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【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

広島には激辛つけ麺があるのだ!

2012年03月10日 | 旨いもん!旨いもん!!
広島には激辛つけ麺があるのだ!

ということで・・・

広島での仕事の最終日の今日、ご同行して頂いた課長に『激辛つけ麺』を食べに連れて行ってもらった。

その店は五日市にあった。この界隈では一番美味いらしい。

メニューを見ると、辛さが調整できるようだ。



ということで・・・

オレは辛いのが好きな課長に合わせて、20倍を頼んだ。

なかなかどしっと辛く、美味かった!

しかしなぜ、つけ麺とはこんなに高いのだろうか・・・。ラーメンだと大体700円も出せば食べれるのに、つけ麺を頼むと今日も1100円とかなのである。

素朴な疑問である~






広島放浪2012春 『恐るべし~ホルモン・利根屋!』

2012年03月09日 | 旅三昧!釣り三昧!
広島での最終夜、こちらで世話になっている島さんの紹介で、ホルモン焼きの『利根屋』へ行ってきた。

ホテルより歩いて5分ちょっと、薄暗い路地を抜けたところにその店はあった。

金曜日だから1人じゃ入れないかなと思いつつ伺ったのだが、どうにかカウンターに座れる事が出来た。

オーダーはよくわからないので、ホルモンと小腸を頼んだ。

「野菜はいれる?」という無愛想な大将の言葉。

「いれてください!」と敬語で答えた。

島さんの話では、味噌だれが上手いという。

目の前にその味噌だれが出された。



いやはや、唸る美味さであった。

オレは実は、モツ鍋は好物だが、ホルモン焼はあまり食べない。しかしその前提はいとも簡単にくつがえされたのであった。

少し酸っぱい味噌だれにホルモンをつけて食べる。ビールがすすむ。食べる。すすむ。また食べる。またすすむ。

『作家・梁石白』の小説に出てくるオレの想像するホルモン焼であった。

しかし広島は奥が深い。もっともっとディープな広島をこれからも探求せねばと、腹一杯のオレは満足してホテルに戻ったのであった。


春風ぬけるしまなみ海道を走った~

2012年03月07日 | 徒然日記
朝8時、広島駅前のレンタカー屋さんで、マツダの小さな車を借りて今治まで日帰りで行ってきた。

瀬戸内は暖かい。春の兆しを感じれる風、凪いだ内海、レモンを実らせた木、のんびりとした雰囲気。しまなみ海道。

いつもながらも大好きな場所であった。

久しぶりに、時間の合間に親しくして頂いたお客様のお墓を参ってきた。

広島に戻り、なかなか調子に乗れていないスタッフらとお好み焼きにいってきた。

DO for THE BEST and PREPARE for THE WORST!

今日はMAIの目標としていた公立高校の受験であった。

MAIから今までで一番難しかったとのメールがあった。

結果はどうであれよく頑張った。お前は既に親思いにも学費免除で私立に受かっているのだから、十分に遊べと伝えた。

親として、もちろん子供が目標通りの道をまっすぐ進んでほしいというのが本心だが、ここで仮に思うようにならなかったとしても、それで目標を達成することが如何に難しいということを認識し、物事は一筋縄ではいかない事を学び、これから将来に向けての人生の糧となれば、それはそれでも良いと思ったりしている。

よく頑張ったと思っている。


時の経つのは本当にはやい~

2012年03月05日 | 徒然日記
昨日、明石海峡大橋から四国を経由し、しまなみ海道を突っ切って広島まで辿り着いた。

さすがに600キロ近い運転は堪える。

そして今朝、広島のお取引先百貨店の朝会にて挨拶をさせて頂いた。

今週は広島滞在である。

そして今週水曜日は長女MAIの高校受験日でもある。

遠く広島からエールを送りたいと思う。

実は、オレはこのブログを立ち上げる前、今はなきMSNのコミュニティにて『ザ・写真部』というサイトを持っており、そこにこのブログと同様、だらだら日記を書き残していたのだが、サイトがなくなる直前、それをA4用紙に印刷して会社の引き出しにファイルしてあるのだ。

