「海洋産業立国」の目標を掲げることには、異論がないと思われるが、[漁業の近代化]と言うと、疑問を持つ人が多いであろう。
それは、日本の漁業は戦後の一時期の隆盛時代を経て今では衰退産業となって、だれも未来に期待を持っていないからである。
漁業をライフワークとする人はどんどん減り続けて、就労者も87万人から20万人までになり、その40%は60才以上になっている。
この様に衰退してきた理由には、日本の政策の立ち遅れも大きな原因となっている。
周り中を海に囲まれて、しかも暖流と寒流が混ざり合う地域にある日本は、世界でもまれにみる漁業資源に恵まれている。
かっては水産物の輸出国であった日本は1975年には輸入国になって、今では毎年、400万トンが輸入され、輸入代金は1.8兆円に達している。
これは、石油に次いで2番目に多い輸入品となって、自給率は50%にまで下がっている。
1970年代には、漁港の整備などに年間2000億円を超える公的資金が投じられてきている。
漁港は整備されて世界に比較して、インフラの整備は圧倒的に充実してきた。
しかし、ここにも「コンクリート国家」の面目を発揮して、漁船のいない漁港をたくさん造り続ける様な愚かな政策に固執して、近代化や漁業就労者への投資は、先送りをされ続けてきた。
「コンクリートから人と知能化」への転換が遅れたのである。
それと一部では成果を上げつつある「漁業の持続可能化」への取り組みが、大幅に不足している。
具体的には、養殖漁業への研究と開発、事業の拡大への取り組みである。
今の養殖漁業は、イワシなどの小魚を大量に与える過密養殖池での事業であるが、魚の病気予防やイワシの収穫などの為に、コストはかさみ、広げることが出来ない。
また、最近ではウナギの完全養殖(卵から成魚になるまで)に研究室レベルで成功したと報じられたが、このような研究と事業化への支援が、圧倒的に不足している。
最近の話題になった[クロマグロの乱獲制限の問題]なども、将来は大半のマグロを完全養殖にする方向と必要性がハッキリしてきている。
これも、今後の地道な研究と事業への挑戦が必要であるが、国や地域の支援は不足であろう。
成功した事例としては、北海道のオホーツク海に面した猿払村漁業協同組合による、ホタテガイの養殖である。
1960年にはドン底であった漁業を、ホタテガイの種貝の放流を1000万粒以上の規模で実施して、1974年からは収穫が出来るようになり、以後は豊富な水揚げによって、組合員の平均年収は2000万円を超えるレベルになっている。
この養殖による漁業になる前には、ホタテガイも無統制に近い乱獲競争であったために、ほぼ壊滅の状態であった。
漁業は天然のモノを獲るだけにしたら、必ず枯渇してしまう大事な資源である。
そのためにも、生態の研究と養殖に近ずける事業化の研究が不可欠で、初めて持続可能になる。
それは、日本の漁業は戦後の一時期の隆盛時代を経て今では衰退産業となって、だれも未来に期待を持っていないからである。
漁業をライフワークとする人はどんどん減り続けて、就労者も87万人から20万人までになり、その40%は60才以上になっている。
この様に衰退してきた理由には、日本の政策の立ち遅れも大きな原因となっている。
周り中を海に囲まれて、しかも暖流と寒流が混ざり合う地域にある日本は、世界でもまれにみる漁業資源に恵まれている。
かっては水産物の輸出国であった日本は1975年には輸入国になって、今では毎年、400万トンが輸入され、輸入代金は1.8兆円に達している。
これは、石油に次いで2番目に多い輸入品となって、自給率は50%にまで下がっている。
1970年代には、漁港の整備などに年間2000億円を超える公的資金が投じられてきている。
漁港は整備されて世界に比較して、インフラの整備は圧倒的に充実してきた。
しかし、ここにも「コンクリート国家」の面目を発揮して、漁船のいない漁港をたくさん造り続ける様な愚かな政策に固執して、近代化や漁業就労者への投資は、先送りをされ続けてきた。
「コンクリートから人と知能化」への転換が遅れたのである。
それと一部では成果を上げつつある「漁業の持続可能化」への取り組みが、大幅に不足している。
具体的には、養殖漁業への研究と開発、事業の拡大への取り組みである。
今の養殖漁業は、イワシなどの小魚を大量に与える過密養殖池での事業であるが、魚の病気予防やイワシの収穫などの為に、コストはかさみ、広げることが出来ない。
また、最近ではウナギの完全養殖(卵から成魚になるまで)に研究室レベルで成功したと報じられたが、このような研究と事業化への支援が、圧倒的に不足している。
最近の話題になった[クロマグロの乱獲制限の問題]なども、将来は大半のマグロを完全養殖にする方向と必要性がハッキリしてきている。
これも、今後の地道な研究と事業への挑戦が必要であるが、国や地域の支援は不足であろう。
成功した事例としては、北海道のオホーツク海に面した猿払村漁業協同組合による、ホタテガイの養殖である。
1960年にはドン底であった漁業を、ホタテガイの種貝の放流を1000万粒以上の規模で実施して、1974年からは収穫が出来るようになり、以後は豊富な水揚げによって、組合員の平均年収は2000万円を超えるレベルになっている。
この養殖による漁業になる前には、ホタテガイも無統制に近い乱獲競争であったために、ほぼ壊滅の状態であった。
漁業は天然のモノを獲るだけにしたら、必ず枯渇してしまう大事な資源である。
そのためにも、生態の研究と養殖に近ずける事業化の研究が不可欠で、初めて持続可能になる。