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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

「専門情報誌」が泣く

2023-12-05 20:58:48 | 書評
鉄道誌は11月下旬発売分で早くも2024年1月号となっていますが、鉄道ジャーナルがここで宇都宮のライトラインを記事にしています。8月下旬の開業で9月発売の11月号は速報で済ませるのは仕方がないにしても、10月発売の12月号をスキップして「75日目」と題して「月遅れ」の記事にした意図は何か。開業景気で普段着の様子が見えないというつもりかもしれませんが、それは分かり切った話ですし、75日経った取材当時でもまだ下駄をはいた状態なんですが。

少なくとも構造物や運用は乗客の多寡とは別なのでルポは可能なはずですし、宇都宮ですから取材経費がどうのという話でもないでしょう。「ジャーナル」を名乗り「専門情報誌」を謳っているのに、この感度の低さには絶句です。ルポが誌面の一番の目玉というのに、こたつ記事とまでは言いませんが、文献でなんとかなるような記事が多いようにも見えますが、そうなると存在意義がいよいよ薄れます。

ルポという意味では徳島高知県境のDMVに至っては2021年12月の開業時に短信が掲載されただけ。評価はいろいろありますが、まがいなりにも「世界初」を謳う鉄道とバスのデュアルモードの営業運転というのに、現地ルポが無いのはなぜか。
それこそ徳島からでも2時間かかるという遠隔の地だけに取材陣を送り込めないという台所事情かもしれませんが、経営問題が深刻という事情があるとはいえ、北海道には頻繁に取材陣を送り込んでいるのを考えると、雑誌の使命を放棄したというしかない状況です。

DMVだけでは、というのであれば、徳島バスとの「共同経営」を謳い高速バスとの共通乗車がスタートしている牟岐線を絡める手もあります。おりしも阿佐海岸鉄道との境界になった阿波海南に相当する(徒歩3分程度)の海部高校前まで共通乗車区間が延長されており、話題性もあるんですが。ちなみにDMVは輸送力もさることながら路線形態を見れば一目瞭然ですが、公共交通というよりもアトラクション化しており、牟岐以南では徳島バス南部の路線バスが主力です。高速バスとあわせて15往復程度とかなりしっかりした公共交通が確保されている状況とか、見どころは十分なんですけどね。

なおDMVはこれを移動手段として考えると「零点」なわけで、室戸岬方面に行くときに阿波海南から海の駅東洋町までわざわざDMVに乗らないといけない状況は観光客殺しともいえます。あるいは徳島バス南部を使うにしても中途半端な乗り継ぎとなるわけで、なんで高知東部交通が阿波海南まで来ないのか。県境があるとはいえ昭和の昔からこのエリアでの中途半端な乗り継ぎがネックで、しかもわかりづらかったのが令和の現代でも基本は変わっていません。甲浦駅に高知東部バスが来ていた時代が一番マシだったという厳しい状況です。

公共交通としてこのエリアの交通を見るという意味では、10月末から2月いっぱいの土休日と金曜、祝前日の1日乗り放題となる徳島県の公共交通利用促進事業の一環として、「徳島レール&バス東西きっぷ/南北きっぷ」が発売されています。
DMVなどは「南北きっぷ」の対象エリアとなっており(DMV室戸岬系統は除く。特急自由席は利用可能)、さらに「共同経営」区間の高速バスも利用可能と、まさにこのエリアの交通を見るにはうってつけの商品であり、この展開も含めたルポがあるかどうかで同誌の評価は決定的になるでしょうね。鉄道ファン誌の「たのしいてつどう」路線か、鉄道ピクトリアル誌の「学究」路線のどちらにもならないうえに中途半端では。ちなみに鉄道ファン誌ですら既に取り上げていますが。

余談ですが、上記商品はJR四国アプリ専用のデジタルチケットですが、確かに購入は楽で、ひこぼしラインの1日フリーのようにJRのアプリではなく県のアプリで発売、という分かりづらさもないのは評価できます。ただ、スクリーンショットでの乗車は不可と明記されているのでいちいちアプリ起動となるのが厄介で、しかもログイン状態を保持しているはずが解除されることが1日のうちに数回もあると頭を抱えるわけで、現場では他地域のデジタルチケットでの同種のトラブル同様、「お通りください」の信用乗車状態にするしかないわけです。実際私が利用した時も喰らっており、同じDMVに乗り降りしていたこともあり、その場は運転手のご厚意で降りられましたが。

