昨日、帰国致しました。
7年ぶりの中国、今回は青島経由で北京へ。
北京では、かつて目も当てられなかった恐怖の公衆トイレもすっかり
生まれ変わり(しかし、未だ扉はない。もちろん大のほうだ)また、
古い街並みもほとんど整備され、街は本当にきれいになっていた。
強制的に立ち退きを迫られた人々のその後などを考えなければ、
中国はオリンピックを機に、ある意味本当にがんばったようである。
北京へ着いた当日、そのまま北京駅へ直行し、黒龍江省のハルピン
行きの切符を購入する。15分並んですんなり硬臥が買え、普通の国に
なりつつある中国を実感した。さすがに当日の硬臥は難しいだろうと
思っていたので、なんだか拍子抜けですらあった。上段で263元
(約3600円)。中国の列車は、深緑色の窓の開く従来の客車から、
空調完備型に移行しつつあるようで、あらためて時代の流れを感じた。
これにより、硬座でも以前と比べると料金は、多少上がったようである。
一度は訪れたかったハルピン。ロシアが作った街並みと、満州国時代の
建築物が残り、街はとても垢抜けていた。ロシア雑貨のお店やロシア料理の店
も多く、ここではロシア三昧である。創業100年以上の伝統あるロシア料理屋
では1500円ほどでフルコースが食べられる。これで2人分の料金である。
元で考えれば高いが、店の雰囲気も良く、日本で考えれば1~2万くらいする
ような店である。コストパフォーマンスは最高であった。連日通ってしまった。
宿泊先は、満州国時代の旧大和ホテルである。といっても今では普通の
賓館だが、ここの貴賓楼は当時の建物を使用していて凄かった。
貴賓楼には高くて泊まれなかったので、中だけを見せてもらったが、
重厚観溢れる内装は、とてもノスタルジックな気分にさせてくれた。
おそらくは、伊藤博文や石原莞爾など、当時の政治家らも泊まった
ことであろう。そう思うと、非常に感慨深いところであった。
ハルピンは黒龍江省の省都で大きな街だが、大きな道を1本外れれば、
時折、ロバが荷を引いて走っていたり、道端には白菜やネギが天日干し
されていたりと、割とのどかなところでもあった。
見所などはあまりないので、街を歩いてはボーッとしての繰り返しである。
寒い地方なので、非常に強い石炭臭のする街であった。
つづく…
7年ぶりの中国、今回は青島経由で北京へ。
北京では、かつて目も当てられなかった恐怖の公衆トイレもすっかり
生まれ変わり(しかし、未だ扉はない。もちろん大のほうだ)また、
古い街並みもほとんど整備され、街は本当にきれいになっていた。
強制的に立ち退きを迫られた人々のその後などを考えなければ、
中国はオリンピックを機に、ある意味本当にがんばったようである。
北京へ着いた当日、そのまま北京駅へ直行し、黒龍江省のハルピン
行きの切符を購入する。15分並んですんなり硬臥が買え、普通の国に
なりつつある中国を実感した。さすがに当日の硬臥は難しいだろうと
思っていたので、なんだか拍子抜けですらあった。上段で263元
(約3600円)。中国の列車は、深緑色の窓の開く従来の客車から、
空調完備型に移行しつつあるようで、あらためて時代の流れを感じた。
これにより、硬座でも以前と比べると料金は、多少上がったようである。
一度は訪れたかったハルピン。ロシアが作った街並みと、満州国時代の
建築物が残り、街はとても垢抜けていた。ロシア雑貨のお店やロシア料理の店
も多く、ここではロシア三昧である。創業100年以上の伝統あるロシア料理屋
では1500円ほどでフルコースが食べられる。これで2人分の料金である。
元で考えれば高いが、店の雰囲気も良く、日本で考えれば1~2万くらいする
ような店である。コストパフォーマンスは最高であった。連日通ってしまった。
宿泊先は、満州国時代の旧大和ホテルである。といっても今では普通の
賓館だが、ここの貴賓楼は当時の建物を使用していて凄かった。
貴賓楼には高くて泊まれなかったので、中だけを見せてもらったが、
重厚観溢れる内装は、とてもノスタルジックな気分にさせてくれた。
おそらくは、伊藤博文や石原莞爾など、当時の政治家らも泊まった
ことであろう。そう思うと、非常に感慨深いところであった。
ハルピンは黒龍江省の省都で大きな街だが、大きな道を1本外れれば、
時折、ロバが荷を引いて走っていたり、道端には白菜やネギが天日干し
されていたりと、割とのどかなところでもあった。
見所などはあまりないので、街を歩いてはボーッとしての繰り返しである。
寒い地方なので、非常に強い石炭臭のする街であった。
つづく…