Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「身を切る改革」のカラクリ

2019-07-11 00:35:00 | 時事
参院選が公示された段階で特定の政党を批判するのは気が引けるのですが、どうも気になるのが維新がしきりに主張する「身を切る改革」です。

公務員や行政の支出を削れば予算は捻出できる、という主張は昔からサンケイ新聞(当時)が行革キャンペーンなどで主張してきたスローガンの焼き直しですが、庶民のルサンチマン的な公務員叩きが浜の真砂のように尽きない以上は一定の支持を集めます。

確かに耳当たりの良いスローガンですが、結局デフレ志向の主張であり、公共は面唐ゥない、自己責任、という改革屋の王道を行く主張です。

一方で維新は「実績」を喧伝するわけですが、実は維新の手柄でも何でもない、それこそ前任者の時にスタートした企画だったりするわけで、慎重に見る必要がありますが、確かに「実績」になっているものは少なくないのも事実です。

ただ、これもよく見れば「身を切る」なのか怪しい部分もあるわけです。
無駄を省くというと聞こえはいいですが、では公共が「身を切る」で所得どころか雇用が失われる補償はどうなっているのか。まさにデフレ政策の真骨頂というか、デフレが招く最大の問題点ですが、それを克服している「さすが維新」なのか、というと当然さにあらずです。

地方自治では問われることがない部分に外部化しているわけですよ。景気、雇用は国政レベルで対応する話ですから、そちらで対応する話に持ち込めれば「身を切る改革」は大成功です。
逆に国政レベルで改革屋が二進も三進もいかなくなって投げ出す。地方自治レベルで外出しできない課題が見えてきたので投げ出す。改革屋の常套手段であり、過去何度も見せつけられた「現実」ですが、今回は見栄えのいい実績がある半面、外部化で逃げおおせるので笛や太鼓で「身を切る改革」としているわけです。

このあたりは香具師の口上レベルの美辞麗句を喧伝する側もさることながら、有権者のリテラシーが問われるわけです。その意味では先の堺市長選で維新の支持者がどう庇っても「トンデモ」の域の主張を繰り返していたわけで、残念ながら支持者(有権者)がそのレベルが、あの「地域政党」が圧勝できる素地といえます。

もちろん前にも指摘した通り、東京や中央へのルサンチマンが「判官贔屓」になる面が多分にあるわけですが、だとしてもこういう「選良」を送り出すことは、民主主義のコストとして受忍しなければいけないとはいえ、有権者に対してもう少し考えてほしい、ということは、決してわがままではないと信じます。



「東京偏重」の必然とライバルの無為と所為

2019-07-11 00:33:00 | ノンジャンル
メディアの「東京(首都圏)偏重」がよく批判されます。特に関西、とりわけ大阪にその傾向が強いですが、けっきょくそれは公平に取り扱わないという建前とは裏腹に、大阪の扱いが小さい、という私利私欲の底が見えるわけで、地方も含めて賛同が広まらない原因でしょう。

これ、逆に関西にいると痛感するのですが、関西ローカルの「質」がそうさせているとしか言えないわけです。キー局気取りのTV各局(NHK大阪含む)が独自編成で垂れ流す番組の質がどうなのか。それこそ昔は全国ネットでもクレジットが出て「あれっ、関西制作だったんだ」と気が付く全国で通用する、全国で楽しめる番組も多かったんですが、今はどうでしょう。

今もそういう番組はありますが、問題なのはゴールデンタイムの一部も含み割り当てられている関西ローカルの帯で、日頃東京ネタ(と信じている全国情報)に押しのけられている恨みはらさでおくべきか、と言わんばかりのコテコテの編成こそどうなんか、と言いたいですね。

頭を抱えたのが先のG20で、大阪開催ということで舞い上がっちゃって、大阪の魅力を世界に、という大阪ファーストでしか報じておらず、しかもそれが会議中も続いてしまい、「全国ネット」がG20の「本題」を報じる最中に関西ローカルはあくまで「大阪」という真空地帯でした。
NHKの定時ニュースのように、全国ニュースの後に「それではお近くの放送局から」と流すローカル枠ならまだしも、民放は平日夕方や土曜朝に代表される「それしかない」時間帯でこれをされると頭を抱えるしかありません。