さらにトンネルに挟まれた駅で降りる際とか考えているんでしょうかね。通信事情が必ずしも良くない山間部や沿岸部とかも。上記ひこぼしラインなんかは南行きの筑前岩屋とか長大トンネルを出てすぐ停留所というシチュエーションですが。



ちょっと残念なピクの前号

2020-07-09 22:08:00 | 書評
月遅れとなりましたがピクのが7月号、ムーンライト特集を入手しました。
ピクらしい内容のある記事かと思いきや、想像以上に上滑りでしたね。「ムーンライト(えちご)」の前身となる臨時急行について写真も含めて情報が出ていたのはさすがですが、それ以外が結構残念です。

トリビア的なネタも案外少なかったですね。大垣夜行が143列車時代も含めて出ていましたが、救済臨の救済臨が出たという話は写真のキャプションだけというのは寂しい話ですし、2001年夏からの113系救済臨もキャプションだけともう少し掘り下げが欲しかったです。救済臨の救済臨で横コツの編成と書くのなら、救済臨の113系は海シンの6+4の10連が専用編成で投入されていたんですが。(大垣発初列車に乗車)

113系サロ2連組み込みの事例は出ていましたが、救済臨の最初が1989年9月というのは認識が甘く、国鉄最後の日の「謝恩フリーきっぷ」に絡む1987年3月30日の運行ですよ。翌31日夜と合わせての2日間の運行がその興りです。大垣夜行も1990年夏の米原延長への言及がないですし。
救済臨も165系、167系時代には東チタの簡リク編成の充当とか話題があったんですが。

「ムーンライト」にしても、山手貨物線の工事運休の関係で運転開始早々に上野行きで運転されたことがあるとか、新井編成が増結されていた時にはマルス上は「ムーンライト新井」という「名称」でマルスに収納されていたため、その位置を探せないと発見できない(冊子をめくるタイプの端末だと最後尾のページにあった)とか、当時利用していれば膝を打つ話題もあったんですが。

青春18には欠かせない列車ではあるんですが、1987年9月の登場当時は指定席券購入による普通車指定席乗車に関して「やまぐち」号のみ利用可能と限定しており、「ムーンライト」も排除されていました。
現場では混乱もあったんでしょうが、窓口では乗れないという案内が支配的でした。実際に1987年9月の運転開始直後に新潟→新宿で乗車した際に窓口で確認していますが、乗れないという案内でした。ですから運行開始直後は青春18の有効期間と重なり指定券が入手困難、というくだりは事実に反しますね。実際にプラチナチケットという感じでもなく、ほどほどに乗っているという感じでしたから。

1988年春のシーズンから「ムーンライト」を抱えるJR東日本が通達で解禁しましたが、他社では不可の扱いだったはずです。1988年夏にJR東海の夜行快速に乗車しましたが、JR東海東京駅の窓口で確認したところ、不可という案内でした。ちなみにこの夜行快速、名古屋→紀伊勝浦(亀山経由)の「スターライト」(キハ58+28の2連、指定席1両)ですが、今回の特集には全く出てきません。「ミッドナイト」は出てきますし、「ムーンライト」の一族でも「東京」「仙台」が出ているし、JR西日本側の新宮夜行に言及があるのに出てこないというのも「浅さ」の証左でしょう。


青木栄一氏を悼む

2020-05-07 21:48:00 | 書評
東京学倦蜉w名誉教授で地理学者の青木栄一氏が亡くなりました。
40年以上の鉄道ジャーナル(RJ)読者としては、毎号のように掲載される路線や地域の詳細な鉄道史でお馴染みで、1970年代後半からの長期連載特集「日本の鉄道」は青木氏の歴史関係があって成立したと言っていいでしょう。

同時期のRJ誌はルモ竡梹抹ィでの種村直樹氏が評判でしたが、青木氏の歴史、地理関係の記事の教養は、「日本の鉄道」のほか、特定地方交通線シリーズでも遺憾なく発揮されており、正直言って当時は堅苦しく感じることも多かったですが、後に資料としてRJ誌を見返したときは、青木氏と他の格差は歴然としており、保有している価値を高めて頂いた格好です。

あの当時のRJ誌にはプライベートプレスで有名な佐々木桔梗氏の連載もあり、見開き程度の小品でしたが趣味誌とは隔絶した教養を感じたものです。近年RJ誌には「文学の中の鉄道」という連載がありましたが、それはそれで労作とはいえ、佐々木氏の内容には遠く及ばない印象です。(2009年に佐々木桔梗氏は亡くなられていますが、Wikiに記事がありません。これも百科事典と言いながらの底の浅さを示すものでしょう)

