何かをすれば何かが変わる

すぐに結論なんて出なくていい、でも考え続ける。流され続けていくのではなくて。
そして行動を起こし、何かを生み出す。

ぶれない人

2010-08-01 21:16:16 | Book Reviews
「ぶれない人」 小宮一慶・著、幻冬舎新書179、2010年7月30日

p.5 金儲けのために仕事をする人は、仕事がお金を稼ぐための手段になっているため、効率性ばかりを重視するなどして、仕事が荒れていきます。

p.6 一方、「そのまま伸び続ける人」とは、もう一段階、考え方が上がる人です。「よい仕事をすること」そのものを目的とするようになるのです。
 そういう人は、良い仕事をすることが目的になりますから、終わりがありません。仕事が生きがいになりますので、良い仕事をすることが好きですし、良い仕事をやりつづけるので、発展も止まることがありません。

p.20-1 原点というものをしっかりと持っていれば、どんなにゆらゆらと揺れているときでも、原点に戻る、あるいは原点に気づくことができます。
 原点とは、すなわち、正しい考え方のことです。

p.27 こういう(欲を昇華した)人は、仕事を始めた当初こそは欲が先行していても、「生活に困らないほど食べていけるようになった」「人並み以上の生活ができるようになった」など、ある程度のところに到達して以降は、良い仕事をすることが目的化していきます。

p.30-1 金儲けがしたいと思う人が儲からないのは、金儲けすることが仕事の目的になっているため、「お客さまのために」良い仕事をするという気持ちが二の次になってしまうからです。
 当初は「お客さまのため」と思っていた人も、お金儲けが目的になったとたんに、お客さま志向はどんどん希薄になってしまいます。
 良い仕事をする気持ちが希薄になると、仕事は荒れてきます。「お客さまのために何ができるか」という肝心な視点も抜け落ちますから、当然、商品やサービスの質が低下します。

p.34 正しい考えのないまま、お金があるのはいいこと、稼ぐ人は偉い人という風潮が蔓延することがよくないと思っているのです。

p.35-6 お金や地位というのは怖いもので、給与をアップしてあげるよ、役職もアップしてあげるよという“にんじん”がぶら下げられていると、あたかもお金や地位だけが目的のように感じるようになりがちです。そして、お金を稼ぎさえすればそれでいいという考えに陥りやすくなってしまうのです。
 すると、なかなかその思考から抜けられず、社内にも、「お金を稼いだ人が偉い」「お金を稼いで、役職も上がったらもっと偉い」という風潮が蔓延してしまいます。
 そうなると、もともとは「お金や地位を得られるほど、良い仕事をしよう」と正しい考え方をしていたはずの人も、当人も気づかないうちに、「お金を得るため、地位を得るために仕事をしよう」という考えにすり替わってしまうのはよくあることなのです。
 その結果、会社全体が、殺伐としてきて、チームプレーや働く喜び、そして、何よりも良い仕事をすることや自分の存在意義(目的)を見失ってしまいがちになります。そして、ひたすらお金儲けに走り出すのです。

p.44 論語(正しい考え方)を追い求め、それを実践した結果、算盤(お金)がついてきます。算盤だけ追い求めても、算盤はついてこない、論語を追い求めて、初めて算盤がついてくる。この事実を忘れてはいけません。
 また、渋沢氏は、「利をもって利とせず、義をもって利とす」あるいは「義利合一」という考えも基本としていました。

p.80 本当の意味で「正しい」信念のある人は、「こだわるべきこと」と「こだわらなくてもよいこと」あるいが、「譲ってはいけないこと」と「譲ってもよいこと」について明確に区別しています。なおかつ、「こだわるべきこと」と「譲ってはいけないこと」のなかでも、信念をかけてでもこだわらなくてはいけないこと、信念をかけてでも譲ってはいけないことについても、はっきり認識しています。

p.83 上司が部下を怒らないのは、部下に対する思いやりがあるのではなく、単に自分が恨みを買いたくない、悪く思われたくないという本音が隠されているのです。

p.84 正しい考え方をしている上司は、社員の実力をつけること、人として正しい考え方を身につけさせることが、会社や部下たち、ひいてはお客さまや社会の将来のためになることが分かっています。だから、社員が誤った考え方をしていたり実力が足りなければ、ときに厳しく指導することが必要なことも理解しているのです。

p.99 「われ日に三たび我が身を省みる」。何を省みるかというと、次の三つについてです。
 他人とのかかわりに、真心がなかったということはないか。
 友人とのつきあいに信義に欠けることはなかったか。
 (孔子に教わったことを)習熟していないのに教えることはなかったか。

