Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

雨月物語と物語の共有

2008-01-18 15:47:16 | Weblog
今日、チェルシーのギャラリーのオープニングに行った後に、皆で食事をすることになり、食事をしながらギリシア人アーティストカップルといろいろお話をする

このアーティストは双方とも、まだ10歳程度の時に、美術家の両親から溝口の「雨月物語」を見て衝撃を受け、その後日本の美術に傾倒したという。そして、宮崎駿の映画を見て、また大変な衝撃を受けたという。

彼らには幼い子供がおり、「千と千尋の神隠し」を一緒に見た際に、子供から「これはお母さんには分からない映画だね」と言われて、大変なショックを受けたそうだ。これはとても面白い話だ。

このカップル、宮駿監督の映画や日本の戦国時代に関して多くの知識を持っていた為、宮駿監督の「トトロ」がビクトル・エリゼの「みつばちのささやき」から影響を受けている点や、千利休とシェークスビアの時代の類似性などについて話が弾む。

しかし一番面白かったのは、彼らがインド・ヨーロッパ語族と言われるものに関して、そのルーツがアレキサンダー大王である、ということに関して固執した点である。彼らが言うには、アレキサンダー大王のペルシャへの進行が、ペルシャ以東にも影響を与え、そのギリシャ語の言語構造そのものがインドに移行し、インド・ヨーロッパ語族となった、という話である。

バルカン地方の人たちは、こういった「誰が一番最初」という話が好きなのだが、彼の言っている言葉がかなり的確な部分も多く、参考になる部分があったのも事実である。インド・ヨーロッパ語族は、イギリス人のサー・ウィリアム・ジョーンズが「発見」したものとされているが、もしもこのギリシャ人の言い分が正しいとするのであれば、サンスクリットそのものがギリシャ以降のものである必要がある。

しかし、アレキサンダー大王自身がアリストテレスの教え子なのだから、この仮説は成立しない。しかし、何故ヘレニズムの文化圏の人が、自らの歴史性をユニバーサルなものとして捉えたがるのかに、私は興味がある。これをたどっていけば、十字軍がアレキサンドリアの大図書館を何故攻撃したか、という話にも道筋が出てくるかもしれない。

この答えは、全てソフォクレス的な、ギリシア悲劇に還元されてしまうのだろうか。

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