今にして思うと、1970年代から80年代は「ジャーナル」を名乗りながら何というバランス感覚というかメニューの広さを感じますね。国鉄や鉄道会社の「中の人」、趣味界の方は多かった反面、今ほど「専門家」がいなかったのが実情ですが、それを補って余りある「多士済々」であり、あの時代のRJ誌で趣味を育てることができた幸運に感謝しています。

その古き良き時代を楽しませて頂いたお一人だった青木氏の訃報に、改めてご冥福をお祈りするとともに、心から感謝の念を申し上げます。


左右両翼の勝手な批判

2019-08-08 21:24:00 | 書評
結局今更のように「夕凪の街 桜の国」を読了しました。
なるほど、こういう表現もあるのだな、という想いと凄みを感じる半面、1955年を起点にする「限界」も感じました。

作者の年代から察するに、当時の様子を聞いたという父君は1930年代後半の生まれではないでしょうか。
具体的に当時を語れるのはどのくらいの時期からか、それが1955年(昭和30年)という感じがします。私の場合は疎開経験の話を親から聞き、B29を見たという話も聞きましたが、やはり幼少期ということで、疎開から帰ってきてからの詳しい記憶は1950年代に入ってからになります。

作者の、そして私にとっても親世代に当たる中沢啓治氏は1939年生まれながら、「はだしのゲン」で1945年の被爆と戦後の混乱期を描けたわけですが、キノコ雲の下にいたかという違いでしょうね。それにより記憶が鮮明に残っていたかの差になるのです。

逆にキノコ雲の下の記憶に基づく「はだしのゲン」は1953年で「退場」したわけです。成長譚としてハイティーンになるゲンのその後がどうなったのかを一時は書こうとしていながら健康状態を理由に断念したわけですが、平凡な後日譚になるか、あるいはリアリティのない「平和の物語」に収斂するしかなさそうであり、かえって良かったのかもしれません。

こうの史代氏の一連の作品は「はだしのゲン」を挟む世代を描いており、それは意図的に同世代にしなかったのかは不明ですが、結果としてどちらが優れている、ではなく両方を読むことで今につながる物語になるといえます。


凄みがあるのは「夕凪の街」での「女性目線」での描写です。
wikiあたりでの解説では全く無視されていますが、なぜワンピースを着ようとしないのかとか、銭湯でのシーンとか、一度気づくと浮ュなりますね。

あるいは伏線回収的な2004年を舞台にした「桜の国」第2話。この段階で被爆2世を理由とした結婚忌避というのは考えさせられるというか、あったとしても相当レアケースではと思わざるを得ないのですが、「原爆もの」で21世紀を舞台に現在進行形の物語を描けるというのはすごいですし、さりげない描写というかエピソードの端々に、諸々が風化しつつあるという想いが織り込まれていることにどこまで気付けるかでしょう。

気になるのはこうの作品に対する「批判」です。国士様、というか国士様もどきが「はだしのゲン」をdisることの裏返しで、やれ「日本」への過剰な意識が、とか、朝鮮人が出てこない、とか、日本加害者論の延長線で批判する傾向。
「ヒロシマ」という無国籍チックな場所ではなく、「広島」という日本の一都市であった出来事なんだ。という意思でしょう。1987年、2004年という時代を舞台にして訴えているものの一つは。「夕凪の街」のように10年前の出来事がフラッシュバックすることもなく、別世界の出来事として扱われていることへのアンチテーゼが見えます。

朝鮮人については、なんで「日本の犠牲」を語るときに朝鮮人だって、と言わないといけないお約束なのか。
「夕凪の街」の時代背景であれば、「はだしのゲン」で日本人を六等国民と罵って肩で風を切っていた記憶も新しい時期ですし、原爆スラムにしても、もちろん朝鮮人被爆者も居住していましたが、そもそも朝鮮人被爆者の多くは韓国へ「帰国」したという事実が抜けています。
朝鮮人被爆者がクローズアップされるのは、被爆当時「帝国臣民」だったにもかかわらず日本政府によるケアから外されたことに対する訴えが専ら韓国在住の被爆者から湧き起こる1960年代以降ですから。

結局、左右ともこうした作品を自分たちの主張のために利用しているだけです。
8月6日の黙祷をかき消すシュプレヒコール、団体の名前を大きく染め抜いた幟が目立つデモ行進。あるいは反日とレッテルを貼る勢力。都合のいいつまみ食いの批判がどれだけ傷つけるのか。「この世界の片隅に」の太極旗のシーンが特定の勢力への「サービスシーン」とされるような表現しか許されない状況は、それこそ表現の自由の問題であり、証言者がいなくなったことを幸いに歴史を書き換える行為といえます。







