何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

なぜこの会社はモチベーションが高いのか

2010-08-19 22:05:18 | Book Reviews
なぜこの会社はモチベーションが高いのか ~働く皆が幸せな会社~ 坂本光司・著、商業界、2009年9月25日

p.2 筆者はこうした「ヒト」であれ「人材」であれ、社員を他の経営要素、経営資源と並列に扱うような経営の考え方・進め方には反対です。また筆者は「人材」という文字も嫌いです。材料ではあるまいし、「人財」という文字を使うべきなのです。
 というのは、「モノ」であれ「カネ」であれ「技術」であれ、はたまた「情報」であれ、人財である社員がつくり、利活用する経営要素、経営手段だからです。加えていえば、好況を持続するのも、また不況を克服するのも、その唯一の経営資源は、新しい感動的価値の創造的担い手である人財をおいて、他には存在しないからです。まさに企業の盛衰は、人財の有無やその優劣にかかっているといっても過言ではありません。

p.3 業績不振の企業のリーダーたちは、これとは逆に、自社の業績を高めることや、会社を成長発展させることこそ自身の最高・最大使命と勘違いし、まるでアメとムチを社員の目の前にぶら下げたような、社員への愛や社員の幸福を実現しようという気持ちがまったく感じられない経営を実践してきたのです。

p.13-4 「企業の業績が高い結果として、高賃金が支給され、また福利厚生も充実し、その結果として社員のモチベーションが高まるのでは・・・・・」と、疑問を持つ読者もいるかもしれませんが、それは誤解です。

p.14 私は不況という経済現象は、いつの時代も経営者や社員という内部人財と顧客という外部人財の「2人の人財」によって人為的に創られるものと、いつも理解認識しています。というのは、ミクロである企業の不況とは、時代・顧客が求める新しい感動的価値の創造力や提案力が低下、あるいは比較劣位化することにより訪れるからです。

p.14 また欺瞞に満ちた経営や人を犠牲にしたような経営を行う人々に対する買い控え運動によっても、ミクロ、つまり企業の不況は訪れます。まさにミクロである企業の不況は、時代・顧客が求める新しい感動的価値の創造的担い手たる社員と、そのサービスを受ける顧客のモチベーションの低下によりもたらされるといっても過言ではないのです。

p.17 このように売上高の動向別で見ても経常利益率の動向別で見ても、社員のモチベーションが高い企業ほど、その業績も高く、逆に社員のモチベーションが低い企業ほど、その業績も低いということが分かります。その意味では経営者をはじめ組織のリーダーたちは、企業の業績を高めることを最優先した経営を行うべきといえます。

p.22 一般社員への「職場ではどんな時に一番生きがいを感じますか」という設問に対し、最も多かったのは「仕事が面白いと感じる時」28%、以下「自分の仕事を達成した時」23%、「自分が進歩・向上していると感じる時」17%、そして「自分の仕事が重要だと認められた時」12%と続いています。一方「賃金・福利厚生等が良い時」や「昇進する時」は、いずれもわずか1%程度となっているのです。

p.32 「社員の情報を正直に公開できない企業が、お客さまに対して正直でいられるはずがない」というのが上田社長の持論です。

p.56 伊藤社長の願いは「社員の夢を叶えられる会社にしたい」ということ。日本電鍍工業を「100年企業」にして、皆が安心して勤められる会社となればよいと考えています。

p.61 「私たちは病院規模を拡大せず、小規模経営に徹してきました。それは最終的には医療の質を維持するためですが、もう一つは職員と患者様全員の顔が見え、コミュニケーションを保てる人数の限界という意味で現状の規模にこだわりたいというのが経営者としての私の哲学であり、信念でもあるのです」

p.61 「成長よりも成熟が大切です。小規模であっても社会的価値を創造し続けることができる病院として充実していくこと。この時代に生き残っていくためには人が集う病院、人を引きつける病院、いわゆるマグネットホスピタルになっていくことが必要です。まずは職場としての魅力を備え、働く人たちに納得し、満足してもらえる環境をつくること。そして『ここで働きたい』と思われる病院になること。病院の質は規模の大きさでは決まりません。」

