今回の19号は雨台風だったわけですが、秋雨前線を刺激するというよりも台風本体の雨雲が流れ込み始めてからの被害が大きかったです。今回の進路だと、脊梁山脈への東風の吹き込みで大雨が降るため、いわゆる可航半円側で雨が強くなるわけです。脊梁山脈を越えて進行すると危険半円側になりますが、一般的に台風は一気に横断するか、山を避けて北東に進みますから。
台風が上陸しなくても雨台風は甚大な被害をもたらすわけで、その典型が1947年のカスリン台風でしょう。利根川本流の決壊という最悪の事態を招いた降雨量をもたらしたこの台風は、房総半島をかすめて通過しただけです。
そのカスリン台風の苦い経験が、いまに続くあらゆる利根川、荒川水系の治水対策のベースになっています。
その対策の基幹をなすダムであり、長年の反対運動によりダム闘争のシンボルともなったのが吾妻川流域の八ッ場ダムです。
その八ッ場ダム、まさに試験湛水を行おうとしていた最中に今回の19号襲来となり、貯水しないという選択肢もあるなか、一気にぶっつけ本番の貯水に移行し、満水に近い水を湛えました。
(試験湛水の状態の例。岐阜県・徳山ダム)
(同。堰堤を湖面側から仰ぐ)
まさに間一髪間に合った格好ですが、皮肉にもダム反対運動が激しかった流域では、反対運動を押し切って建設された軋轢はあれど、こうした「ダムがあって良かった」となったケースや、「ダムがあれば」と痛恨の事態を招き建設推進に舵を切るケースが目に付くのです。今回新幹線の車両基地が水没した千曲川にしても、「脱ダム宣言」のシンボルとなった支流のダムがその後建設されていなかったらどうなっていたのか。そして悔いを残したケースとしては2004年の福井豪雨で甚大な被害を出した足羽川流域であり、ダムがあった流域に被害がなかったという見事なまでのコントラストに、その後計画変更はあれどダム建設に地元も賛成したのです。
(福井豪雨では足羽川流域の越美北線が大被害)
(越前東郷#・R間の代行バス)
一方で今回八ッ場ダムの「効果」が広まるとともに、ダムの犠牲を忘れるな、とか、果てはたまたまうまくいったからって、というダム批判の声が聞こえてくるわけです。
もちろんダムに沈む集落があり、少なからぬ犠牲をともなったことは事実ですが、それはみんな飲み込んだうえでの議論でしょう。ダムに沈んだ生活を無視した議論ではないのに、八ッ場肯定=住民軽視というようなありもしない対立軸を創出してネットで流布する意図はどこにあるのか。
(ダムに沈んだ村。徳山ダムにおける旧徳山村)
さっそく隙あらばダムに反対したい左派系メディアが、ネットの無責任な言説のように八ッ場称賛を扱っていますが、こうしたダム反対派の心の拠り所にしたいだけじゃないのか、としか言いようがない「反論」にみえます。
西日本豪雨の時もそうでしたが、ダムの調整機能に対する誤解もまだまだ多いというか、意図的に誤解を誘おうとする悪質な論者もメディアや議員を中心にみられるわけで、少なくともメディアや議員が「誤解」はあり得ないことから、意図的な世論誘導と見做すべきでしょう。
緊急放流(かつてのただし書き操作)が、流入=流出でダムがなかったのと同じ状態として、堰堤破壊に至るレベルの水位上昇を防ぐ措置ということを正しく周知すべきメディアや議員が虚偽の情報で不安を煽るというのは最早犯罪に等しいわけです。
不安を煽って、だからダムは不要、という自分たちの「信仰」を広めたいんでしょうが、緊急放流というのはダムがなければ、の状態ですから、ダムを建設しなかったら初手から緊急放流と同じ状態ということを無視しての議論は本当に有害です。
あるいはダムが今回は食い止めたが、という将来に対する不安を煽る議論も有害です。
じゃあ今回「も」被害を出してよかったのか。次回に不安があっても被害が発生するのは次回から。ダムがなければ今回「も」なんですよ。「脱ダム宣言」が田園地帯の河川に巨大なカミソリ堤防を築くしか手がない、というドッチラケの結論になったように、1回こっきりだからダムは不要というのであれば、じゃあ2回目以降も有効に対処できる対策を示すべきですが、反対派は絶対にそれをしません。出来ないんですから。
一発で食い止め、それで事実上使命を終えたダムとしては、神戸市の六甲山系の住吉川にある五助ダムが挙げられます。
1938年の阪神大水害では三宮などの市街地が土石流に沈み、多くの犠牲者を出した教訓から、砂防ダムとして建設されましたが、巨大な割に土砂の堆積もほとんどないことから、無用の長物ではという批判もありました。
(五助ダム(堰堤)。堰堤の向こうは擦り切りいっぱいの草原)
(1967年の功績も書かれています)
それが一変したのは1967年、いわゆる「昭和42年豪雨」で、阪神大水害に匹敵する豪雨災害を出しながら、住吉川水系では発生した土石流12万立米を五助ダムが完全にブロックして被害を防ぎました。
それと引き換えに堰堤ギリギリまで土砂をため込み、今では山中とは思えない草原になっていて、もはや機能はできない状態ですが、五助ダムの功績をたたえる人はいても批判する人はいません。
あるいは「どうせ無駄だから」というシニカルな批判もありますが、今そこに生きている人に対する無責任極まる言説であり、そ自分だけが犠牲になるのならまだしも、まだ生きたい、生活したいという人を犠牲にすることは絶対に許されません。
