「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」これは、殿がいつも言っていた言葉である。
ずっと、野村監督の言葉だと思っていたが、違うということがわかった。
肥前国平戸藩の藩主であった松浦静山の名言で、野村克也監督の座右の銘である。「まつうら」ではなく「まつら」と、読むことも分かった。
さて、長きにわたり弓を引いていて、不思議の勝ちがあったこともある。
しかし、たいていは負けるべくして負けることが多いことは重々承知している。
「あ、あの1本があれば競射に残ったのに・・」と、悔しい思いをすることは多くの弓道人が経験するのである。
しかし、あの1本が外れたのではなく、あの1本が中たらない射であることを反省しなくてはならない。
ただひたすら稽古で引け引けというが、方向違いの稽古を積み重ねてもダメなのだ。
中たらなくなる射の稽古を積みかさねて遠ざかり、目標と違うところへ行ってしまう。
山なら遭難なのだが、弓では遭難していることに気づかない怖さがある。
さて、帯を締め直して出かけよう。
最近は、矢数をかけない稽古をしている。
(むやみに引き過ぎて、肩が痛くなるお年頃でもある)
初めの一手の勝負を。それがなかなか・・。
初矢で射損じたら、獲物は逃げるのである。
なので、取り逃がしたら乙矢の出番はない。
また、初矢が中っても乙矢で息の根を止めなければ、獲物は傷つきながらも逃げるのである。
また、審査の日が近づいてきた。
息の根が止まるのは、引く前の自分かもしれない。
そして、自分が引いているのに外した自分が傷つくのである。
傷心とはここからくるのか??
「平常心、平常心」と心で唱えることこそが、平常心でない証拠だったりする。
精神安定剤や抗不安薬があるらしい。いわゆるドーピングにかかる薬。
さて、そういうものに頼らず果敢に挑戦することが修行なのである。
この緊張を味わえる喜びを!!と、思うことにしよう!!