p.63 「待遇などの条件だけで仕事をする人は経営者がどんなに心血を注いで想いを語りかけても結局、組織に定着させることはできません。雇用条件によって職場を選ぶような価値基準の異なる人を採用していては職員が定着しない悪循環から脱することは難しいのです」
 であるならば価値観を共有できる人の採用に徹底的にこだわろうということです。

p.67 「仕事とは人に感動を提供すること」

p.86 「働くスタッフが不満を抱え楽しさを感じられずに働いていたら、美味しい菓子をつくったり、良い接客ができるわけがない」

p.89-90 それでもオープンキッチンにこだわる理由は、パティシエにお客様を感じてもらいたいからです。どんなお客様が自分の作ったお菓子を食べてくれるのか、そのお客様がどのような表情で買いに来るのか、どれだけ楽しみに待っていてくれるのかを実際に見てもらうことが大切だと考えるからです。

p.96 教える教育ではやるべきことを指示されるため「なぜ、それを行うのか?」という本質を理解しないまま行います。そのため作業をすること自体が仕事となってしまいます。それではいつまでたってもやらされ感が抜けず仕事を楽しめません。 #edu

p.109 「伝統とは革新の連続」

p.122 課題としては田島社長曰く「経営理念を納得して理解し自らの行動で示してくれる」「周囲の人が喜んでくれることが仕事の上で最大の喜びと理解する」スタッフをどれだけ増やせるか、どれだけ社内に浸透できるかだといいます。

p.133 「夢をあきらめるな!バカとよばれてもいいじゃないか!(Stay Hungry. Stay Foolish)」

p.182 「社員が成長すれば、お客様が喜ぶ。お客様が喜べば、会社の売上や利益が上がる。会社の売上や利益を気にするのなら、社員の成長を気にすれば良い」


p.190 管理職はその組織がお客様の満足と幸せのために果たすべき使命・役割を部下に対して、明確に示さなければなりません。そしてその実行に際しては、可能な限り権限の委譲を行い、部下が常に最高の状態、最善の方法で職務に専心できるよう良い環境を準備するとともに、継続的にサポートしなければなりませrん。そして部下が成長したならば、邪魔にならないようにしなければなりません。

p.190-1 社員のモチベーションが高い企業においては、好不況にかかわらず人財の育成に注力しているばかりか、より人財たらんと意気込む人々をあらゆる機会をとらえ、発掘・発見する努力をしているのです。そして、こうした社員にこそチャンスを与え続けていくのです。

p.191 モチベーションの高い企業や組織、さらにはその結果としての業績の高い企業には、もともと優秀な社員、モチベーションの高い社員が豊富にいたわけではなく、普通の社員をモチベーションの高い人財に変身させてしまう魅力的なトップとミドルの存在と見事な組織風土・企業文化が形成されているのです。
 しかしながら一方、社員のモチベーションの低い、その結果として業績が低い企業においてはこのことがまったく逆で、せっかく人財たらんと意気込む社員が自身の目の前にいるにもかかわらず「管理」という名の冷たい刃物で、みすみすそのやる気を削いでしまっているのです。

p.192 「株主等出資者」を追求すると、どうしても短期の業績に目を奪われ、「社員とその家族」「社外社員とその家族」(外注企業・下請企業)「現在顧客と未来顧客」「地域住民」への思いが弱くなってしまうのです。

p.195 仕事に対するやりがいを簡単にいうと、「仕事を通じて、自身の成長が確認できる」とか「自分が担当している仕事が真に世のため、人のために役だっているという実感がある」とか、さらには「主体性を持って、仕事に取り組んでいる」といった状況です。

p.203 経済的にはある程度豊かさを手に入れた社員は、今やお腹を満たす制度や社内競争激化させる制度ではなく、心を満たす制度の方がより重要と判断しているのです。
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論語と算盤

