この頃は、この「矜持」という言葉が聞かれなくなった。
プライドとはちょっと違う気がする。
プライドは、誇り。自尊心。自負心。それは、少し上から目線のような気がする。
矜持は、自己主張せず他を見下すことなく、それでも譲れない何かがある気がする。
日本人はいつから、矜持を捨てて、プライドという言葉にすがるようになったのだろう。
ついでに言うなら、尊敬する。敬意を払う。とは言わず、「リスペクト」いう。
尊敬は崩れることがないけれど、「ディスリスペクト」と、こちらは簡単に貶める言葉に変わり「ディスる」という言葉が生まれる。
尊敬して影響を受けることを、「オマージュ」って、どういうわけか、今度はフランス語ときた。
「インスパイア」は鼓舞する。奮い立たせる。そのことによって他者からの影響を受ける。
そうなると、「オマージュ」と、「インスパイア」は、どう違うんだ!!となる。
これらの違いや、使用法を学ぶのではなく、美しい日本語で、自分の気持ちをきちんと伝えたい。
「薫陶を受ける」や「私淑」といった表現を使う若い人はいない。
若くないが、わたし自身も使わない。
「~先生に師事する」と、言わなくなった。
何年か前の昇段審査の申し込み用紙に「〇〇師範に師事」という記入項目があった。今では削除されたが、これも謎ではあった。
昔は稽古している道場に、範士の先生がおられたことがあった。
今は仲間内であーだ、こーだと先輩と共に学んできた。
道場仲間で、教え合ったり、先輩に指導を受けたりすることは、特定の先生に師事するとか、私淑とまでいかないのは、範士の先生とかの教えを受ける機会が少なくなったこととか、特定の先生から教えを受けられなくなったこともある。
全弓連の方針は理解し難い。会員はいつも放心状態にある。
「どういうこと?」「どうなるん?」というような。
さて、話は元に戻るが、そういう中でやはり「矜持」を、持ち続けたいと思う。昔習ったことが、全否定されたら、わたし達は一体何を学んできたのだと思えるからだ。
世の中は変わるので、多様性の時代なので、というが、積み上げてきたものを放り出すほどの魅力的な射的をみんなで目指そうとするのではない。
高校3年の孫に言われそうだ「ばぁば、また昭和なことを・・」
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