Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

どうしても認めたくない人たち

2019-10-14 13:39:00 | 震災・災害
今回の19号は雨台風だったわけですが、秋雨前線を刺激するというよりも台風本体の雨雲が流れ込み始めてからの被害が大きかったです。今回の進路だと、脊梁山脈への東風の吹き込みで大雨が降るため、いわゆる可航半円側で雨が強くなるわけです。脊梁山脈を越えて進行すると危険半円側になりますが、一般的に台風は一気に横断するか、山を避けて北東に進みますから。

台風が上陸しなくても雨台風は甚大な被害をもたらすわけで、その典型が1947年のカスリン台風でしょう。利根川本流の決壊という最悪の事態を招いた降雨量をもたらしたこの台風は、房総半島をかすめて通過しただけです。
そのカスリン台風の苦い経験が、いまに続くあらゆる利根川、荒川水系の治水対策のベースになっています。

その対策の基幹をなすダムであり、長年の反対運動によりダム闘争のシンボルともなったのが吾妻川流域の八ッ場ダムです。
その八ッ場ダム、まさに試験湛水を行おうとしていた最中に今回の19号襲来となり、貯水しないという選択肢もあるなか、一気にぶっつけ本番の貯水に移行し、満水に近い水を湛えました。


(試験湛水の状態の例。岐阜県・徳山ダム)


(同。堰堤を湖面側から仰ぐ)

まさに間一髪間に合った格好ですが、皮肉にもダム反対運動が激しかった流域では、反対運動を押し切って建設された軋轢はあれど、こうした「ダムがあって良かった」となったケースや、「ダムがあれば」と痛恨の事態を招き建設推進に舵を切るケースが目に付くのです。今回新幹線の車両基地が水没した千曲川にしても、「脱ダム宣言」のシンボルとなった支流のダムがその後建設されていなかったらどうなっていたのか。そして悔いを残したケースとしては2004年の福井豪雨で甚大な被害を出した足羽川流域であり、ダムがあった流域に被害がなかったという見事なまでのコントラストに、その後計画変更はあれどダム建設に地元も賛成したのです。


(福井豪雨では足羽川流域の越美北線が大被害)


(越前東郷#・R間の代行バス)


一方で今回八ッ場ダムの「効果」が広まるとともに、ダムの犠牲を忘れるな、とか、果てはたまたまうまくいったからって、というダム批判の声が聞こえてくるわけです。
もちろんダムに沈む集落があり、少なからぬ犠牲をともなったことは事実ですが、それはみんな飲み込んだうえでの議論でしょう。ダムに沈んだ生活を無視した議論ではないのに、八ッ場肯定=住民軽視というようなありもしない対立軸を創出してネットで流布する意図はどこにあるのか。


(ダムに沈んだ村。徳山ダムにおける旧徳山村)

さっそく隙あらばダムに反対したい左派系メディアが、ネットの無責任な言説のように八ッ場称賛を扱っていますが、こうしたダム反対派の心の拠り所にしたいだけじゃないのか、としか言いようがない「反論」にみえます。


西日本豪雨の時もそうでしたが、ダムの調整機能に対する誤解もまだまだ多いというか、意図的に誤解を誘おうとする悪質な論者もメディアや議員を中心にみられるわけで、少なくともメディアや議員が「誤解」はあり得ないことから、意図的な世論誘導と見做すべきでしょう。

緊急放流(かつてのただし書き操作)が、流入=流出でダムがなかったのと同じ状態として、堰堤破壊に至るレベルの水位上昇を防ぐ措置ということを正しく周知すべきメディアや議員が虚偽の情報で不安を煽るというのは最早犯罪に等しいわけです。
不安を煽って、だからダムは不要、という自分たちの「信仰」を広めたいんでしょうが、緊急放流というのはダムがなければ、の状態ですから、ダムを建設しなかったら初手から緊急放流と同じ状態ということを無視しての議論は本当に有害です。

あるいはダムが今回は食い止めたが、という将来に対する不安を煽る議論も有害です。
じゃあ今回「も」被害を出してよかったのか。次回に不安があっても被害が発生するのは次回から。ダムがなければ今回「も」なんですよ。「脱ダム宣言」が田園地帯の河川に巨大なカミソリ堤防を築くしか手がない、というドッチラケの結論になったように、1回こっきりだからダムは不要というのであれば、じゃあ2回目以降も有効に対処できる対策を示すべきですが、反対派は絶対にそれをしません。出来ないんですから。

一発で食い止め、それで事実上使命を終えたダムとしては、神戸市の六甲山系の住吉川にある五助ダムが挙げられます。
1938年の阪神大水害では三宮などの市街地が土石流に沈み、多くの犠牲者を出した教訓から、砂防ダムとして建設されましたが、巨大な割に土砂の堆積もほとんどないことから、無用の長物ではという批判もありました。


(五助ダム(堰堤)。堰堤の向こうは擦り切りいっぱいの草原)


(1967年の功績も書かれています)

それが一変したのは1967年、いわゆる「昭和42年豪雨」で、阪神大水害に匹敵する豪雨災害を出しながら、住吉川水系では発生した土石流12万立米を五助ダムが完全にブロックして被害を防ぎました。
それと引き換えに堰堤ギリギリまで土砂をため込み、今では山中とは思えない草原になっていて、もはや機能はできない状態ですが、五助ダムの功績をたたえる人はいても批判する人はいません。

あるいは「どうせ無駄だから」というシニカルな批判もありますが、今そこに生きている人に対する無責任極まる言説であり、そ自分だけが犠牲になるのならまだしも、まだ生きたい、生活したいという人を犠牲にすることは絶対に許されません。
行政がどっちを向くべきなのか。そしてメディアや識者なるものの無責任な言説をどうやって排除すべきなのか。災害のたびに問われています。





