忘却への扉

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曖昧が政治の貧困を招く

2016-02-20 | 共に

 【 政治家の語彙不足 研さを 】 伊予市 男性( 6 2・会社経営  )
 ◇最近、テレビなどを視聴していて気になるのは「しっかり」という言葉の多用だ。特に政治家が「しっかり」を連呼するのが目につく。
 ◇べつに「しっかり」という言葉が悪いわけではない。日本語は多種多様な表現方法があるのに偏ってしまうのが心配だし、言葉に慣れっこになって政治姿勢や政策実施の意思が明確に伝わらない面もある。
政治家本人の語彙(ごい)不足や分析不足など、政治の貧困を物語っているのではないだろうか。政治家は明確な哲学と深い教養、そして詳しい政策知識を持つべきだ。そのためには勉強する時間が必要だ。衆院が首相の一存でいつでも解散できる現在の政治の在り方では、議員で居続けるための活動に時間を割かれる生活になってしまう。
 ◇内閣不信任案の可決など特別の事情がない限り、衆院議員には国民がゆだねた任期いっぱい努めてほしい。任期が保障されている参院議員にあっては、より厳しく自己研さんに努めてもらいたい。]
                                    《 こだま 読者の広場 》 地方紙「投稿欄」より

 ( 忘却への扉 ) 昨日の国会中継を聞いていても、ほとんどは政治屋で政治家と呼べる人など少数派だと感じてしまう。
 官僚の仕上げた答弁書を読み上げるだけの安倍首相さえ、「思います」 「思う」と断言を避ける癖がある。野党議員に安倍首相本人の答弁を求めても、担当相に任せ逃げることも多い。
 政治屋たちの「しっかり」という言葉の多用は、自らが「しっかり」していないことの自覚を表しているのだろう。
 所属政党が握っている、巨額の税金の政党助成金や実質賄賂の企業・団体献金の分け前を多少なりとも余計にもらえるよう懸命になるのに必死。政治を商売と考えている政治屋に衆院まで任期いっぱい任せるなど危険すぎる。政府側の答弁で対する相手を「先生」と呼ぶのもおだてているようで笑ってしまう。


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