Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

問題提起としてみればどうなのか

2017-01-20 00:23:00 | 交通
「電車が遅延したら払い戻し」とSNSで主張した議員が総スカンを食っていますが、批判している内容を見ると、事業者無謬と出来ない理由を探すという、交通系の意識高い系に多い2大特徴のコラボに見えるわけで、そこまで全力で否定する内容には見えません。

大本は田都のトラブルですが、日常茶飯に見られる電車の遅延が須らく不可抗力であるのであればともかく、事業者側の要因が多数あるわけです。遅延という不利益を被っても泣き寝入り、という「過去からの慣習」を疑問に思う、本来ならこうあるべき、ということがそこまで批判されるべきことなのか。まさに独占の弊害でもあるんですが、批判者はそれも気に入らないようです。

定時性やサービスの話になると決まって現れるのが、事業者は輸送の義務を負うだけ、と主張して、目的地まで輸送する義務しか負わないのだから遅れようがサービスが悪かろうが関係ない、と免責を主張する人です。中には関係者というか中の人が主張しているのを目にするのには驚きますね。そういっているのと同じ口で事業者が所要時間を短縮した、サービスを改善した、というと針小棒大に称賛して、付加価値がついたのだから値上げしても良い、と時間やサービスに「価値」を主張するのに、それが提供できなかった、損なわれた時にはその「価値」を否定するのは、図太いにも程があるダブスタでしょう。

一応現在の判例では、時刻は契約の条件ではなく誘因に過ぎない、ということになっていますが、ほぼ「国」の国鉄に対しての訴訟(飯田線の急行遅延における2時間以内免責についての訴訟)ゆえ国寄りの判決になったことは容易に想像がつきますし、昨今の消費者保護の流れの中で、遅延を「債務不履行」と認めないのはおかしい、と声を上げるべきと主張するのが自然でしょう。
約款にしても、不当な条件を定めた約款は無効であり、白紙で見直すべきですが、一方で通信事業者を中心に、「ベストエフォート」という究極の無責任が罷り通ってしまっているので、難しいのですが。

しかし何かしらの対応を考えないと、現状は相当なモラルハザードが発生しているわけです。
払い戻しが発生する特急、急行列車の場合は、2時間以内に遅延を納めればいい、と考えているしか思えない対応ぶりですが(2時間超の遅延が2時間以内に収まるまでは早いのに、そこから平常に収斂するまでは遅い)、払い戻しが発生しない一般列車の場合は、まず全部止めてしまう、という対応が常態化しています。

遅延が問われるのなら止めてしまう、という意見も目にするのも困ったものですし、止めるということが「無限大の遅延」ということが分かっていない。これも関係者というか中の人が公言しているのを見ると眩暈がします。

そして止めるといえば、異常時に闇雲に止めることでスムーズな復帰となっているのならまだ救いがあるというのに、運転を再開した、運用を元に戻した途端悪化する、というケースも少なくないだけに、誰得の対応といえます。

不可抗力でない遅延は、発生原因そのものが品質問題であることが多いのですが、遅延という事象もまた利用者に提供するサービスという品質問題です。製造業であれば品質トラブルはクレーム対策となって失敗コストとして把握され、改善への強い(負の)インセンティブになるのですが、交通の場合は、現場が委縮する、果てはJR宝塚線事故ガー、と話が飛ぶ傾向が強いのを見ると、世間の感覚との大きな隔たりを感じます。


いまさら何を

2017-01-20 00:22:00 | 時事
APAの「例の本」が物議を醸していますが、もう何年もやっていることに対して何を今更としか言いようがないわけで、あれこれ押され気味の左派勢力が、都議選などの選挙シーズンを前に保守(右派)勢力を叩いて存在感を示そうという政治的な動きにも見えます。ただ、結局は「外圧」頼みという「歴史教科書」の頃から全く変わらない構図に加え、巻き込もうとした中国側のノリも今一つで、取り敢えず反発はしてみるけど、という嫌々感がありありです。

東横の「内観」もそうですが、要は安いツアーが観光もそこそこに土産物屋に配車してキックバックを得ることで成立しているのと同じと考えればいいんです。「例の本」や宗教の広告宣伝費が安値の原資なんですから、それはネタとして受け入れるしかありません。ちなみにAPAがアジア大会の宿舎になっていて、組織委が「例の本」の撤去を求めているというNHKの報道が問題になっていますが、具体的な撤去要請は藪の中としても、「例の本」に加えて「あの社長」のグッズ関係などユニークな「宿泊環境」が周知の事実のホテルを選定しておいて何を今更でしょう。

まあ今回いろいろとケシカラン、中国人への配慮が足りない、と噴き上がっている向きは、じゃあなんでホテルには聖書「だけが」置かれているのかを問題視しないんでしょうかね。配慮という意味では歴史観よりも宗教のほうがセンシティブであり、イスラム教徒はどうなのか、仏教徒はどうなのか、という批判も当然あって然るべきなんですが、既得権益というか長年の慣習でそうなっていますね。ちなみに東横は聖書のほか仏典はありますが、コーランはありません。イスラム圏の航空会社のように、「メッカの方角」くらいは表示してもいいのに。

ちなみに出張では基本APAは使いませんね。あそこまで足下を見た価格変動では旅費精算の敵です。
ただAPAしか見当たらないような街の場合は止む無く使っていますが、できたら使いたくないホテルです。大浴場は魅力ですが、何より部屋が狭い。部屋が狭いのはエコだと抜かすような経営ですから何をかいわんやですが、他のチェーンも含めて標準的な広さともいるわけで、その意味では東横が例外的に広いと感じます。