Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

痛ましい災害を利用する勢力

2014-10-03 00:16:00 | ノンジャンル
木曽御嶽の噴火は、戦後最悪、というよりも昭和、平成を通じて最悪の火山災害になってしまいました。
まだ行方不明者が正確に把握できていない状態であり、犠牲者の数がさらに増える可能性を考えると暗澹たる気分です。

最近は行きませんが、楽に登れる山を中心に山登りやトレッキングをしており、火山にも登っているだけに、今回の事故は他人事ではありません。警戒レベルが上がって入山規制が敷かれる、という頭があるだけに、今回のような不意打ちがもし発生したら手の打ちようがありません。

御嶽は木曽駒同様ロープウェイを使って楽に登れる印象が強く、神戸時代には往復どちらかで濁河温泉を経て、というプランを考えたこともありましたが、今回の事故報道を見ると、それは過去の話になってしまったようです。

ちなみに御嶽は1979年に有史以来の噴火を記録しており、いろいろな意味で我々に教訓を与えてくれるようです。
サイトの旅行記で記事にしている乗鞍も火山ですが、それを意識しないで何回か訪れていますし、今回の事故報道で山頂付近の空撮を見ると、山頂に神社があるシチュエーションは似たものがあります。
それだけにもし御嶽のような事態が発生したらどうなるのか、という想像をしてしまうわけで、可能性は格段に低いとはいえ、「死火山」だった御嶽が噴火した先例を踏まえれば、油断は出来ません。

それでも常々噴煙を上げている活火山であれば、リスクに対する意識も高く、火山弾を防ぐシェルターが設置されているのですが、浅間や桜島のそうした施設を目の前にしても、リスクよりも「物騒だな」という半ば興味本位の思いが先に立っていたわけで、失礼ながらそういう意識が「当たり前」だとしたら、御嶽の山頂で噴火に直面した時の驚きと恐賦エ、絶望感はいかばかりか、胸が痛みます。

一方で、この悲劇をダシにして自分たちの主義主張を正当化しようとする勢力が出てきています。
先日の朝日は、事故記事の隅に、反原発団体による突然の噴火があるのだから火山リスクを重視すべき、という声明を記事にしていましたが、まさに為にする話であり、原発が噴火口の縁や火山の山腹に立っていない限り考慮する話でないことは小学生でも分かる話です。

確かに多くの犠牲者は出しましたが、よく考えれば噴火口の500m圏内に集中しているわけで、そうした「危険地域」に原発は建っているのか。そして数キロ離れたレベルであれば、浅間や桜島のような酷Sやコンクリート製のシェルターで防御できますが、原発はそれよりも弱いのか。痛ましい事故を利用しているとしかいえない声明です。

まあこの手の団体はともかく、アカデミズムまでが非論理的なレベルで火山リスクを訴えているのですから、市民団体レベルだと仕方が無いのかもしれません。
九州一円が壊滅するような巨大噴火の想定や、火砕流や溶岩流が地形を無視して襲ってくる想定だとか、確かにそれがあった「時代」があったのかもしれませんが、それは地球規模で造山活動や地殻変動が起きていた頃であり、原発の安全を云々する状況ではないのです。(よしんば放射能が拡散しても、そこまで壊滅的な状況に陥れば、半減期を繰り返す歳月の間に住めるような状況にならないでしょう)