2010-08-19 00:04:59 | Book Reviews
現代語訳 論語と算盤」 渋沢栄一・著、ちくま新書827、2010年2月10日

p.8-9 もともと「資本主義」や「実業」とは、自分が金持ちになりたいとか、利益を増やしたいという欲望をエンジンとして前に進んでいく面がある。しかし、そのエンジンはしばしば暴走し、大きな惨事を引き起こしていく。だからこそ栄一は、「実業」や「資本主義」には、暴走に歯止めをかける枠組みが必要だ、と考えていた。

p.9-10 栄一は、この『論語』の教えを、実業の世界に植え込むことによって、そのエンジンである欲望の暴走を事前に防ごうと試みたのだ。

p.29 自分も驕らないようにし、相手も侮らず、お互いに信頼し合って隙間風の吹かないようにとわたしは努めている。

p.35-6 わたし自身が逆境に立たされたとき、自分でいろいろ試し、また何が正しい道筋なのかという観点から考えてみたことがある。その内容をここで明かしてしまうと、それは逆境に立たされた場合、どんな人でもまず、「自分の本分(自分に与えられた社会の中での役割分担)」だと覚悟を決めるのが唯一の策ではないか、ということなのだ。現状に満足することを知って、自分の守備範囲を守り、「どんなに頭を悩ませても結局、天命(神から与えられた運命)であるから仕方ない」とあきらめがつくならば、どんなに対処しがたい逆境にいても、心は平静さを保つことができるに違いない。
 「人にはどうしようもない逆境」に対処する場合には、天命に身をゆだね、腰をすえて来るべき運命を待ちながら、コツコツと挫けず勉強するのがよいのだ。

p.66 物事の善悪や、プラス面とマイナス面を見抜けないような人では、どれだけ学識があったとしても、よいことをよいと認めたり、プラスになることをプラスだと見抜いて、それを採ることができない。

p.66-7 「智」ばかりで活動ができるかというと、決してそうではない。そこに「情」というものがうまく入ってこないと、「智」の能力は十分に発揮されなくなってしまう。

p.70 単に自分の財産とか、地位とか、子孫の繁栄といったものは二の次にし、もっぱら国家社会のために尽くすことを考えている。なので、人のために考え、善行を心がけ、人の能力を援助し、それを適所において使いたいという思いを、はちきれんばかりに持っている。この心がけが、世間の人から誤解を招くことになったそもそもの原因かもしれない。

p.81-2 こんな場面(単純に割り切れないこと)に陥ったなら、相手の言葉に対して、常識に照らし合わせながら自問自答してみるとよい。こうすると「相手の言葉に従うと、一時は利益を得られるが、あとで不利益が起こってくる」「この事柄に対しては、こうきっぱり処理すれば、目先は不利でも将来のためになる」といったことが、はっきりわかってくるものである。

p.88-9 人というものは往々にして、その仕事が自分の利害には関係のない他人事だったり、儲かっても自分が幸せにならず、損をしても不幸せにならなかったりすれば、その事業に全力で取り組もうとしない。ところが自分の仕事であれば、この事業を発展させたいと思い、実際に成長させていく。これは争えない事実なのだ。
 しかし一方で、そういった気持ちが強すぎ、他人に勝とうとしすぎたり、世の中の空気や事情を読まないままに、自分さえよければいいという気持ちでいたりしたら、どうなるだろう。必ず自分もしっぺ返しをくらい、一人で利益を上げようと思ったその自分が、不幸に叩き落とされてしまうのだ。

p.89 「物事を進展させたい」「モノの豊かさを実現したい」という欲望を、まず人は心に抱き続ける一方で、その欲望を実践に移していくために道理を持って欲しいということなのだ。その道理とは、社会の基本的な道徳をバランスよく推し進めていくことに外ならない。

p.93 「まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても金儲けせよ。しかし、まっとうでない手段をとるくらいなら、むしろ貧賤でいなさい」ということになる。やはりこの言葉の一方の側面には、「正しい方法」ということが潜んでいることを、忘れてはならない。

p.99 人情の弱点として、利益が欲しいという思いがまさって、下手をすると富を先にして道義を後にするような弊害が生まれてしまう。それが行きすぎると、金銭を万能なものとして考えてしまい、大切な精神の問題を忘れ、モノの奴隷になってしまいやすいのだ。

