Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

興行優先

2018-07-15 02:24:00 | 震災・災害
3横綱3大関が番付に並びながら横綱全員と新大関の「看板」が全滅となった名古屋場所、本来であれば金を取って客に見せる興行の体をなしていない状態なのに継続しています。しかも星取のトップは残る大関ではなく関脇御嶽海、次いで平幕遠藤と朝乃山では、興行を続けるのは良いにしても木戸銭は取れるレベルでないということを自覚すべきでしょう。

興行といえば100回目の節目を迎えた夏の高校野球ですが、記念すべき大会ということで主催する朝日新聞他のメディアも熱の入れようが違っています。
しかし、今年は各地の予選が始まったこのタイミングで西日本の豪雨があり、被災地の学校を中心に休校に追い込まれている学校が続出しました。

学校によっては被災したり、避難所などになるなど平常運営とは程遠い状況となり、また、生徒が通学できる状況にないところもあるわけです。
こうした中で予選を開催するということは、事実上の不戦敗となることを余儀なくされるわけですが、今回の状況は局地的なものではなくかなり広域に及んでいることが特徴です。

未曾有の天災にもかかわらず興行を優先したという先例としては2011年春のセンバツと夏の高校野球がありますが、前者は出場校が既に決まっており、後者は4ヶ月ほどの時間があり、予選への対応はそれなりにとれたわけです。
しかし今回は同時進行ともいえるタイミングで無視できない「ハンディ」が発生したのですが、広島大会こそ10日遅れに順延しましたが、岡山、愛媛は予定通り今週開幕しています。

広島の場合は10日やそこら順延したところでどうしようもないわけで、交通が途絶して通学もままならない高校が多数ある中の見切り発車です。広島の場合、浸水被害を受けた三原市本郷町には甲子園出場経験もある有力校がありますが、学校は給水所になり、鉄道は不通、バスも暫定ダイヤでしかも道路は渋滞、と「部活動」どころか学校の「本業」すら覚束ない状態です。

これも運不運と片付けることは簡単ですが、「平成30年7月豪雨により被災された皆様の・・・」とお悔やみやお見舞いを各企業が発信している中、豪雨被害に負けず、と美談仕立てにして興行を強行しているのを見ると、豪雨被害を自社の記事だけでなく興行にまで使って商売のタネにすることはあっても、心から被災者に寄り添うことは絶対にない、ということがよくわかります。




被災地を見る(後編)

2018-07-15 01:25:00 | 震災・災害
それでは市街地などを見てみましょう。

甲子園にも出場した県立の総合技術高校は浸水被害を受けましたが、自衛隊による給水所になっています。


(給水所の旗が上がる高校)

かつての町役場、今は三原市役所の支所ですが、このあたりも浸水していたそうです。


(支所)

旧市街ではこの先の通りの右側にある広銀支店のあたりまで水が来たそうです。
久々に旧市街の通りを見ましたが、櫛の歯を引くように商店が閉めており、悲しいかな被害で開店できない以前の状態です。


(旧市街の通りを見る)

さて、給水や入浴支援など、自衛隊による支援活動の拠点が駅の西側にある生涯学習センターです。

親類に聞くと、もともと避難場所に指定されていたのが、浸水被害を考慮して駅北側の若干小高い本郷小学校のみとされたため、高齢者を中心に、バリアフリーなどの条件が良い学習センターでないのであれば、と自宅避難を選んだ人が少なくなかったようです。

ところが結果として学習センターに避難した人も少なくなかったわけで、ナニソレ状態になったことや、本郷と三原の中間地点付近では避難所は浸水を免れたものの周囲から孤立してしまったケースなど、避難所の設置には今後の課題を残しました。


(左が学習センター、右奥が小学校)


(自衛隊車両やテントが並ぶ学習センター)

派遣された部隊は京都桂の後方支援隊ですが、桂のあたりは桂川が上流のダムが持ち切れず、いわゆる「ただし書き操作」で放流を繰り返したことで十万人単位の避難指示を出していました。
ダム操作が見事で被害を出す溢水を免れましたが、もし被害が出ていたら部隊は地元救援でしょうから、配置は時間が鰍ゥったでしょう。ダム操作に間接的に助けられた格好です。


(京都桂の部隊です)

断水が続く三原市ですが、当初は旧市街しか給水所がなく、本郷に最初に設置されたここの給水所は混雑が激しかったそうです。


(給水にきた市民)

ありがたいのは入浴支援。バリアフリーへの不安を感じる市民も少なくないのが事実ですが、糸崎港の船舶での支援と並んで、生活水準の維持に大きな効果をもたらしています。
その意味では高齢者が多いことを勘案して、バリアフリー度を広報して頂けるとありがたいですね。


(このテントが入浴支援施設?)

