「電車が遅延したら払い戻し」とSNSで主張した議員が総スカンを食っていますが、批判している内容を見ると、事業者無謬と出来ない理由を探すという、交通系の意識高い系に多い2大特徴のコラボに見えるわけで、そこまで全力で否定する内容には見えません。
大本は田都のトラブルですが、日常茶飯に見られる電車の遅延が須らく不可抗力であるのであればともかく、事業者側の要因が多数あるわけです。遅延という不利益を被っても泣き寝入り、という「過去からの慣習」を疑問に思う、本来ならこうあるべき、ということがそこまで批判されるべきことなのか。まさに独占の弊害でもあるんですが、批判者はそれも気に入らないようです。
定時性やサービスの話になると決まって現れるのが、事業者は輸送の義務を負うだけ、と主張して、目的地まで輸送する義務しか負わないのだから遅れようがサービスが悪かろうが関係ない、と免責を主張する人です。中には関係者というか中の人が主張しているのを目にするのには驚きますね。そういっているのと同じ口で事業者が所要時間を短縮した、サービスを改善した、というと針小棒大に称賛して、付加価値がついたのだから値上げしても良い、と時間やサービスに「価値」を主張するのに、それが提供できなかった、損なわれた時にはその「価値」を否定するのは、図太いにも程があるダブスタでしょう。
一応現在の判例では、時刻は契約の条件ではなく誘因に過ぎない、ということになっていますが、ほぼ「国」の国鉄に対しての訴訟(飯田線の急行遅延における2時間以内免責についての訴訟)ゆえ国寄りの判決になったことは容易に想像がつきますし、昨今の消費者保護の流れの中で、遅延を「債務不履行」と認めないのはおかしい、と声を上げるべきと主張するのが自然でしょう。
約款にしても、不当な条件を定めた約款は無効であり、白紙で見直すべきですが、一方で通信事業者を中心に、「ベストエフォート」という究極の無責任が罷り通ってしまっているので、難しいのですが。
しかし何かしらの対応を考えないと、現状は相当なモラルハザードが発生しているわけです。
払い戻しが発生する特急、急行列車の場合は、2時間以内に遅延を納めればいい、と考えているしか思えない対応ぶりですが(2時間超の遅延が2時間以内に収まるまでは早いのに、そこから平常に収斂するまでは遅い)、払い戻しが発生しない一般列車の場合は、まず全部止めてしまう、という対応が常態化しています。
遅延が問われるのなら止めてしまう、という意見も目にするのも困ったものですし、止めるということが「無限大の遅延」ということが分かっていない。これも関係者というか中の人が公言しているのを見ると眩暈がします。
そして止めるといえば、異常時に闇雲に止めることでスムーズな復帰となっているのならまだ救いがあるというのに、運転を再開した、運用を元に戻した途端悪化する、というケースも少なくないだけに、誰得の対応といえます。
不可抗力でない遅延は、発生原因そのものが品質問題であることが多いのですが、遅延という事象もまた利用者に提供するサービスという品質問題です。製造業であれば品質トラブルはクレーム対策となって失敗コストとして把握され、改善への強い(負の)インセンティブになるのですが、交通の場合は、現場が委縮する、果てはJR宝塚線事故ガー、と話が飛ぶ傾向が強いのを見ると、世間の感覚との大きな隔たりを感じます。
大本は田都のトラブルですが、日常茶飯に見られる電車の遅延が須らく不可抗力であるのであればともかく、事業者側の要因が多数あるわけです。遅延という不利益を被っても泣き寝入り、という「過去からの慣習」を疑問に思う、本来ならこうあるべき、ということがそこまで批判されるべきことなのか。まさに独占の弊害でもあるんですが、批判者はそれも気に入らないようです。
定時性やサービスの話になると決まって現れるのが、事業者は輸送の義務を負うだけ、と主張して、目的地まで輸送する義務しか負わないのだから遅れようがサービスが悪かろうが関係ない、と免責を主張する人です。中には関係者というか中の人が主張しているのを目にするのには驚きますね。そういっているのと同じ口で事業者が所要時間を短縮した、サービスを改善した、というと針小棒大に称賛して、付加価値がついたのだから値上げしても良い、と時間やサービスに「価値」を主張するのに、それが提供できなかった、損なわれた時にはその「価値」を否定するのは、図太いにも程があるダブスタでしょう。
一応現在の判例では、時刻は契約の条件ではなく誘因に過ぎない、ということになっていますが、ほぼ「国」の国鉄に対しての訴訟(飯田線の急行遅延における2時間以内免責についての訴訟)ゆえ国寄りの判決になったことは容易に想像がつきますし、昨今の消費者保護の流れの中で、遅延を「債務不履行」と認めないのはおかしい、と声を上げるべきと主張するのが自然でしょう。
約款にしても、不当な条件を定めた約款は無効であり、白紙で見直すべきですが、一方で通信事業者を中心に、「ベストエフォート」という究極の無責任が罷り通ってしまっているので、難しいのですが。
しかし何かしらの対応を考えないと、現状は相当なモラルハザードが発生しているわけです。
払い戻しが発生する特急、急行列車の場合は、2時間以内に遅延を納めればいい、と考えているしか思えない対応ぶりですが(2時間超の遅延が2時間以内に収まるまでは早いのに、そこから平常に収斂するまでは遅い)、払い戻しが発生しない一般列車の場合は、まず全部止めてしまう、という対応が常態化しています。
遅延が問われるのなら止めてしまう、という意見も目にするのも困ったものですし、止めるということが「無限大の遅延」ということが分かっていない。これも関係者というか中の人が公言しているのを見ると眩暈がします。
そして止めるといえば、異常時に闇雲に止めることでスムーズな復帰となっているのならまだ救いがあるというのに、運転を再開した、運用を元に戻した途端悪化する、というケースも少なくないだけに、誰得の対応といえます。
不可抗力でない遅延は、発生原因そのものが品質問題であることが多いのですが、遅延という事象もまた利用者に提供するサービスという品質問題です。製造業であれば品質トラブルはクレーム対策となって失敗コストとして把握され、改善への強い(負の)インセンティブになるのですが、交通の場合は、現場が委縮する、果てはJR宝塚線事故ガー、と話が飛ぶ傾向が強いのを見ると、世間の感覚との大きな隔たりを感じます。