災害に乗じる地域エゴ

2019-10-14 12:29:00 | 震災・災害
台風19号は首都圏直撃コースで、千葉県方面は危険半円の至近距離通過の予報に、昨年の21号における大阪のような状況を想定して警戒しましたが、強さから想定された暴風よりも雨が激しく、風台風の予想が雨台風だったということで、各地で甚大な被害をだしています。

風台風だと危険半円、可航半円の定義通りになりますが、雨台風だと事前の東寄りの風に乗った雨雲が問題で、関東平野を囲む関東山地などの山間部で激しい雨になり、その後も進路に応じて福島県から宮城県、岩手県で被害を出しています。
暴風のほうも40m超の突風を各地で記録していますが、15号の時に比べると、という判定を身近に15号を体験した人から聞いており、被害が大きくなくて済んだのは不幸中の幸いですし、15号の被災地にとっては唯一特別警報の発令がなかったという状況であり、天も考えてくれたというところでしょうか。

風台風は右側、雨台風は左側、となると当て物じゃないんですから、どっちだから危険という話でもなく、結局は厳重に警戒するしかないようです。


さて今回の19号は首都圏直撃で、通過時の気圧も960ヘクトパスカル台と過去に例がない規模の台風でした。
現在位置の予測などから見ると、小田急線沿いに東北に進み、都心を通過し、常磐線やTXに沿ってつくば方面に抜けたようです。
千葉で暴風が吹き荒れたのは21時台後半でしたが、中継が映した渋谷のスクランブル交差点は穏やかで傘を普通にさして歩いている人までいたのを見て驚きましたが、後で考えると台風の目が通過してたんでしょうね。松戸在住の知人とも話をしましたが、おそらく台風の目だろう、という天候の激変を体験したそうです。

3連休をダメにされた恨み節は聞こえてきますが、平日で無く、さらに夜半であったというのは救いでした。
平日、それも15号のように月曜とか、通勤時間帯を直撃だと洒落になりませんが、3連休を諦めて家にこもっていればやり過ごせたことで、浸水などの直接的な被害を別にすれば社会の混乱は避けられた格好です。

それでも刻一刻と迫りくる台風に気をもんだのは確かですが、さっそく台風報道にまでケチをつけている向きが関西方面を中心に聞こえてくるのはもう何をかいわんやですね。東京集中ガー、地方だったらここまでは、と貶しまくっているのですが、そもそも「首都」圏であり、政治経済の中心である東京直撃という事態の影響とニュースバリューは全然違うわけです。人口で見ても日本の総人口の4割近くを占める首都圏に非常に強い台風が迫って来たわけです。

近畿2府4県ですら人口比だと首都圏の5割にもならない地域という現実が見えていないというか、もし万が一そういう発想で国家の防災対策を語られたら、必要な原資を不要な地域にばらまきそうで浮「ですね。

そもそも昨年の西日本豪雨の際にはっきりわかりましたが、関西の「東京ガー」は、地方への目配りなんかじゃないんですよ、関西、いや、大阪を取り上げないのがケシカラン! という見苦しい地域エゴに過ぎません。在阪メディアは大阪の独自編成があるんだから西日本豪雨の被災地に寄り添った編成にするかと思いきや、通常通りひな壇倹lのバカ騒ぎ番組を垂れ流して、視聴者も被災者に寄り添うどころかそれを見て笑っていたわけですから。

いわんや大阪を副首都に、という類の声が東日本の災害が起きるたびに出てくるのは不愉快極まりないですね。
政治、経済あらゆる面を見ても代替不可能なのに、人の不幸を聞いてしゃしゃり出て舞い上がる大阪の発想は、取ってつけたように「被災者の皆様にお見舞い・・・」と言っても許されるものではないです。

そもそも今回だってじゃあ東京の首都たる機能が毀損したのか、空白が生じたのか。そんなことはありませんよね。東京はそんなにヤワじゃないですし、東京の防災能力を上げる方が効果的です。だいたいメディアだって東京キー局から発信を続けてましたよね。よしんば「副首都」を置くのであれば、東南海や南海トラフの被災を同時に受ける首都圏と関西ではなく、北海道や北陸、北部九州に分散すべきであり、その点をもってしても単に大阪をアゲたいだけの愚論に過ぎません。

ちなみに今回の19号は960ヘクトパスカル台で襲来しましたが、通常は台風の進路の関係もあり、関西を直撃する方が総じて強いんですよ。当然被害は大きく、昨年の21号はもちろん、記憶に新しいところでは2004年の台風23号など、台風被害は一般的に西日本の方が大きいのです。

地震災害にしても首都圏直下型のリスクがある反面、昨年の大阪北部地震や、南海トラフ時の津波(安政自地震の碑が大阪市内にあります)のリスクは無視できないわけで、自然災害を理由にするのであれば、こうした自らのリスクの評価をまずすべきであり(東濃や北関東が「首都移転」に名乗りを上げたのはまさにこれが理由)、そうした考えも見られないのも、「大阪ファースト」で日本を左右しようとするだけの意見の特徴でしょう。

厳しく指弾しましたが、ネット界隈で目立つのも事実です。残念なことに、そしてまさかのような話ですが、リアルで「東京一極集中ガー」というレベルの人が少なからずいるのです。
とはいえ災害に乗じてはしゃぐ手合いはノイジーマイノリティだと信じたいですが、じゃあ大阪など関西の発展を願うのであれば、こうした繰り返される愚行としか言いようがない発信を、自ら戒める、咎める自浄努力が必要です。そうしたうえでの議論であれば有益ですが、現状はとてもとても、というレベルです。