Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

首都圏進出の罠

2008-09-23 15:59:38 | ノンジャンル
神戸在住時代によく読んだのが「日帰り名人」「西の旅」「Meets」といった一連の京阪神エルマガジン社のムック本。

それが先日帰宅したらテーブルの上に置いてあるじゃないですか、「日帰り名人」。
神戸を懐かしんで引っ張りだしてきたのか、と思ったら、なんとこれが首都圏版。「Walker」シリーズのように全国展開か、となると「京阪神」エルマガジン社のほかに、「首都圏」エルマガジン社があるとか、と奥付を見たら京阪神エルマガジン社のまま。どうも関西だけに飽き足らず首都圏に展開したようです。

で、手に取ってみたのですが、なんというか、関西版は凡百のガイドブックと違い、これはと膝を打つような場所やお店の選択があったのですが、首都圏版はありきたりの観光地をまず手堅くセレクトし、ちょっと毛色の変わったお店が出ている感じ。

良く言えば堅実で、悪く言えばオリジナリティが無い内容ではちょっと不満です。
もっとがんばりましょう、と言う反面、変に手広く仕鰍ッるよりも、本家関西での質を落とさないようにしてもらいたいです。

鼎の軽重

2008-09-23 15:50:10 | ノンジャンル
新理事長がある意味スタンドプレーに走らざるを得なくした大麻事件ですが、これもなんだかの世界です。
もちろん大麻を吸った3力士は論外であることは言うまでもないですが、漏れ聞こえてくる対応がどうも胡散臭いです。

最初の摘発を受けての全関取への検査で2力士がクロになったわけですが、他にもその際に検査を受けなかった力士がいたり、最初陽性反応が出た力士がいたわけです。
後者はやり直しで陰性反応が出たことで良しとされ、精密検査は免除。前者は簡易検査の追試を受けたかどうかも定かではありません。

こうした手続の瑕疵はそもそもの処分を無効にしかねないものです。もちろん大手を振って戻ることはできないにしても、賠償責任を負う危険性があります。典型的な例だと、捜査手続に瑕疵があって覚醒剤の犯人に対する公判を維持できなくなり、法的には「無罪」となったこともあるくらいです。

さて今回の大麻事件では理事長の辞職、また当該3力士の所属する部屋の親方の監督責任も問われています。
そうした批判の中には、「外国人力士への親方の監督が甘い、例えば朝青龍に対する高砂親方」とまたぞろ朝青龍に絡めた批判があるのには呆れます。

時津風部屋のリンチ殺人事件の時も、朝青龍による「かわいがり」をくどいほど流したメディアがありましたが、角界のスキャンダルはすべて朝青龍が悪い、とでも言いたいのでしょうか。
メディアとそりが合わないからといって、「電信柱が高いのも...」とすべて朝青龍に結びつける姿勢は、綱の品位を云々する前にメディアの品位が問われます。

時津風部屋事件、さらに今回の大麻事件と、スキャンダルというレベルを超えたれっきとした「犯罪者」(大麻事件は起訴猶予に終わったので厳密には刑事犯ではない)を出してしまったことは、由々しき事態です。
にもかかわらず朝青龍問題と同レベル、いや、朝青龍の立ち居振る舞いのほうが問題とする意見が真顔で語られているところに、鼎の軽重というか、私怨のほうを重要視するという情けない姿勢がみえます。

特に横審の某委員と、外部委員の某漫画家。
この騒動のさなかに朝青龍がモンゴルで「ャjーテール」姿になり、写真集に掲載されたことを、時津風や大麻の問題よりも重要視するが如くに主張したことは、公益法人の監督者として甚だしく不見識です。

そもそも朝青龍が海外でャjーテール姿になったことにしても、母国での民族衣装とのセットであり、きわめて自然です。さらに言えば、かつてハワイかどっかでまげをほどいて遊ぶ様子を撮られた横綱がいたような気もしますが...

ようは朝青龍憎し、のダブスタが未だ続いているわけです。
例の騒動の時に精神が意外と弱い、ということがわかったこともあるのか、立ち合いのことも含めて、最近のバッシングは小姑のようにネチネチ責めて追い詰める傾向が見てとれます。

気に入らなければ横綱であっても蔭に陽に追い詰める。やり方が陰湿に過ぎます。



手付き不十分

2008-09-23 14:41:53 | ノンジャンル
朝青龍が休場しました。2場所連続の途中休場ということで、来場所は進退がかかる場所となりそうです。

今場所は場所直前に起きた大麻事件の影響で理事長が交代して、綱紀粛正ということでわかりやすいアピールということもあるんでしょうが、立ち合いの厳正化を打ち出しました。
ただ手付き不十分で取り直し、というのは確かに正しいのですが、初日の数日前に運用を変えるというのは、五輪の野球で直前に延長戦は塁上にランナーを置いて開始する、という変更と同じ類の話であり、クリーンイメージで批判をかわしたい理事長のスタンドプレー、いや、勇み足というところです。

これに関して朝青龍が「呼吸が合っていれば良い」と発言したことが批判されています。しかしルールの運用という勝負の根幹が初日の直前に、しかも力士に直接伝えることなく変更するほうが非常識であり、力士のトップである横綱がきちんと批判しないといけない話であり、五輪で星野監督が突然、直前のルール変更に怒りを露わにしたのと同様、言うべき人がキチンと言うことのほうが大切です。




そもそも相撲の立ち合いというのは、手を付くという形式要件よりも呼吸が合うということが重要視されることが他のスメ[ツと異なります。それが全く分かっていない批判や投書の類が目につくのも情けない話ですが、「朝青龍憎さ」が先走るメディアもまたその無知をさらけ出しています。

手を付くことが優先なら、両者手をついた後、いわゆる「突っ鰍ッた」ことによる「待った」はあり得ません。そして制限時間前に両者の気合いが乗って呼吸を合わせて時間前に立つことがあるのはなぜか。
また、かつては前相撲では仕切りなどなく、東西の二字口から呼吸を合わせて土俵に飛び込んで取り組むいわゆる「飛び付き」だったのも、呼吸が合うことが立ち合いの条件に他ならないからです。

両者きちんと呼吸が合っているのに、形式要件に拘泥して勝負を差し戻すことがいかに愚かか。
しかもその変更が当の力士に伝える暇もなく本場所直前に実行されたこと。当の武蔵川理事長(三重ノ海)をはじめとするお歴々の現役当時の腰高ダッシュでの立ち合いはさすがに論外ですが、腰を割って片手をついて呼吸をはかるレベル、つまり前回の立ち合い正常化のレベルで十分です。

呼吸や気合いが重要視される競技で、形式に気を取られたら、かえって気の抜けた取り組みになるわけで、前日の取り組みで疑惑の立ち合いとされた朝青龍が、わざとらしく両手を大きく付いた次の瞬間、相手の注文相撲に嵌ったのはその典型です。

とはいえ次の日の「踏み越し」に関しては、蛇の目の砂にそれらしい跡が見えるわけで、これは負けでしょう。まあ、あの位置にかかとだけ付いて(踏ん張った跡もなく)、寄り返したということは本来なら残していたのが不運にもかすったレベルでしょう。