行政がどっちを向くべきなのか。そしてメディアや識者なるものの無責任な言説をどうやって排除すべきなのか。災害のたびに問われています。
台風が上陸しなくても雨台風は甚大な被害をもたらすわけで、その典型が1947年のカスリン台風でしょう。利根川本流の決壊という最悪の事態を招いた降雨量をもたらしたこの台風は、房総半島をかすめて通過しただけです。
そのカスリン台風の苦い経験が、いまに続くあらゆる利根川、荒川水系の治水対策のベースになっています。
その対策の基幹をなすダムであり、長年の反対運動によりダム闘争のシンボルともなったのが吾妻川流域の八ッ場ダムです。
その八ッ場ダム、まさに試験湛水を行おうとしていた最中に今回の19号襲来となり、貯水しないという選択肢もあるなか、一気にぶっつけ本番の貯水に移行し、満水に近い水を湛えました。
(試験湛水の状態の例。岐阜県・徳山ダム)
(同。堰堤を湖面側から仰ぐ)
まさに間一髪間に合った格好ですが、皮肉にもダム反対運動が激しかった流域では、反対運動を押し切って建設された軋轢はあれど、こうした「ダムがあって良かった」となったケースや、「ダムがあれば」と痛恨の事態を招き建設推進に舵を切るケースが目に付くのです。今回新幹線の車両基地が水没した千曲川にしても、「脱ダム宣言」のシンボルとなった支流のダムがその後建設されていなかったらどうなっていたのか。そして悔いを残したケースとしては2004年の福井豪雨で甚大な被害を出した足羽川流域であり、ダムがあった流域に被害がなかったという見事なまでのコントラストに、その後計画変更はあれどダム建設に地元も賛成したのです。
(福井豪雨では足羽川流域の越美北線が大被害)
(越前東郷#・R間の代行バス)
一方で今回八ッ場ダムの「効果」が広まるとともに、ダムの犠牲を忘れるな、とか、果てはたまたまうまくいったからって、というダム批判の声が聞こえてくるわけです。
もちろんダムに沈む集落があり、少なからぬ犠牲をともなったことは事実ですが、それはみんな飲み込んだうえでの議論でしょう。ダムに沈んだ生活を無視した議論ではないのに、八ッ場肯定=住民軽視というようなありもしない対立軸を創出してネットで流布する意図はどこにあるのか。
(ダムに沈んだ村。徳山ダムにおける旧徳山村)
さっそく隙あらばダムに反対したい左派系メディアが、ネットの無責任な言説のように八ッ場称賛を扱っていますが、こうしたダム反対派の心の拠り所にしたいだけじゃないのか、としか言いようがない「反論」にみえます。
西日本豪雨の時もそうでしたが、ダムの調整機能に対する誤解もまだまだ多いというか、意図的に誤解を誘おうとする悪質な論者もメディアや議員を中心にみられるわけで、少なくともメディアや議員が「誤解」はあり得ないことから、意図的な世論誘導と見做すべきでしょう。
緊急放流(かつてのただし書き操作)が、流入=流出でダムがなかったのと同じ状態として、堰堤破壊に至るレベルの水位上昇を防ぐ措置ということを正しく周知すべきメディアや議員が虚偽の情報で不安を煽るというのは最早犯罪に等しいわけです。
不安を煽って、だからダムは不要、という自分たちの「信仰」を広めたいんでしょうが、緊急放流というのはダムがなければ、の状態ですから、ダムを建設しなかったら初手から緊急放流と同じ状態ということを無視しての議論は本当に有害です。
あるいはダムが今回は食い止めたが、という将来に対する不安を煽る議論も有害です。
じゃあ今回「も」被害を出してよかったのか。次回に不安があっても被害が発生するのは次回から。ダムがなければ今回「も」なんですよ。「脱ダム宣言」が田園地帯の河川に巨大なカミソリ堤防を築くしか手がない、というドッチラケの結論になったように、1回こっきりだからダムは不要というのであれば、じゃあ2回目以降も有効に対処できる対策を示すべきですが、反対派は絶対にそれをしません。出来ないんですから。
一発で食い止め、それで事実上使命を終えたダムとしては、神戸市の六甲山系の住吉川にある五助ダムが挙げられます。
1938年の阪神大水害では三宮などの市街地が土石流に沈み、多くの犠牲者を出した教訓から、砂防ダムとして建設されましたが、巨大な割に土砂の堆積もほとんどないことから、無用の長物ではという批判もありました。
(五助ダム(堰堤)。堰堤の向こうは擦り切りいっぱいの草原)
(1967年の功績も書かれています)
それが一変したのは1967年、いわゆる「昭和42年豪雨」で、阪神大水害に匹敵する豪雨災害を出しながら、住吉川水系では発生した土石流12万立米を五助ダムが完全にブロックして被害を防ぎました。
それと引き換えに堰堤ギリギリまで土砂をため込み、今では山中とは思えない草原になっていて、もはや機能はできない状態ですが、五助ダムの功績をたたえる人はいても批判する人はいません。
あるいは「どうせ無駄だから」というシニカルな批判もありますが、今そこに生きている人に対する無責任極まる言説であり、そ自分だけが犠牲になるのならまだしも、まだ生きたい、生活したいという人を犠牲にすることは絶対に許されません。
行政がどっちを向くべきなのか。そしてメディアや識者なるものの無責任な言説をどうやって排除すべきなのか。災害のたびに問われています。