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Straphangers’ Room2022

旧Straphangers' Eyeや習志野原の掲示板の管理人の書きなぐりです

国連の許されざる干渉

2024-11-13 22:15:47 | 歴史
国連が我が国皇室典範に難癖をつけたようです。それに呼応するように「馬の骨」派が沸き上がっていますね。
だから愛子内親王殿下の即位を、とか、皇室典範を改正しないからこうなるとか、世論が支持するから「馬の骨」朝の皇位簒奪を容認するどころか、国連が言うから皇位簒奪を認めましょうとは恐れ入りますね。外国のお眼鏡に叶う「名家」を仰ぐとでも言ったらどうでしょう。結局これは1500年以上続く皇統という権威を何とかして破壊しようという動きの一環でしょう。

その意味では「馬の骨」派も一枚嚙んでいることが強く疑われるわけで、外国勢力の手まで借りて我が国の伝統を破壊しようとしている勢力はいったい何なのか。いよいよ本性を現したというか、最終段階になったといえます。
この手の勢力は地道に、何代もかけてでも目的を果たそうとするのです。A級戦犯の処刑が当時の皇太子(上皇陛下)誕生日だったのも単なる偶然説もありますが、将来の「天長節」を汚そう、釘を刺そうとする仕込みだったという説は説得力があります。半世紀近く経って実現しましたが、そういう発想が確実にあります。

我が国は「馬の骨」朝への皇位簒奪を容認するくらいであれば共和制とすべきでしょう。
そもそも日本国憲法は特権階級の存在を認めていませんから、「神武」朝以外の馬の骨を特権階級として認めることはできないと知るべきです。

今回許されざる干渉を行った欧米でも、「馬の骨」派も持て囃す英国王室ですら、女系相続をした時点で「ハノーヴァー」から「ザクセン=コーブルク=ゴータ」、「ウインザー」から「マウントバッテン=ウインザー」と姓が変わっています。家名はウインザーと政府は定義づけていますが、姓は変わっているし、家名と定義する人も少なくないという厳然たる事実ですからね。

もっとも、我が国が干渉を受け入れたとしても、皇嗣たる秋篠宮殿下、さらにその男系男子である悠仁親王殿下をどう扱うのか。皇位継承順位を変更して事実上の「廃太子」を断行するのか。そうなるといよいよ「簒奪」の色彩が強くなるわけで、外国勢力の力を借りて皇位簒奪を図るという一種の「外患誘致」に等しい所業といえます。
まさかその日のために「立太子」をしなかったのか。そうであれば、政府も宮内庁も皇位を破壊すべく活動していた反逆者、謀反人といえます。

どうしても干渉を受け入れるしかないのであれば、悠仁親王殿下、最悪でも「立皇嗣の礼」を実施した秋篠宮殿下を基準に女性を含めた継承にすべきでしょう。秋篠宮殿下は皇室典範特例法第5条で皇太子と同格とされていますから、皇位継承順位変更となると「廃太子」です。そして悠仁親王殿下は「皇太子の男系男子」と見做されることになりますが(秋篠宮殿下の薨去後は皇室典範第8条により「皇太孫」になり、摂政の就任順位など他の皇族とは違う存在になります)、これも「廃太孫」になります。

男女平等までは受け入れても、廃太子、廃太孫となると話は全然違いますから。
各国の王位継承でも、現行ルールの継承順位をひっくり返した事例は1980年のスウェーデンくらいであり、女性元首、女系継承は多々あれど、「廃太子」は異例中の異例といえますから、参考とすべき事例とは到底言えません。

ちなみに今回の総選挙で大きく躍進したネトウヨ政党ですが、この卑劣極まる干渉に対して何のコメントも出していません。天皇を中心にとか、国体と伝統文化を守るとか言ってますが、この一大事に何も言わないというのは馬の骨による簒奪上等というしかないわけです。結局右味を出したらネトウヨがホイホイと釣れる、というレベルのエセ保守にすぎません。