p.102 お金の本質を本当に知っている人なら、よく集める一方で、よく使っていくべきなのだ。よく使うとは、正しく支出することであって、よい事柄に使っていくことを意味する。

p.141 「致良知(ちりょうち)――心の素の正しさを発揮する」といった考え方は、すべて自分を磨くことを意味している。自分磨きは、土人形を造るのとはわけが違う。自分の心を正しくして、魂の輝きを解き放つことなのだ。自分を磨けば磨くほど、その人は何かを判断するさいに善悪がはっきりわかるようになる。だから、選択肢に迷うことなく、ごく自然に決断できるようになるのである。

p.144 何にせよ、社会に生きる人々の気持ちが利益重視の方向に流れるようになったのは、およそ世間一般から人格を磨くことが失われてしまったからではないだろうか。
 もしかりに国民の頼りとするべき道徳の規範が確立し、人々がこれを信じながら社会のなかで自立したとしよう。そうすれば、人格はおのずから磨かれるようになる。その結果、社会のことを考えるのが大きな流れとなり、自分の利益だけを追求すればよしといった風潮はなくなるであろう。

p.157-8 そもそも何かを一所懸命やるためには、競うことが必要になってくる。競うからこそ励みも生まれてくる。いわゆる「競争」とは、勉強や進歩の母なのである。しかしこれは事実である一方、「競争」には善意と悪意の二種類があるように思われる。踏み込んで述べてしまえば、毎日人よりも朝早く起きて、よい工夫をして、知恵と勉強とで他人に打ち克っていくというのは、まさしくよい競争なのだ。しかし一方で、他人のやったことが評判がよいから、これを真似してかすめ取ってやろうと考え、横合いから成果を奪い取ろうとするのは悪い競争に外ならない。

p.164 「一個人の利益になる仕事よりも、多くの人や社会全体の利益になる仕事をすべきだ」という考え方を、事業を行ううえでの見識としてきたのだ。そのうえで、多くの人や社会全体の利益になるためには、その事業が着実に成長し、繁盛していくよう常に心がけなければならない。

p.168 およそ人として、その生き方の本筋を忘れ、まっとうでない行いで私利私欲を満たそうとしたり、権勢に媚びへつらって自分が出世しようとするのは、人の踏むべき道を無視したものでしかない。それでは、権勢や地位を長く維持できるわけではない。

p.181 「信用こそすべてのもと。わずか一つの信用も、その力はすべてに匹敵する」

p.218 現代の人の多くは、ただ成功とか失敗とかいうことだけを眼中に置いて、それよりももっと大切な「天地の道理」を見ていない。彼らは物事の本質をイノチとせず、カスのような金銭や財宝を魂としてしまっている。人は、人としてなすべきことの達成を心がけ、自分の責任を果たして、それに満足していかなければならない。

p.219 とにかく人は、誠実にひたすら努力し、自分の運命を開いていくのがよい。もしそれで失敗したら、「自分の智力が及ばなかったため」とあきらめることだ。逆に成功したなら「知恵がうまく活かせた」と思えばよい。成功したにしろ、失敗したにしろ、お天道さまからくだされた運命にまかせていればよいのだ。こうして、たとえ失敗してもあくまで勉強を続けていけば、いつかはまた、幸運にめぐまれるときがくる。

p.220 人生の道筋はさまざまで、時には善人が悪人に負けてしまったように見えることがある。しかし、長い目で見れば、善悪の差ははっきりと結果になってあらわれてくるものだ。だから、成功や失敗のよし悪しを議論するよりも、まず誠実に努力することだ。そうすれば公平無私なお天道さまは、必ずその人に幸福を授け、運命を開いていくよう仕向けてくれるのである。
 正しい行為の道筋は、点にある日や月のように、いつでも輝いていて少しも陰ることがない。だから、正しい行為の道筋に沿って物事を行う者は必ず栄えるし、それに逆らって物事を行う者は必ず滅んでしまうと思う。一時の成功や失敗は、長い人生や、価値の多い生涯における、泡のようなものだ。
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