庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

自前で考える仕組み、組織は、書くことから始まる。そして発信。

2009-02-25 | 環境問題
 世の中の変動は目まぐるしいほどの時代に入った。いつの時代もそうだったかも知れない。老年世代にとって、ものすごいスピードに感じる。
経済問題。環境問題。健康問題。高齢化社会問題。どれも関連する。
それをただ、変わるがままに身を任せるのも一つの生き方だが、どうもしっくりしない。
やはり、自分の頭で考え、少しでも好ましい方向に変わっていくことを目指す。これを日常に取り込んでおけばすっきりする。なんか、張り合いがある生活になる。

インターネット時代は、あふれるほどの情報が飛び込んでくる。遮断しておきたい情報も、いやおうなく氾濫して、目につくようになり、情報中毒にかかってしまう。
アメリカは、石油中毒にかかっていると〈石油ずけの〉元大統領が言った。そうであるが、
日本は、情報中毒にかかっている。と間違いなく言える。
この氾濫の中をどう過ごして、中毒から離れて適正な判断力を養えるか、それを考えてみた。

見たり聞いたりしたことは、老年になるとすぐに忘れてしまう。有益なことも、くだらないことも、いっしょくたになるが、忘れるなら弊害がない。しかし往々にして、くだらない、無益で有害なことを記憶に残してしまう。人間のサガか。品格があればそうはならない筈だが、そんな器ではない。
やはり、聞いたり、見たことは、自分なりに考えてまとめてみる。それを忘れないように書いておく。そうすれば、くだらないことは入り込まなくなる。
人間は文字に書いてみることで「考える動物」であると誰が言ったか忘れたが、文字を発明してから
人間のレベルはグンと上がった。やはり、書くことが考える力を伸ばす一つの方法だろう。

幸いなことに、パソコン、ワープロ、という道具が進化してきた。誰でもその気さえあれば書ける。
若い人たちは、短い文字で意思を伝え合う携帯メールに没入したりして、書くことは慣れている。
老年世代は仕事上の文章は書いていても、自分の考えをまとめてみる目的で、書くことを習慣に取り込んでこなかった。日記を付ける人は書く習慣があるが、自分の記憶用に限定している。人に読んでもらうようなことは考えない。

私は日記を付ける習慣はできなかった。しかし、インターネットのメールを仕事上で使いだし、それを多用するうちに、個人の考えをメールの文章にして、相手に伝わるように工夫をしてきた。
まだまだ修行中の身であるが、初期から比べれば、少しは伝わる文章が書けるようになって来た気がする。
書くことは結構エネルギーがいる。何かを人に伝えたい、という強い気持ちがいる。
気軽に思ったことを書けばいいんですよ。と昔の高校生時代に習ったことを思い出したが、これは私にとっては当てはまらない。思っただけでは文章は書けない。

50歳代になってから、私は環境問題の活動をしている市民団体に参加し始めた。これは、また別の機会に書こうと思うが、そのころから自分の意見や発言は、書くことが必要になってきて、拙い文章でも、とにかく書いて伝える必要が出てきた。
そして、インターネットのメールを活用するうちに、書くことが習慣になり、それに対する反応を期待し、答えに対してまた考える。という繰り返しに抵抗感がなくなった。
自前で考える。という事のベースには、まず、書くこと。そして発信すること。以下、次回。