学歴よりも帝王学

2024-10-26 12:40:01 | 歴史
悠仁親王殿下の進学がとやかく言われていますが、そもそも未来の天皇に必要な「学歴」とは何なのか。学習院に行かないことを難詰する向きもありますが、戦前ならまだしも戦後どころか21世紀に一私学が未来の天皇を教育するに足る知見とノウハウを持ち合わせているのか。昭和天皇は外部の学校に通わず宮中に「ご学問所」を設立して学ばれたのは、「帝王学」は一般教育とは別物とだれもが認識していたからでしょう。

天皇という地位とは別に学問に打ち込みたいのであれば、学制の中で学ばなくとも聴講生でもいいわけです。成年皇族としての「任務」が優先ですから。上皇陛下も昭和天皇の名代としての訪英を優先して「中退」しています。
ですからそもそも高校の段階であっても進路に拘泥する必要はないですし、それを鬼の首をとったかのように批判することもまた不適切な話です。

まあそれこそ「このジャンルを学びたい」というのであれば別枠で門戸を開くべきでした。国民は未来の天皇に受験戦争で勝ち抜くことなど求めていませんし、ふさわしい教育を別格に用意すべきと考えています。だいたい、「帝王学」を学ぶ機会もない、ということがあり得ないわけで、そういう「特殊な」学びを専門にされるべきなのです。公平性ガー、といった批判は「臣民」の話でしょうに。

一方でこういう批判は結局は秋篠宮家disの一環ですから、何をやっても批判されていたことは想像に難くありません。
とにかくケチをつけて蔑む、ネガティブイメージを植え付けるのが目的ですから。そう考えると、降嫁して臣下となった元内親王もそうですが、ネガティブキャンペーン、さらに恐れずに言えば「馬の骨」王朝促進派の行動を「ねじ伏せる」でないと根本を絶つことはできない、ということなんでしょうね。

勝手な思い込みとケチつけであれこれ言いたい放題だった元内親王の夫君がニューヨーク州法弁護士の資格を獲得した瞬間に、どう批判しようと逆立ちしても叶わないステータスを目の当たりにして批判すればするだけ惨めになるだけという現実を思い知ったんでしょう。そしてその成功体験を悠仁親王殿下にも、という考えが透けて見えるようにも感じます。
これでもし一般入試など「実力」での進学となったら、元内親王の時の比ではない屈辱になるでしょうね。

まあ君主制はそういう国民の妬みやっかみが「革命」などの事態を招くので、総じて慎みを旨としていますが、黙っていたら言いたい放題で、皇位簒奪に余念がない、という現状を踏まえると、現実をもって黙らせるしかないんでしょう。



国際標準では反面教師となるバブル否定の経済政策

2024-10-22 20:14:31 | 歴史
NHKの「映像の世紀」でバブル期の流通界の両雄だったダイエーの中内功氏(正確にはエに刀)と、セゾンの堤清二氏を取り上げていました。いま「バブル期」と書きましたが、改めて私自身もバブル期の空気を共有していただけに、当時を振り返ると、今では批判的文脈で論じるのがお作法とされる「バブル」は果たして悪だったのか、と思います。

話のマクラとしてマンハッタンのビルを次々買い漁って米国の、特に東部エスタブリッシュの反発を招いた出来事をバブルの象徴として描いていましたが、国内においては誰が困っていたのか、というのが正直なところでしょう。
不動産バブルという面が強かったですが、中流層(中産層/中堅層)が不動産を購入できていた時代です。中流層が破壊しつくされた足元においては23区内の新築マンションの平均分譲価格が1億円を突破して高止まりしており、手が出せる層は 二極分化した富裕層となっている現代とは違いました。タワマンだなんだという話が別世界という人が大半なのに対し、バブル期は多くの人がそのプレイヤーになれましたから。

