Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

宴の後の茨の道

2008-09-26 23:49:00 | 時事
小泉元首相の引退が驚きをもって迎えられています。
唐突の引退宣言には驚きとともに、あの人らしいという半ば賛辞の声も混じるのも事実ですが、この期に及んでまだあの政権、政策を肯定する人が少なくないのには何ともと言う感じです。




「改革」という言葉に酔いしれた21世紀冒頭の数年間。戦前の日本が「革新将校」「昭和維新」の美名に共感して、そして破局への片棒を担いでしまったのと、そして戦後の日本が「革新」「進歩的文化人」と言うフレーズにシンパシーを感じ、独裁国家の主義主張を無警戒に受け入れてきたのとまさに相似形です。

日本人の「弱点」を突いたともいえるイメージ戦略。それの結実が「小泉劇場」なんですが、足元の我が国の噴出する諸問題はまさにその宴のあとです。
唯一の「成果」らしい成果といえば道路公団と郵政の民営化ですが、高速道路は都市部の利用者にとっては実質値上げ(+都市高速の距離制移行による大幅値上げも控えてます)ですし、郵政もユニバーサルサービスの縮小に、配達記録の廃止など、利用者にとってはメリットすら疑わしいです。

小泉政権時代の5年余り。「改革」が進んだように見えましたが、結局それはネズミ講と同じでいつかは破綻する話だったわけです。一握りの層を除けば、痛みにいくら耐えても永遠に春は来ない。そのボロが出ることが分かっているから巧妙に表舞台から距離を置き、そして「引退」するわけです。

「引退」に対する街の声を伝えるニュースショーは、「もっとかき回してほしかった」と未だに幻影を負う愚かな声を拾っていましたが、「自民党をぶっ壊す」というフレーズや耳当たりの良い「改革」を無邪気に支持してきたのはみているとやはり「団塊」世代に多いようです。

それなりに地位や資産も持ち、「小泉劇場」を安全圏から楽しむことができる彼らにとって、「ぶっ壊す」「かき回す」と言うのは痛快事でしょうが、現実に起こったのは社会の破壊です。
それにより本来なら社会の中堅層になっていなければならない世代が疲弊し、日本の強みであった分厚い中流層が崩壊しました。
そして何よりも罪深いのは、こうした社会の崩壊、格差の拡大により、我々の子供たちの世代は、独立採算制の強要により公立の高等教育を受ける機会すら奪われつつあるなど、格差の固定化に代表されるこの社会崩壊の影響を受けるということです。

まさに愉しむだけ楽しんであとは野となれ山となれというところです。
自身も三世議員で苦労も知らないところに、二男を四世議員としてまさに階級社会を愉しむが如き後半生を送ろうとする姿は図らずも「改革」の本質を現しています。

「女系天皇」を容認する皇室典範改正を皇族の反対をも押し切って進めようとしたように、保守でもなんでもなく、伝統すら破壊しようとした人物を保守政党のトップとして、そして保守政権の長として支持した5年間のツケはあまりにも大きいです。