【 平和の意味考え憲法論議を 】 八幡浜市 男性( 86・無職 )
◇昭和20年7月24日、突然グラマン戦闘機の機銃掃射をうけ「あわや」というところで一命を拾った。私は、この年の8月30日にわずか14歳で最後の予科練生「海軍少年航空兵」として松山海軍航空隊へ入隊することに決まっていた。しかし、敗戦により入隊することはなかった。
◇1週間の体験入隊で若い教官は叫んだ。「きさまらの乗る飛行機は一機もない。人間魚雷に乗って敵艦に突入するのが諸君の任務である」「はい、わかりました。日本帝国のため一命をささげます」と何のためらいもなく叫んだ。今思うといかに軍国教育が怖いものだったか。敗戦が決定的になってからも、多くの有為な人材を南海の果てに散花させたのである。こんなことが二度とあってはならない。戦後の国民は日本のために必死で働き学び、努力を重ね、今日の日本の基礎を築いたのである。
◇この72年間の平和のありがたさを改めて認識してほしい。戦争の本当の怖さを知らない今の政治家に「平和とは何か」を真剣に考え、憲法論議を重ねてほしい。]
《 こだま 読者の広場 【 終戦の日に思う 】 》 地方紙「投稿欄」より
( 忘却への扉 ) あの人は私を知らず、挨拶を交わす程度の関係ではあったが、この投稿欄で身近に感じるようになった人。
軍国主義日本の教育で洗脳され、14歳で命を捨てる覚悟とは。私の知人は数年年上か?だが、試験に落ち、その後受けずに生き延びた。
米国のために戦争をする国へと憲法改正を言う、日本会議と神社本庁系の政治屋たちらが、憲法論議などすべきでない。まずは日本国憲法の原点に立ち返ることこそ必要で、自らを反省すべきでなのだ。
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