ダイエーはデフレに陥った時代を先取り?した安売り路線でしたが、セゾンは時代の寵児としての独自性にあふれていました。堤康次郎の息子ということは強調されていましたが番組では全然出てこなかった異母弟の堤義明氏も含めて、バブルを私するというよりも経済全体を底上げして拡大再生産していく、という思想がありました。

安いだけ、あるいは値札がすべての差別化とか、果ては購買力のあるインバウンドのほうばかり向くといった令和の財界人にはない哲学がありましたね。いま持て囃されている流通やレジャーにはない魅力もありました。
安売り路線といいましたがダイエーにしてもデフレ下の安売り路線にはないものを持っていたわけで、そういえばと再認識したのが番組にも出てきた新神戸オリエンタルシティでしょう。トラは死して皮を残すとはよくぞ言ったもんで、苦戦はしていますが「失われた(n)十年」のなかではコンセプトをまだ残しているといえます。

そしてセゾンは解体されましたが、池袋西武をめぐるゴタゴタは貧すれば鈍する我が国の現在を象徴するような話です。プライドも哲学もないコンビニ経営の慣れの果てというしかなく、家電量販店となるためショーウィンドウを失った地下改札前の通路は西武沿線住民に深い失望を与えています。いくつかは当時の輝きを残す施設もありますが、目立って残るものはなく、その意味ではセゾンは死して皮も残せなかったような感じです。

「失われた(n)十年」が我が国をチープにしたといえますが、それこそがバブル憎しでハードランディングさせた我が国の金融政策の責任です。皮肉にも日本の低迷、没落が各国の金融当局の景気対策における反面教師になった格好で、我が国の二の轍を踏まないように丁寧に対応しているわけです。

敢えて言えば緩急をつけることも必要だったのか。経済は過熱しましたが、それでもシャンパンタワーのようなトリクルダウンがあった最後の時期でしょう。物価と賃金が両建てで上がっていくことに不満は出ないのです。政策金利が6%とか信じられない時代ですが、その金利で住宅ローンを組んでも問題がなかったのですし。

バブル退治の「鬼平」ともてはやされた日銀総裁は今に続く低迷と社会の二極分化を招いた張本人でしょう。見た目の景気回復を安直に演出するため、社会全体ではなく富裕層だけを引き上げて「中央値」を大きく乖離した「平均値」の底上げというお化粧の時代です。低金利、物価安なのに暮らし向きはよくならず、雇用をはじめ不安は増大する社会です。

基本的に経済は成長してナンボ、というのが正解でしょう。足元欧米に海外旅行に行くと物価高に目を回しますが、現地では物価と賃金が基本両建てで上がっていますから普通に見えるのです。それでも物価高のほうだけが進むことで苦境に陥る人も少なくないですが、ギャップはそこだけです。

30年以上前、日経平均が4万円に迫ったバブル崩壊前の市場高騰期、NYダウは3千ドル程度でした。そして30数年経ってダウは最高値を更新して4万ドルを突破しましたが、バブル退治とか言っていた我が国はその後日経平均がピークの2割程度にまで下がり、ようやくあの時の最高値を更新するもすぐそれを下回る有様です。ダウも下げていますが、8千ドルから1万3千ドルの間で長く行ったり来たりでしたから、8割を失うようなハードランディングではありません。

なお米国の消費者物価指数は30数年で2.5倍、給与水準は平均値で2.5倍、中央値で2.4倍ですから、物価と賃金はバランスして伸びています。ダウが13倍になっているということは、金利差を考えたらまずまずの資産形成にもなっています。利回り5%とすると30年間で単利ベースでも1.5倍になりますから、物価上昇と複利計算をすれば近似値からやや多めということでしょう。

経済が正常に推移していれば、社会はどうだったのか。あの当時に成熟社会を見据えて行動してたにもかかわらず、政策としてのハードランディングがそれを吹き飛ばし、社会を破壊したわけです。
安ければいいという発想や、破綻企業の居抜きでの成長がもてはやされる時代に、文化も哲学もありません。