優劣をつける愚

2019-08-06 22:08:00 | 書評
広島は74回目の原爆忌を迎えました。何の因果かこの日に市内で仕事があり、日帰りを予定していたのが台風接近の恐れということで中止になり、当日の市内の空気を感じる得難い機会でもあっただけに、ちょっと残念です。
まあその前後に帰省することはしばしばでしたが、空気を読めないデモ行進や、寄り添う気持ちもないことがわかる千羽鶴の忘れ物とか、外野の狼藉が目立つ時期でもあります。そもそも10万単位の市民の「命日」であることが分かってないんでしょうね。

さて、この時期に合わせてNHKが地上波で「この世界の片隅に」を放映しました。被爆者や被爆二世を描いた「夕凪の街 桜の国」は遺憾ながら未読ですし、「この世界の片隅に」も読了したのは最近というニワカではありますが、アニメ版を見て改めて考えさせられました。

原爆を直接同時代として知るのは親世代という意味では作者と私は同じ立ち位置にあるわけで、その意味では同時代を生きた「はだしのゲン」の作者とは決定的に違います。それはすなわちキノコ雲の下にいたのか、キノコ雲を見ていたのか、という違いであり、それがリアリズムの差になっていると考えます。

しかしそれが両作品の「優劣」をつけるものではないわけです。
「はだしのゲン」が作者をして被爆直後の描写は手心を加えたと言わしめてなおあのリアルに対し、「この世界の片隅に」は徹底的なまでに「傍観者」になっています。

もちろん空襲で姪を失いその際に自分も右手を失う重傷を負うというシーンがあるし、機銃綜ヒに遭いかけるシーンもありますが、同時代を生きていない作者が作者なりの「リアリズム」を出すために選んだのがあの手法なんでしょう。
物語の舞台を呉に採ったのもそうでしょう。しかも灰ヶ峰を背負う山腹の集落が日常の舞台であり、度重なる空襲を受けている市街地や軍港を「眺める」位置にあるわけです。

「8月6日」もそう。実家に擬えた江波にいれば柳田邦男の「空白の天気図」で描写されたように直接の被害は受けず、主人公の実母のように運悪く中心街に出かけているか、実父のように二次被爆の影響を受けるかが被害であり、江波で「傍観」するという舞台回しもあったはずですが、呉を選んだわけです。

周辺の日常を徹底的にリアルに描くことで、平和教育などで漠然と身についている「知識」がリアリティをもって脳裏を過ぎる。ある意味直接的な表現にこだわった「はだしのゲン」のリアリズムとは表裏の関係ですが、そこは青年誌で連載された「この世界の片隅に」と少年誌で連載された「はだしのゲン」で要求されるものが違ったということでしょう。

一方で「はだしのゲン」が活写した「焼け跡闇市派」としての子供たちの成長譚としての部分。そのアクの強さが「はだしのゲン」へ嫌悪感を抱かせるケースもあるようですが、逆に「この世界の片隅に」も「さらに」ではなく「その後」を描けば、「はだしのゲン」とのクロスオーバーを余儀なくされたでしょう。戦争末期の闇市での物価高騰に目を回して購入を逡巡しているのは主人公の性格ゆえ、という整理が出来ますが、じゃあ敗戦後のカオスを生き延びたのであれば、物語で出てきたタケノコ生活では到底済まないエグい状況がこれでもかと出てくるはずです。

しかしそのリアリティを見せたら作品にならなくなる。あそこでエンドマークを出すしかないのでしょう。あるいは軍需工場を「解雇」された義父はともかく、海軍という「役所」勤めの夫がいて、戦災を免れた家もあるということは、焼け跡闇市というステレオタイプの「終戦直後」ではない日常が続くわけで、それはそれで読者に訴える「リアリティ」がない、という判断でしょうか。

ちなみにリアリティという意味で気になったのは、「はだしのゲン」では敗戦後すぐの広島を襲った枕崎台風の描写がありません。その時期を飛ばした格好で「戦後編」が始まるのです。「空白の天気図」が原爆とともに1945年の広島を襲ったもう一つの「悲劇」である枕崎台風に軸足を置いたノンフィクションですが、「この世界の片隅に」でもアニメ版では省略されているものの原作ではきちんと描写があるわけで、なぜ「はだしのゲン」がこれを省いたのか。

