今日は午後5時より、展示会場のPuffin Roomにて、スティーブン・オカザキ監督による広島・長崎のドキュメンタリー映画「White Light, Black Rain」の上映と、ニューヨークの舞踏パフォーマンスグループ「Vangeline Theater」による舞踏パフォーマンスが開かれた。
スティーブン・オカザキ監督による広島・長崎のドキュメンタリー映画「White Light, Black Rain」は、去年、アメリカの地上波としては初めて、広島と長崎への原爆投下のドキュメンタリーとして放映されたテレビ映画である。この映画が大変優れた映画である、という話は多くの方から聞いていたのだが、今回のこの映画上映と舞踏パフォーマンスは会場側のPuffinのディレクターであるカールさんにより企画されていた為、私は一切触れずに完全に任せており、今日初めてこの映画を見たのだが、まさかこれほど優れた映画だとは正直思っていなかった。
アメリカと日本、相互の視点を交互に描きながら、「原爆投下」と広島における「被爆」の実態を、どんどんと掘り下げていく。また、この映画はアメリカ人向けに作られたものだが、被爆という実態が、どういうものなのか、記録映像と被爆者の証言を元に、わかり易くあぶり出していく。この映画を製作、そして上映するにおいて、監督には大変な苦労や葛藤があったことだろう。しかし、「映画」としてとても優れていた、それがとにかく素晴らしいと思う。オカザキ監督は、日系人の監督としての大役を果たしたと言えよう。また、映画の最後で、被爆者が9条の思いを口にしていたのだが、この一言で展示のコンテクストがアメリカ人に伝わり易くなったことが、私としては嬉しかった。
この日はこの映画に合わせて来て下さった来場者をカウントしたのだが、さまざまな人種、国籍、さらに広島からの来場者を含む79人もの方がいらして下さったのが、とても嬉しかった。来て下さった皆さん、ありがとう。
その後、Vangeline Theaterによる舞踏パフォーマンスが行われた。舞踏は、言わずと知れた日本の戦後を代表するダンスであり、さらにアメリカへと波及した、国際的な美術形式と言えると思う。彼らが展示会場にて、この展示の為のダンスを製作してくれ、とカールさんに依頼された際、彼らが迷わずに選んだ踊り場所は、柳幸典さんの「The Forbidden Box」の目の前であった。
この柳さんの作品「The Forbidden Box」は1995年、日本人とアメリカ人のコラボレーションとしては初めて、原爆をテーマとして製作された美術作品だと言われている。また、舞踏は周りにある環境そのものを作品の内部に取り込むというユニークな性格で知られているが、被爆をテーマとした作品の前で、アメリカ人ダンサーが舞踏を踊っているシーンに、私は不思議な感慨を覚えた。
舞踏をやっている日本人に聞いたのだが、海外で日本人ダンサーが、あのうち震える身体の様な舞踏作品を上映すると、すぐに欧米人から、「この作品は、ヒロシマと関係しているのか?」と聞かれると言う。舞踏そのものが作品の解釈をオープンにしているので、日本人舞踏ダンサーは、YesとNoだ、という答えをするらしいのだが、それがなかなか伝わらないので苦労する、と聞いたことがある。
私は、「被爆」をテーマとして舞踏を踊るアメリカ人ダンサーに対して、それこそ、「YesとNo」を自らの中に感じてしまった。何故、私がそう感じたのか、ゆっくり考えて行きたい。
今日は、とても嬉しい夕べだった。
スティーブン・オカザキ監督による広島・長崎のドキュメンタリー映画「White Light, Black Rain」は、去年、アメリカの地上波としては初めて、広島と長崎への原爆投下のドキュメンタリーとして放映されたテレビ映画である。この映画が大変優れた映画である、という話は多くの方から聞いていたのだが、今回のこの映画上映と舞踏パフォーマンスは会場側のPuffinのディレクターであるカールさんにより企画されていた為、私は一切触れずに完全に任せており、今日初めてこの映画を見たのだが、まさかこれほど優れた映画だとは正直思っていなかった。
アメリカと日本、相互の視点を交互に描きながら、「原爆投下」と広島における「被爆」の実態を、どんどんと掘り下げていく。また、この映画はアメリカ人向けに作られたものだが、被爆という実態が、どういうものなのか、記録映像と被爆者の証言を元に、わかり易くあぶり出していく。この映画を製作、そして上映するにおいて、監督には大変な苦労や葛藤があったことだろう。しかし、「映画」としてとても優れていた、それがとにかく素晴らしいと思う。オカザキ監督は、日系人の監督としての大役を果たしたと言えよう。また、映画の最後で、被爆者が9条の思いを口にしていたのだが、この一言で展示のコンテクストがアメリカ人に伝わり易くなったことが、私としては嬉しかった。
この日はこの映画に合わせて来て下さった来場者をカウントしたのだが、さまざまな人種、国籍、さらに広島からの来場者を含む79人もの方がいらして下さったのが、とても嬉しかった。来て下さった皆さん、ありがとう。
その後、Vangeline Theaterによる舞踏パフォーマンスが行われた。舞踏は、言わずと知れた日本の戦後を代表するダンスであり、さらにアメリカへと波及した、国際的な美術形式と言えると思う。彼らが展示会場にて、この展示の為のダンスを製作してくれ、とカールさんに依頼された際、彼らが迷わずに選んだ踊り場所は、柳幸典さんの「The Forbidden Box」の目の前であった。
この柳さんの作品「The Forbidden Box」は1995年、日本人とアメリカ人のコラボレーションとしては初めて、原爆をテーマとして製作された美術作品だと言われている。また、舞踏は周りにある環境そのものを作品の内部に取り込むというユニークな性格で知られているが、被爆をテーマとした作品の前で、アメリカ人ダンサーが舞踏を踊っているシーンに、私は不思議な感慨を覚えた。
舞踏をやっている日本人に聞いたのだが、海外で日本人ダンサーが、あのうち震える身体の様な舞踏作品を上映すると、すぐに欧米人から、「この作品は、ヒロシマと関係しているのか?」と聞かれると言う。舞踏そのものが作品の解釈をオープンにしているので、日本人舞踏ダンサーは、YesとNoだ、という答えをするらしいのだが、それがなかなか伝わらないので苦労する、と聞いたことがある。
私は、「被爆」をテーマとして舞踏を踊るアメリカ人ダンサーに対して、それこそ、「YesとNo」を自らの中に感じてしまった。何故、私がそう感じたのか、ゆっくり考えて行きたい。
今日は、とても嬉しい夕べだった。