昏睡状態の同業者さん、やっぱり逝ってしまった。
先週の木曜日に意識が無くなり、3日間頑張ったようだけど、ついに日曜日に力尽きてしまった。病気が発覚して、ちょうど1年だった。2月ごろは体調も良くて「治ったら、快気祝いを盛大にやりましょう!」と、話したことを、つい昨日のことのように思い出す。体重が「60キロを切ったよ…」と、話したのが、3月の初旬、そのころから食事が取れなくなり、食べても戻す状態が続いて、歩く速度はどんどん遅くなっていった。さすがにちょっと大丈夫かなと思ったのが、3月の半ばを過ぎた頃。それでも亡くなるとは思えなかったし、本人も「薬の副採用だから…」と、これを乗り切ればと思っていたと思う。
この1年は病気の話しかしなかった。最初は他人事のような感じだったけれど、どんどん痩せていく姿を見ていると、病気の恐ろしさのようなものを感じるようになった。抗がん剤や放射線の治療後、体に起こる異変なんかを詳細に話してくれるので、現実的な感覚で受け止めるようになっていったところもある。人が衰えていく様を、継続的に見ていたのは初めてのことだった。だからこそ、他人事のはずなのに心が痛いのかも…。
年を取るということは、人の死を受け入れていくことの苦痛を乗り越えていくことでもあるのかな…。いつか自分の身に起こった時、間違いなくこの1年の彼を思い出すと思う。
きちんとお礼やお別れを言えなかったこと、それが心残りでもある。
所詮、最後なんて、こんなものなのかもしれないけれど…。
先週の木曜日に意識が無くなり、3日間頑張ったようだけど、ついに日曜日に力尽きてしまった。病気が発覚して、ちょうど1年だった。2月ごろは体調も良くて「治ったら、快気祝いを盛大にやりましょう!」と、話したことを、つい昨日のことのように思い出す。体重が「60キロを切ったよ…」と、話したのが、3月の初旬、そのころから食事が取れなくなり、食べても戻す状態が続いて、歩く速度はどんどん遅くなっていった。さすがにちょっと大丈夫かなと思ったのが、3月の半ばを過ぎた頃。それでも亡くなるとは思えなかったし、本人も「薬の副採用だから…」と、これを乗り切ればと思っていたと思う。
この1年は病気の話しかしなかった。最初は他人事のような感じだったけれど、どんどん痩せていく姿を見ていると、病気の恐ろしさのようなものを感じるようになった。抗がん剤や放射線の治療後、体に起こる異変なんかを詳細に話してくれるので、現実的な感覚で受け止めるようになっていったところもある。人が衰えていく様を、継続的に見ていたのは初めてのことだった。だからこそ、他人事のはずなのに心が痛いのかも…。
年を取るということは、人の死を受け入れていくことの苦痛を乗り越えていくことでもあるのかな…。いつか自分の身に起こった時、間違いなくこの1年の彼を思い出すと思う。
きちんとお礼やお別れを言えなかったこと、それが心残りでもある。
所詮、最後なんて、こんなものなのかもしれないけれど…。
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