「東京ガー」と言い張る人たちは、「関西の大阪偏重」が見えていない、というか気付いていないから、自分のことを棚に上げた批判が出来るわけです。
そもそも「マスコミ」、つまりマス(大衆)コミュニケーションというコトバを考えたら、2200万人の近畿2府4県と、4300万人の関東1都6県、そしてそれらを含む1億2600万人の日本全体を見れば、全国情報のように東京の情報を流す、という批判は失当と言ってもいいくらいです。逆に日本の総人口の2割にも満たないローカルの話題を延々と流される時間帯がある関西のほうが「情報途絶」「情報の真空地帯」と言ってもおかしくないのです。

実は他の「地方ローカル」の方がまだマシなわけで、全国ネットの看板番組を押しのけるような独自編成はないけど、ローカル番組はしっかり流している、というバランスがとれた状態ですから、「情報」という意味では「地方ローカル」の方が質的に優れています。

それでも「関西ローカル」がまともな情報発信をしているのなら文句は言いませんが、実際には話にならないわけです。上記のG20は最悪の例ですが、朝のニュースショーやNHKの定時ニュースのローカルコーナーにおける格落ち感というか貧乏臭さ。ローカル倹lをひな壇に並べて内輪受けに終始する番組。しかも安っぽさが歴然としていて、かつて首都圏の川にアザラシか何かが、という話題で、独自取材が出来ないにしても東京キー局の取材映像でも流すかと思うと、国交省の河川監視カメラを流すという手抜き全開を見たときには、ひな壇の無名倹lと合わせて「何が関西キー局だ」と怒りすら覚えました。

あるいは関西キー局扱いの貧乏臭さの一例として、天気予報など全国ネットからローカル扱いに変わった瞬間に事実上の静止画像になったり、東京キー局が交通情報を流しているときに関西キー局の番宣を流したり、流すものがなくてアイキャッチでお茶を濁したり、NHK大阪が東京で交通情報を流しているときに「昨日の関西2球団」と前夜の試合結果をスコアだけ流すとか、どこの地方局かという意味ではNHK神戸が(そもそも平日20時45分のローカルニュースが兵庫県内だと「関西」ではなく「兵庫」とさらにローカルになってしまう)、今日の郷土力士の星取、と妙義龍と照強の星取を紹介するとか、救いようがない「格落ち」感を感じるのです。

東京キー局によるステレオタイプの報道による誤ったレッテル、という毎度の大阪「被害者」論も、実際にはその典型でもある吉本と阪神を垂れ流しているのは「関西ローカル」でしょう。五輪の最中に日本人選手がいかに活躍しようとも「阪神ファーストでお届けします」と開き直った大阪編集のスメ[ツ紙もそう。他スメ[ツのニュースバリューある話題よりも試合が無かった阪神の話題、という編集は、さすがの報知ですらそこまで巨人ファーストで編集していないぞ、というレベルが日常茶飯事なのです。

某百科事典サイトに必死になって大きなサイズの「都会らしい景観」「美しい景観」の画像をアップしてますが、国内でそんな編集をしているのは大阪くらいで(風景はあってもサイズを小さくしている)、そんな小細工よりもまずは「身内」が原因という認識と対策が必要です。

かつて、こんな主張をしているのはネットの限られた人たちだけだと思っていたのですが、リアルで、真顔でそう主張している人を何人も見たことで危機感すら覚えました。しかも「地方の話題をもっと」というのであればまだしも、総じて「関西(大阪)の話題を」というに等しいスタンスだからです。

だいたい、関西(大阪)以外の地方のどこにどのくらい「関西(大阪)の話題」のニーズがあるのか。
全国ネットが伝える東京(首都圏)の話題と、地元の話題をバランスよく報じることが一番望まれるわけで、別の「地方」の「ローカルニュース(インフォメーション)」など望まれていないという現実に気付くべきでしょう。

別に関西(大阪)は不要というわけではないのです。
話題があり、価値があれば東京(首都圏)の話題など霞むくらいみんなが取り上げます。あべのハルカスオープン時なんかそうだったじゃないですか。今回のG20だってそうでしょう。しかしながらそういった「一部」を除けば残念ながらそういう「話題」が久しくないのが関西(大阪)の事実であり、だからこそ「地方」ではなく「首都」の話題のほうが重宝される結果になるのです。