近所は他の地域への支援も含めて自衛隊車両が走り回っています。ご苦労様です。


(沼田川の堤防道路となるr33を走る自衛隊車両)

次いで沼田川の堤防へ。
破堤、決壊はしませんでしたが、よく見ると背筋が凍る被害も。


(堤防道路のr33)

堤防でもあるr33が支所の上近くで陥没しています。
さらに道路をよく見ると、クラックというか、隙間が空いており、水が滲みていくと土手が崩れる危険があります。


(舗装部との間に隙間が)

さらに土手下(市街側)もなにやら損壊しており、かなり危険なにおいがします。


(土手下の通行止)

このあたり、r33が走る本堤防の内側に内堤防があり、その向こうが川面なんですが、今回はそんな構造はお構いなしで、本堤防間のいっぱいいっぱいを濁流が満たし、一部は溢れたのです。


(内堤防までの区間は耕作地になっていたのですが)


(皮肉にも上流の福富ダム、椋梨ダムの放流時のサイレン吹鳴を知らせる看板は夏草に埋もれ・・・)


(本郷橋付近は内堤防がない。水位はまだ高いですね)


(上流方向。流木が目に付きます)

尾三地域や一部は愛媛県の島嶼まで送水する水道の取水口が本郷にあり、ここが損壊したことと濁りがひどいことが断水の原因です。本郷地区はさらに旧町時代からの配水施設が浸水、損壊したことが断水復旧へのハードルを上げています。


(旧山陽道の本郷橋。濁流はこの橋を洗う勢いだった)

ここから浸水被害がひどかった下北方を見てみました。
このエリアにも電源車がいましたが、中電ではなく関電からの支援でした。


(沼田川右岸で頑張る電源車)

沼田川の堤防からかなり下るという低さも浸水被害を大きくした原因ですが、福祉センターや消防署が浸水したのは痛かったです。


(集落へはかなりの下り坂。土手の高さは2階を優に超えるので浸水被害も大きかった)


(消防署。浸水の跡が歴然としています)

市のグラウンドが瓦礫置き場になっており、道路脇に積まれるというような状態でないことは救いです。


(左手がその瓦礫置き場)

地域の東側を走るのがR2。本郷橋を渡る旧山陽道以来のルートに対し、本郷バイパスとされる区間ですが、ここでの冠水がR2を寸断したのです。


(堆砂が残るr33旧道、r59との交差点)

そして下北方地区の浸水被害の原因は、沼田川の溢水というよりも、沼田川に合流する梨和川の決壊でした。R2に並行して流れる区間の土手が一部切れており、ここでしょうか。


(決壊箇所か)

おしまいに、商業関係です。
本郷町域ではスーパー、ドラッグストア、ホームセンターの総てとコンビニの大半が浸水被害を受けたことで、断水に加えて買い物が出来なくなりました。


(ネットで流れていた軒まで浸水した下北方のドラッグストア)


(マックスバリュなどは復旧めど立たず)

下北方のマックスバリュやナフコがならぶショッピングセンターは軒まで浸水する大被害で再開の目途が立っていませんが、コンビニは船木地区も含めて再開しており(下北方付近は無理)、ドラッグストアも東側の新市街の2店舗は既に営業を再開しています。


(コンビニは再開)


(ドラッグストアも営業中)

東側は仏通寺川の決壊被害を受けていますが、復旧は早く、スーパーも先陣を切って日曜日に再開しており、市民生活が徐々に平常化していますが、やはり断水の復旧がないと平常化を体感できないでしょうね。
その意味でも一日も早い断水からの復旧が待たれます。






被災地を見る(前編)

2018-07-15 00:24:00 | 震災・災害
豪雨の影響(被害)を受けた実家や親類からのSOSに応え、救援物資搬入で現地入りしてきました。短い時間でしたが、親類宅まで行ったのを機に、特に被害が大きかった本郷町内の様子を見てきました。


(尾道JCT手前。尾道松江線通行止とあるが、この時点で尾道JCT~世羅IC、吉舎IC~三次東JCTは通行可能でした)