さて、作者による一連の作品が世に出て評判をとる時期と、「はだしのゲン」に対するイデオロギー的なバッシングが沸き上がる時期が重なったことで、国士様系を中心に「はだしのゲン」よりも「夕凪の街、桜の国」を、という「運動」がありました。

まあその当時はこの作者の作品に全く目を通していなかっただけに、一連の作品が歴史修正主義的な存在のように誤解していた面もあったわけですが、目を通してみると、上記の通り「はだしのゲン」とは同じカードの表裏の関係であり、直接的な表現がないだけで、相当辛辣な表現があふれており、国士様系の読解力の貧困さに改めて嘆息するしかないわけです。

例えばアニメ版だと原作にない「強調」がいくつかあるわけで、呉に嫁ぐ際の呉線車内の描写(海岸線側の鎧戸を下す指示。スハ32系の3等車の描写は細かいですけどね)や、戦争後期でありながら呉市内の遊郭には小ざっぱりとした軍装の高級将校が出入りしている描写とかありますが、作者同意の「改描」であれば国士様の絶賛が「あーあ」というレベルに見えます。

アニメ版ではシーンの意味すら変えて物議をかもした玉音放送直後に太極旗を見てつぶやくシーンもそう。敗戦という現実に直面し、じゃあ自分たちが支配してきた「国」はどうなるのか。同じ時に満州では青天白日旗、朝鮮では太極旗がはためいたのを見て「ハッとした」ということは、それこそ引き揚げ体験を持つ人たちがよく語るシーンですが、植民地の生産力に助けられていたのに気付いた、なんて綺麗ごとではなく、今までの「支配」に対して、権力が崩壊した今、どういう報復を受けるのか、という恐れがまずあったはずですし、原作も直接的な表現を避けていますが、言いたいことはそれに尽きるはずです。

これが「はだしのゲン」では称賛するサヨク系はなぜ「批判」しないのか不思議な朝鮮人の「狼藉」シーンにつながるわけです。「貴様ら六等国が」と踏みつける現実が、太極旗を見て感じたものの具体化です。

そして「はだしのゲン」では国家を忖度してお先棒を担ぐ町内会長という屈指のキャラクターがいましたが、「この世界の片隅に」ではそういうピエロは置かない代わりに、隣組での活動、当時の教育資料、「代用品」による対応、などを細かく示すことで、不自由さと理不尽さを示しています。アニメ版で追加された遊郭を闊歩する高級将校は、「庶民」の困窮に対して、という現実を印象付ける小道具でしょう。

そして最後(最終話)に伏線回収だけでなく、それまで避けてきた「死」を作者なりのリアリズムで描いたわけです。
実は「はだしのゲン」は少年誌だからでしょうか、被爆者の描写で皮膚が垂れ下がったり、顔面が火傷で爛れていたり、全身にガラスが突き刺さる描写はありますが、基本は「五体満足」だった記憶があります。(時間がたつと手足を失った人も出てくるが)
一方で「この世界の片隅に」は主人公が右手首から先を失っているわけで、小姑が着替えを手伝ったり、片手で着られるようにしたりという描写は、見落としがちな「本当の不自由」を示しています。

最終話に登場した「親子」もそう。唐突に始まるシーンですが、それまでの「傍観的な」描写を覆す極限の描写です。
広島駅のシーンだけで原爆孤児と分かるはずなのに、あえてあのシーンが入る。実は「はだしのゲン」にこの手の描写はなく、「空白の天気図」には文章ながら鬼気迫る描写がある。そう考えるとその唐突さに強いメッセージ性を感じます。

国士様系には見えていないわけですが、「はだしのゲン」が左翼的メッセージが強いという批判にしても、では「この世界の片隅に」はそういうことがないからお勧め、という凡百の国士様は何を見ているのか。
太極旗のシーンのように直接的でなくとも、「庶民」の冷めた感情はいたるところに見え隠れしているわけです。
まだゲンの父親がゲンの兄の出征時に万歳で送り出すほうが素直であり、活写されている「庶民」のしたたかな生き様のほうがよほど「毒」でしょう。

そう、物語が続けば左翼思想に対する「同じカードの裏表」が出てきたでしょう。成長譚として焼け跡闇市の描写が必要な「はだしのゲン」に対し、「この世界の片隅に」はそこまでをターゲットにしなかったに過ぎません。
それは決してイデオロギー的なものではなく、「物語の都合」にすぎないわけで、それで優劣を云々する国士様系はまさにつまみ食いで評しているにすぎません。