先週末、9年前に書かれたそれが引き出しの奥にあるのを見つけ、さらっと読みなおしていたらこんな事が書いてあった。

ある休日の日曜日、1階の和室で寝ているオレの布団にMAIが、もぞもぞと入ってきた。

「パパ今度の休みいつなん?」と聞かれたので、

「ん…、今度の日曜日やよ~」って寝ぼけながら答えたら、

「じゃあ、ドングリ拾いに連れて行って!」と云われたのでなんだか嬉しかった。

時の経つのは本当にはやい。

来週はあの震災から1年である。あの時の記憶は、もちろんオレの脳裏を離れない。離れるはずがない。

時の経つのは本当にはやい。

新町のばあちゃんの17回忌法要

2012年03月02日 | 徒然日記
今日は、清水家祖母の17回忌法要があった。

春先らしい天候の下、清水家先祖代々が眠る西蓮寺に親戚一同が集まった。



『智月院至空浄心清和大姉』というのが祖母の戒名である。



その後、西陣にある老舗料亭『萬重』にて宴があった。



みんな、当然の事ながら歳を重ねている。

清水家は1776年だかまでは遡るらしい。オレの世代が11代目となるらしい。

今まで聞いた事のなかったいろんな昔話を聞いた。おばあちゃんのキャッツアイの話。おじいちゃんの出生の話。

みんな、いつまでも元気でいて欲しいと内心思った。

今を生きれている事に感謝。先祖に感謝。

先進国と物乞いの関係~四つ葉ちゃんで合格祈願

2012年03月01日 | 徒然日記
今日、枚方パーク(ひらパー)の横をクルマで抜けてきた~

幼少の頃、よく母親に連れて来てもらった『ひらパー』の記憶は『菊人形展』である。 なぜかいつも『菊人形展』であった。たぶん我が家の年一行事だったのであろう。

話は変わるが、当時、遊園地入口の付近には、いつも戦争で手足を失い白布を全身に巻きつけた物乞いが数名おり、少し怖かった記憶がある。

コレを書いていてふと思ったが、アジアの物乞いは、大概何もせず、路上や歩道橋の脇辺りに座りこみ、自分自身を哀れみの対象として乞うている人が多いような気がする。

一方、ヨーロッパの物乞いは、何がしかの自身の出来る事を精一杯行ない、小銭を乞う人が多いような気がする。

例えば、リスボアの目抜き通りでは、弦の切れたヴァイオリンで「イパネマの娘」を弾く物乞いを見かけたし、シチリアでは信号で止まるクルマのフロントガラスを半ば強引に磨き、小銭をせびる物乞い達がいつもいる。バルセロナには薔薇の花束を持ってリストランテの中を歩き回り、客に花を売りつける物乞いもいる。

そして更に考えたら、今の日本にはそういう物乞いの人って見かけない事に気づいた。

国が先進すれば、物乞いの形も変わるのかな…? 素朴な疑問である。

営業での帰路、四条烏丸西入るにあるFB友の「まさみっちゃん」の店の前に置かれている幸運の「四つ葉ちゃん」に出向き、来週高校受験の長女MAIの為の合格祈願をしてきた。

店の中に「まさみっちゃん」いるやろか~と外から覗いてみたが、スタッフの方々が忙しそうにお客様の接客をしている様子をみて、邪魔しちゃ悪いと帰ってきた。

今月30日、東京の友人・恵の帰洛に併せ、計画している『愉快な仲間達 in Kyoto』の宴にて会えるはずだろうし、それはそれでいいのだ。

恵とはその後、恵の息子を連れて白浜の雑魚釣り基地へ1泊2日の釣り旅に出る予定にしている。天気が良いといいなぁ~。