山陽道を一路西下。ボランティアに向かう人も多いようですが、高速道路を通行止にしてしまう交通事故も発生しており、注意が必要です。

目につくのはやはり自衛隊の車両。幌はあるが屋外同然の荷台で移動する隊員には頭が下がります。


(暑そうですね)

SAやPAでは休憩する隊員と数多く出会いました。


(通信して情報収集中でしょうか。京都大久保の第4施設団とありました)


(伊丹の中部方面隊衛生隊も)

この時点では山陽道は河内IC″L島IC間が不通でした。


(三原久井IC手前)

尾道ICのあたりからは、山肌をえぐる土石流の跡があちこちに見られました。一見普通の山肌に見えても、木々の間に茶色い跡が見えます。


(本郷IC手前。右前方の山肌は小規模なもの)

普段は実家を先回りすることや、三原久井IC前後が山陽道屈指の事故多発区間ということもあり、福山西ICからR2バイパス経由にしていますが、今回は本郷ICに直行しました。

復旧関係で無償扱いでもあるのか、専用ゲートが無いせいもあり、通過に時間が鰍ゥるクルマが多く、まさかの行列です。


(本郷IC出口の行列)

r82を下りますが、ほどなく集落が水没した船木集落です。


(船木集落遠景)


(船木大橋西。道路上の堆砂が水害を物語る)


(船木大橋から見た沼田川(ぬたがわ)。川幅いっぱいに水が来て、そして溢れました)

船木大橋東を右折してr33へ。
歩道にクルマが何台もいますが、決してモラルが悪いわけではなく、よく見ると泥まみれのクルマ。取り敢えず移動して置いているのでしょう)


(歩道上のクルマは泥まみれ)

小早川隆景が山城を築いた古高山、新高山に挟まれた狭隘区間を抜けると本郷の中心街ですが、このあたりガードレールやフェンスに草がこびりついており、溢水被害を受けたことが分かります。


(左手の路上にも掻き出した泥が)

市街地手前がすこしだけピークになっているため、左岸の溢水は本流に戻ったようで、左岸の旧市街を洗うことはありませんでした。左岸の被害は下流の仏通寺川(ぶっつうじがわ)の決壊によるものです。

まずは山陽線の本郷駅を見てみましょう。


(本郷駅。9年前に橋上駅化されています)


(三原駅長名での運休長期化と代行輸送無しの告知)


(本郷駅としての告知はホワイトボードを出して案内)


(JR西日本のサイトにも出ている不通や新幹線代替などの告知も)

公式に不通の長期化が宣言されたこともあり、これでもかの告知が改札階までの道中に出ています。
そして改札周りはひっそり閑。簡易改札機付近には非常線が貼られて構内に入れず、券売機も電源は入っていますが発売中止です。


(改札周り)


(非常線が貼られた改札口)


(券売機も発売中止)

駅周囲を見てみましょう。
三原方から水が押し寄せてきたので、三原方にある交通広場は柵のあたりまで浸水しています。


(三原方の交通広場)

広島方はこの辺りまで浸水したそうです。ここまでくるとさすがにくるぶし程度ですが、旧市街のほんの一部を除き水に漬かったのです。


(広島方の様子)

さらに周囲を見渡すと、駅裏のお寺の斜面ががけ崩れを起こしていています。


(漆喰の塀が崩れ落ちています)

このあと何ヶ所も見ましたが、電源車が送電線に接続されており、暫定的な給電ということが分かりますが、これが地域の命綱です。


(駅前で頑張る中電の電源車)

さて、鉄道が長期不通というのを如実に示しているのが三原方の仏通寺踏切です。
遮断桿が撤去されているのを見ると、震災時や高山線、越美北線での長期不通区間と同じですが、彼の地のように交差部分がアスファルト舗装されたら絶望的です。


(遮断桿が消えた踏切)

山陽線は物流の大動脈でもあるわけで、山陽道を行き来するコンテナを乗せたトラックは代行輸送でしょうか。貨物列車の輸送力と比べたら焼け石に水にもなりませんが。


(山陽道を行くコンテナ搭載のトラック)

そして山陽道が河内まで開通したとはいえ三原市中心部から三原久井ICに出るr25が不通ということもあり、R2は渋滞しています。


(動かないというほどではないが、時間が読めるとは言い難い)

山越えのルートはいくつか開通していますが、ところどころ支障もあります。


(r50の路面にはみ出した支障物)