p.124-5 正しい選択とは、何を変えるべきか、何を変えぬべきか、あるいは、何を守るべきか、何を守らぬべきか、について、見極められることを意味します。

p.134 教えるとは頭で理解したことを相手に分からせることです。技術的なことや会社の規則などは教えることです。一方、伝えるのは気持ちや考え方です。伝えるべきことを教えても、相手が動きません。
 相手に伝えるには心で分かることです。心で分かったことは、自分で信じて実行するようになります。教えることももちろん大切ですが、伝えることができるようになることも大切です。

p.138 働きがいを感じている人は、残業が続く日でも、それが周りから認められ、また、お客さまや同僚のためになるならという気持ちで頑張ることができますし、毎日、会社へ行くのも自然にルンルン気分になるものです。
 心理学的には、この自尊心と自負心を持つときに、人はエネルギーが湧き起こると言われています。働きがいを持っている人が、楽しそうに、かつ、パワフルに仕事をしていることが多いのはこのためだと思います。

p.138-9 一方、お金や地位だけで評価される会社で働いている人は、働きがいを感じることは難しいと言えます。
 最初はお金や地位をモチベーションに頑張ることができますが、それだけでは途中で息切れしてしまいます。そういう会社では、「お金を稼ぐ人が偉い」という風潮が蔓延しているため、もっと稼がねば、もっと結果を出さねばという気持ちだけで働きますから、どんどん疲れてしまいます。

p.149 「お客さまのため」や「社会に貢献する」といった高い「意識」を共有している会社は結果として売り上げや利益が出ています。そして、「意識」の高い会社は、それを「徹底」して「継続する」という特徴があります。

p.154 「みんなで仲良く」という雰囲気のある和気あいあいの会社は、実力のある人が突出した能力を発揮することを好みません。実力のある人が、実力のない社員のレベルに合わせながら仕事をせざるを得なくなるため、生産性も落ちてしまいます。できる社員のやる気をはばむのです。
 失礼を承知で言えば、たいていこうした会社は、経営者や幹部たちの実力がたいしたことがないことが多いのです。できる社員に能力を発揮されると、自分たちに能力がないことがたちまちバレてしまう。だから、「和気あいあい」を大義名分にして、なあなあをよしとしていることが多いのです。和気あいあいの会社は、「内部志向」になるのです。

p.156 「良い仕事をする」という高い志を持っている人たちは、日頃はライバル同士でも、社員が困っていたら率先して助けます。なぜなら、彼らは、自分が儲けるため、名声を得るために働いているのではなく、良い仕事をするために働いていますから、誰かがつまづいたら協力しあうことは当然の意識として持っているのです。

p.164 「お金を稼げるぐらいに、良い仕事をする」

p.164-5 経営コンサルタントの仕事をしているなかで、しばしば、「『お客さまのため』をモットーに頑張っているのに、全然結果が出ないんだけど・・・・・」という声を耳にしていたのも事実です。
 結果が出ないのは、理由は二つのことが考えられます。ひとつは、まだまだ「お客さまのため」が足りていないから。もうひとつは、そもそも正しい考え方ではないから。「お客さまのため」を実践しているわけですから、一見、正しく見えますが、実は、お金を儲けるため、その手段として「お客さま第一」を掲げているのです。しょせん、金儲けが目的ですから、最初は順調に売り上げや利益が出ても、必ず行き詰まるときがやってきます。

p.166 「お客さま第一」や「良い仕事を目的とする」というのも、本当に身につくのはそれほど簡単なことではありません。毎日、お客さま本位の小さな行動を繰り返すこと、そして、良い仕事をしてお客さまや周りの方に、ほめられたり、感謝されて、その喜びを知ることを繰り返してやっと身につくことです。
 本当に良い仕事をできるようになると、そこには「利他」も「利己」もなく、ただひたすらに良い仕事をし続けたいと思うようになるものです。

p.168-9 仕事は、お金を稼ぐ手段ではありません。良い仕事をすることを目的とするのです。
 きれいごとを言っているように聞こえるかもしれませんが、これがきれいごとと聞こえるうちは良い仕事をしていないし、本当の仕事の楽しさも分からないと思います。そして、そう思っているうちは、たいして稼いでいないと思います。よしんば、一旦稼げたとしても長続きしないはずです。良い仕事をすることを目的としているのではなく、稼ぐために仕事を手段としているのですから、世間から評価される仕事をしていないからです。

p.176-7 注意したいのは、技だけ、戦略だけにとらわれすぎると、「木を見て森を見ず」に陥りやすく、「良い仕事をする」という原点が抜け落ちてしまうことがあるということです。

p.182 組織のために犯罪を犯すのなら暴力団と同じです。

p.208 死の準備とは、お葬式やお墓の準備をすることではありません。いかに生きるべきかを真剣に考えることを意味します。

Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする