思い立ったことには「女だから無理」と拒絶され、夫には「愛してない」と言い放たれる。そんな時に、6年前に列車内で起こった看護婦殺人事件を追っている人物から、犯人探しを手伝って欲しいとの申し出が。最初は断ったアガサだが、偽の相続話をでっち上げて関係者を集めることを思いつく。

登場人物が狭い空間に一堂に会するという、クリスティ作品にはお馴染みの舞台。そこで予期せぬ殺人が発生して、「次は誰?」というムードに引っ張るのは、クリスティらしさが感じられる分かりやすい筋書きになっている。警察が介入して
「身分を偽っている者がいれば捕まえるぞ」
と最初に関係者に告げるが、アガサ自身がまさに素性を偽っている。犯人探しのミステリーと、アガサだとバレるかの二重のハラハラが用意されている脚本はなかなか面白い。後者は意外とあっさりした結末にはなるのだが。

集まった人々がクリスティの小説について話を始める。
「アクロイド殺しの犯人はすぐにわかった」
「いちばんあり得ないと思える奴が犯人」
と目の前で酷評される様子が面白い。練りに練ったプロットのはずなのに「すぐに犯人がわかる」とか言われると、作者としては悔しくて仕方ない。フーダニットだけがミステリー小説の面白さではないはずなのに。

映画の最後に、アガサは執筆中の作品のタイトルを「ナイルに死す」と書き換えたように見える。「ナイル」は犯人探しだけでなくポアロの人物像にも迫ったビターな作品。今度は犯人探しだけでないひとひねりした作品を発表しようという意欲と感じられた。が、「ナイル」が発表された時期は失踪よりもかなり後のようだから、わかりやすいフィクションってことなのだろうか。 




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靴みがき

2024-06-03 | 映画(か行)

◾️「靴みがき/Sciucia」(1946年・イタリア)

監督=ビットリオ・デ・シーカ
主演=リナルド・スモルドーニ フランコ・インテルレンギ アニエロ・メレ

ネオリアリズモと呼ばれたイタリア映画では、戦後のイタリア庶民が直面する厳しい状況が描かれた。ビットリオ・デ・シーカ監督は「自転車泥棒」も同時期の名作として名高いが、本作は少年たちの辛い物語を軸にしているだけに、公開当時は多くの観客が涙をにじませたに違いない。この監督が後に艶笑コメディ撮るなんて、この悲しい物語しか知らなければ想像もできないかも。

アメリカ軍が駐留する戦後のイタリア。靴みがきをして家計を助け、生計を立てている少年、パスクァーレとジュゼッペは、兄から米軍の払下品を売る仕事を頼まれる。それが盗品だったことから警察に逮捕され、二人は少年院に送られる。主犯について黙っていた二人。しかし取調官がジュゼッペに乱暴しているように見せかけたことから、パスクァーレは自白してしまう。二人の関係は崩れ始める。

観てる間ずっと、「みんなビンボが悪いんじゃ!」って高橋留美子のコミックに出てくる台詞が頭をよぎる。貧困を描いたイタリア映画と日本映画には敵わない、めいた評論を目にしたことがあるが、「靴みがき」を観ていると、それは確かにそうかもと思わされる。

子役が可哀想な役柄を演じて観客を泣かせるだけの映画なら、この世にいくらでもある。けれど「靴みがき」には大人たちの汚さやズルさ、生きていく厳しさもきちんと描かれていて、単に子供が可哀想なだけの話に終わっていない。少年たちのトラブルの責任を取らさせられる中間管理職的なおじさんの悲痛な表情。権威を誇るだけのその上司。ジュゼッペの親に依頼された弁護士は、親がいないパスクァーレに全ての罪をなすりつけようとする。

悪い仲間に唆されて脱走を謀るジュゼッペ。行方を追うのに協力を申し出るパスクァーレ。二人が対峙するラストはあまりの悲劇に言葉を失った。予備知識を入れなかったので、単に貧しい暮らしが描かれるだけの映画だと思っていた。しかし少年院での人間模様の巧みさには引き込まれた。院内で映画鑑賞会が催される夜、パスクァーレが「寝起きができて食事もできて、たまには娯楽まである。外にいるよりマシだ」と呟く。刑務所を行き来している大人が言うのではなく、子供の口からこの言葉がでるのは、なんとも切ない。みんなビンボが悪いんや。





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関心領域

2024-06-01 | 映画(か行)


◾️「関心領域/The Zone Of Interest」(2023年・イギリス=ポーランド=アメリカ)

監督=ジョナサン・グレイザー
主演=クリスティアン・フリーデル ザンドラ・ヒュラー ラルフ・ハーフォース

環境音に人はいつしか慣れてしまう。緊急自動車のサイレンがひっきりなしに聞こえるから物騒なところと感じることも、線路沿いの騒音や振動も、人はいつしか慣れてしまい、疑問に感じなくなってしまう。本作はアウシュビッツ収容所に隣接する家の日常が上映時間の大部分を占める。目の前を映像として通り過ぎるのは、家族が食事をし、子供が庭で遊び、妻はメイドに支持を出し、夫は仕事から帰宅する、そんな風景。しかし、そのバックには異なる音が重なってくる。塀向こうから聞こえてくる罵声と悲鳴、銃声、低く唸り続けるボイラーの音。とんでもないことが塀の向こうで起こっているのに。

二つの音声を同時に聴きながら、映像とは別の出来事が起こっていることを感じ取る。確かに、聴覚で視覚とは違う情報を感じ取る映画なんてこれまでなかった。それが塀を隔てて、映像に映る何気ない日常と、映像に映らない地獄絵図が共存する。僕らが目にできるのは、塀の向こうに見える煙突から立ち上る不気味な煙だけ。ビジュアル表現に頼りがちな映画製作の場でこれまでなかった試みだと思う。

アカデミー賞に媚びる気はないけれど、見世物シアターの大音響で鑑賞することを前提とした「オッペンハイマー」ではなく、本作が音響賞を受賞したのは、テクノロジーや臨場感よりも映画表現としての効果を評価したということなのではなかろうか。普通は観ている映像を飾るのが音響なのに、映像で見えないものを間接的に表現しているのだから。

クライマックスでカメラが収容所の中に入って、観客が見せられたのはそこで命をおとした人々が身につけていたものが積み上げられた山。その尋常でない光景に愕然とする。子供の頃、社会科の資料集で積み上げられたメガネの写真を見て衝撃を受けたのを思い出した。ホロコーストものはやはり観ていて辛いけれど、語り継ぐことも映画の大切な役割。

一家の感覚が麻痺していることは、言葉の端々に現れる。「落下の解剖学」も素晴らしかったザンドラ・ヒュラーが演ずる妻は、気に入らないメイドに「あんたなんか灰にしてそこらに撒いてやる」と言い放つ。また所長である夫は、軍のお偉いさんが集まったパーティの光景を見て、ガス室を思い浮かべてしまう。「天井が高いから殺せないな」のひと言にゾッとした。じんわりとしみてくる、うすら寒い怖さ。一点透視図法や左右対称を強調した構図も冷たい印象でした。

エンドクレジットで流れる、悲鳴をサンプリングしたような不気味な音楽。この映画で感じた気持ちを忘れさせまいと記憶と身体に刻み込んでくるような威圧感がある。二度観ることはないだろうが、この感覚はきっと肌身が忘れない。

されど、観客に分かりやすいストーリーが示されない映画なので、受け入れにくい作品でもある。そうした方には、似たシチュエーションの「縞模様のパジャマの少年」を是非観て欲しい。物言わぬラストシーンが強烈な悲しみと怖さを残してくれるはずだ。



◇こちらも是非ご覧を。


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