そして当時の流行や文化を殊更に否定して嘲笑するのがお作法になっていますが、馬鹿げているようで誰もそれで困らなかったわけです。そしてそれが絶対にできないという絶望感を覆い隠すための「否定」とも言えますし、諦めるための「酸っぱい葡萄症候群」からは何も生まれません。



あからさまになる簒奪

2024-09-30 21:36:59 | 歴史
以前1974年に倒れたエチオピア帝国の「月賦革命」について述べたことがあります。その趣旨は「馬の骨」王朝を狙う勢力による正統の権威を薄皮をはぐように除去していくというやり方が持つ相似形への警鐘でしたが、最近の「馬の骨」派はいよいよエチオピア革命のクライマックスのような手口に移行しています。

「正統」である秋篠宮家、そして旧皇族をとにもかくにもdisりまくる大学教授はまさにその走狗でしょう。正統を残すことはかないませんでしたが、女系相続を認めるのであれば女王としてその権利をもつ三笠宮家へのdisも欠かさないあたり、少しでも可能性を封じるということなんでしょう。

そして残る天皇家は正統を残せないのですが、なぜかageまくっているのは、そりゃ「馬の骨」王朝への移行とその権威付けとして有効だからです。
「月賦革命」で有力な皇族が排除され、皇帝は孤立し、そして満を持して退位を迫られたわけです。この時は別王朝ではなく社会主義革命でしたが、他の国でよく見られたような性急な武力革命ではなく、地道に権威を丸裸にしたわけです。

ちょうど今人気の「王朝絵巻」でもありましたよね。藤原氏との接点がない天皇が退位に追い込まれるわけです。日本の場合、これは七不思議の域ですが、藤原氏は皇位を簒奪するのではなく、皇統の外戚として実権と旨味を得るという道を選ぶという、世界的に見て珍しいスキームを選んでいます。
それはさておき、皇位簒奪に等しいすげ替えも、権威を貶めることで追い込んだのです。


今足元の状況は、既にあからさまに「馬の骨」王朝待望論になっています。


教えるべき人に教えず、教える必要がない人に教えるのが問題

2024-09-27 23:37:26 | 歴史
相変わらず「馬の骨」派の神道学者が必死です。
悠仁親王殿下が帝王学を受けていない、愛子内親王殿下の成年時の会見は素晴らしい、と必死になって「廃嫡」を目指していますが、問題なのは「帝王学」、すなわち天皇たる振舞いを教育していないことにあるわけで、悠仁親王殿下に問題があるわけではありません。口伝や一子相伝の類があるのであれば、陛下が伝えるべきであり、そうでなければ宮内庁なりが準備しないといけません。事実上の「次の天皇」に対して必要なのは「帝王学」であり、トンボだなんだというものではないからです。しかしそれをもって秋篠宮家disはあり得ない批判であり、天皇家もしくは宮内庁の怠慢の結果となります。

「次の天皇」は動きません。必要な知見を得ていないのであれば学んで頂くだけです。皇位継承権がないけど有徳の人間に皇位を継がせるのであればそれは易姓革命です。中国の風習であり、我が国の伝統にはありません。にもかかわらず愛子内親王殿下を推し続けるのはなぜか。少なく見積もっても1500年あまりの伝統を持つ皇室を滅ぼさんとする意向に他なりません。正統がいると困るから、としか言いようがない対応です。

そもそも神道学者であれば、「シャーマン」であり「神主」でもある天皇という地位を理解していないといけないはずですが、全く分かっていません。
皇位継承のルールに従ってその地位は譲られてきたわけですが、そうではない「自称」が宗教的権威足り得るのか。
政治的な存在としての「国家元首」「君主」であれば決めごとということも可能ですが、それとて憲法が規定する「平等」の例外として「新しい王家」となることを認め得るのか。政治的存在であれば、憲法という枠組みを外れることはできませんから。

そもそも憲法に抵触するが例外として認められているのも、伝統と権威があるからです。
それこそ「偽物」が擁立されたら南北朝にもならずに否定されます。