Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

裸足で逃げ出す話

2014-10-14 00:41:00 | ノンジャンル
今年もノーベル賞の季節になり、青色発光ダイオードによる物理学賞での「日本人」3名の受賞や、毎度の文学賞の受賞外しといった話題の中で、今年は日本にまつわるもう一つの「受賞候補」が大きく取り上げられていました。

要は「憲法第9条」であり、平和賞の有力候補だと報じられて、左派系メディアが飛びついたわけですが、蓋を開けてみると女子教育の問題を訴えて17歳で受賞者になった女性や、児童労働の問題に取り組む男性が受賞しました。
まあ他のノーベル賞とは違い、政治的意図が色濃く見える際物的なジャンルともいえる賞ですが、今年の内容はなるほど、と言えるものです。

この受賞を伝えるニュースが流れると、メディアは「憲法第9条が有力候補だった」とよほど悔しいのか付け加えていましたが、はっきり言ってしまえば、今回の受賞者の取り組みや実績、そして解決すべきターゲットの重さは、「憲法第9条」など足下にも及ばないわけで、同列視したり比較するだけ失礼な話です。

確かに「平和主義」は心地良い響きですが、一方的な戦争放棄で平和が実現するのか。それこそPKOなどの軍事活動で平和が維持されている中で、理念だけでは決して実現しない「平和のお題目」は、平和賞の名に値するのか。
17歳と言う若さで女子教育の必要性を主張し、それを良しとしないイスラム武装勢力に銃撃されるなど、文字通り命がけの活動をしての受賞や、自分のキャリアを捨てて一生を児童労働撲滅に奉げるなかでの受賞は、久々に政治的意図を超えた納得のいくものであり、それだけに「憲法第9条」が有力候補などということの虚しさが際立つのです。


手なりの対応に過ぎない

2014-10-14 00:37:00 | 交通
「空振り」だったことに乗じた批判もあるでしょうが、JR西日本の「全面運休」に対して批判をすると、にわか危機管理通、とまでは言いませんが、もっともらしい理由を並べて「お前は危機管理が分かっていない」と高飛車な批判が集まるようです。

結局この手の「事故が起きてからでは...」と言う主張はもっともらしく見えて、毎度の「自分に都合のいい可能性は最大限積み上げる」ものであり、今回出てきた「事例」も羽越線事故だなんだと鉄道事故史上に残る重大事故がいとも簡単に例示されています。
直近のトレンドはJR九州が取った南九州地区での全面運休はどうなんだ、というものですが、状況が全く違うもので比較しても意味がありません。

今回の「全面運休」がなぜ問題なのか。
台風による影響の見積もりが甘い、いや、厳しすぎたからです。南九州を横断し、さらに四国南部を横断するコースを取った台風19号は、27度以上の海水温によるエネルギー補給どころか、陸上通過ですから勢力は減衰するのみ、と言う教科書通りの経過を辿ったわけです。
そもそも九州や四国と近畿で台風の勢力が同じと考えているのでしょうか。JR九州を持ち出す向きは、JR九州が見積もるべき台風の影響とJR西日本が見積もるべき影響が一緒だと考えている議論です。

こういう状況で運休の26時間前、現実の最接近から遡れば32時間前に早々と決断したことの是非が問われるわけです。少なくとも当日朝の段階で判断すべきであり、その段階であれば「全面運休」はあり得ない選択肢と断言していいでしょう。

そして同時間帯に同じ会社が同じエリアで運行する新幹線は運転していたわけです。高架やトンネルが多用される新幹線は、台風に対するリスクはプラマイどちらにも働くわけで、新幹線は動いているのに新大阪や京都に着いたら足が無い、という不条理に合理的説明が付くのかどうか。
よしんば全面運休をするにしても、16時から終電まで、というのはあまりにも安直でしょう。18時から21時ならまだ合理的判断といえますが、台風が通過して風雨ともおさまった22時になっても「復旧」しなかった「手なりの対応」は公共インフラとしての姿勢が問われます。

昨日の街頭光景のなかには、商業施設や娯楽施設などの「早仕舞い」がありましたが、こうした「早仕舞い」はなぜ実施されたのか。
もちろん台風対策もありますが、それに踏み切るきっかけが「全面運休」だったことは否定できません。要はお客はもちろん、従業員の帰りの足もなくなるから、電車の打ち切りを見込んで早めに閉店、閉館しないといけない、と言う意思が働くわけです。
そう、こうした施設が独自に確信を持って台風の影響を読み切っていても、閉店、閉館せざるを得ないのです。

公共インフラがそのサービスを止めるということの重大な意味はここにあります。商業施設の営業レベルであればまだしも、それこそ台風対応で出動しようとしたら足がなかった、と言う事態もあるわけです。公共インフラがその機能を止めたら、社会の動きが止まるのです。
今回の「全面運休」は地元自治体や官公署、いや、政府に相談があったのか。JR西日本という一企業が判断するような内容ではないでしょうし、その内容も本来は様々な可能性を考えて緻密に計画されるべき話ですが、手なりの全面運休で本当にいいのか。

旧国鉄時代、大雪時には、優等列車の運休に始まり、最後の第5次規制になると通勤通学列車のみ運転してあとは除雪に務める、という対応でしたが、そこまで木目細かく対応して公共インフラという所以である「生活列車」の運転確保を「最後の一線」としていたわけです。
それに対して今回の「全面運休」はどうなのか。新幹線が動き、並行私鉄も動く中、普通列車も含めて運休してしまったわけです。

行政との連携、メディアとの連携、運休決定のタイミング、天候回復時でも復旧しなかったこと、あらゆる面で今回の対応は社会派諸氏が絶賛するようなリスク管理とは程遠いものです。公共インフラ企業であれば、BCPが問われて久しいのに、この程度の対応だったことを問うべきですが、社会派諸氏には「事業者批判はケシカラン」で思考停止しているように見えますし、年初の火災による新幹線混乱のときと同じような事業者擁護の無理な意見に見えます。