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【タックの放浪記】  思えば遠くへきたもんだ・・・     by Tack SHIMIZU

心に刻まれたその一瞬、心に響いたその一言、心が震えたその想いを徒然と書き記したい。この記憶から消え去る前に…

旅がらす~KODAKの頃より

2012年03月13日 | 旅三昧!釣り三昧!
バーゼル国際宝飾展『BASELWORLD』にて思い切った仕入れを実施した後、ミュルーズへ戻る列車からの車窓をぼんやり眺めながら、オレはつくづく『旅がらす』なんだなぁと思っていた。

しかしこの旅三昧は今に始まった事ではなく、大学を卒業しKODAKへ入社した時より、そういう日々であった。

社会人となったKODAKの頃は、心臓カテーテル検査の為のフィルムの日本市場での販売促進がオレのメインタスクであり、実際、配属になった当初、その当時の60%という国内シェアを上げるのも下げるのも君次第だと、直属の上司に云われ、発奮したのを覚えている。

当時は全国に心カテ(心臓カテーテル検査)を実施する基幹病院が800件近くあり、その病院のフィルムをKODAKに切り替えるべく飛び回っていた。

当時は、ひと月に18回飛行機に乗ったこともある。その月々変わる、JALとANAの機内のイヤホンで耳にする音楽のプログラムは自然と覚えてしまったりしていた。

羽田空港にあるカレーショップの味気ないカレーライスに、カレーリッチという名前だったか辛味を加えるラー油のようなスパイスがあり、いつもそれをたらふくかけて食っていた記憶がある。

たった3年という期間であったが、オレは自分なりに医学書などを密かに買ったりして、冠状動脈の番号を覚えたり、どうすればフィルム画像が良くなるかを学んだりした。

古くなった心カテ装置では、単にコントラストを上げるのではなく、逆にコントラストを下げたり、フィルムに届くX線量を抑えたりして画像を良くする方法を経験的に覚えた。

少なくともその3年間は、KODAKの心カテ用フィルムに関して、日本一精通していたと自負している。

若手の放射線技師のため、心カテ画像を良くするための講演にもよく呼ばれた。

結果的には、時代も時代であったのであろうが、オレはいつも落とさず全国シェアを上げる事が出来た。

自分なりには、それが今のオレの自信となり、今のオレのビジネスベースとなっていると疑わない。

話がずれた~

旅をし、いろんな街に出向き、いろいろ見聞すること。これは好奇心が強くないと精神的にも肉体的にも苦痛となる。

しかし、一生何事にも好奇心旺盛で生きていければ、どんなことでも楽しみになる。

好奇心を持って前に進んでいけば、ほんの小さな小さなことでも発見があり、未知な物事を知る事が出来る。

これから先もずっと好奇心を失わずに進んでいきたいと思っている。

時差ぼけで目がしょぼしょぼである。

このロゼを空けたら寝る事にしよう。