Eur-Asia

西洋と東洋の融合をテーマとした美術展「ユーラシア(Eur-Asia)」の開催を夢見る、キュレーター渡辺真也によるブログ。

生まれ変わる?! - 富士山麓での御胎内体験

2010-05-07 00:41:04 | Weblog
ゴールデンウィーク中、久しぶりに静岡にある実家へと帰ってきた。父、母、姉、そして祖母と一緒に、美術館巡りも含めてちょっとしたドライブへと出かけた。

駿河台のクレマチスの丘に出来た杉本博司の設計によるIzu Photo Museumでの展示も面白かったが、今回発見だったのは、御殿場の富士山麓にある御胎内神社と、MOA美術館の茶室だった。

御胎内神社は、1707年の富士山の大噴火によって出来上がった溶岩地帯から成る公園の中にある。それよりなお古い富士山の噴火から出来た、溶岩道より成り立つ155メートルの洞窟を、古代の日本人は胎内、そして安産の守り神と捉えたと言う。この洞窟の隣に鎮座する胎内神社は、空海が開いた神仏並祀の社といわれ、江戸時代には天下の祈願所として富士山大別当や大修行の霊場だったが、明治時代の廃仏毀釈により、木花開耶姫命、猿田彦命を祀るようになったと言う。昔は修験者が修行をしたと言うこの御胎内に、私も入り口で買ったロウソクを片手に、潜入してきた。

そら寒い風が吹きすさぶ「小腸」と呼ばれる部分から、洞窟の中へと入っていったのだが、とにかく暗い。ロウソクの光では、全く先が見えず、そら恐ろしい。ジェームス・タレルもびっくりの自然のインスタレーションだ。じっとして、少し目が慣れるのを待ってから、少しずつ中へと入って行く。五臓部を過ぎて、乳房石の奥にある前殿と本殿、そして精水池にお祈りを捧げてから、産口へと向かう。途中、「子返り」と呼ばれる超極細のスペースを、膝をついて這って抜けて、無事光のある地上へとたどり着いた。あまりの迫力に、Izu Photo Museumでの印象がかすんでしまう程であった。

胎内を抜けると、すぐ近くにニホンザルが飼われている檻や皇太子来園の記念碑があり、その隣には、「不動穴」と書かれたほこらがあった。ふとそのほこらを観察してみると、なんだかここも奥に入れそうだ。ちょっと失礼、と、ほこらの前に鎮座する不動像に一礼してから、狭いスペースを抜けてほこらの奥へと入ると、びっくり!そこには石造りのみごとな男性器が、にょきにょきと地面から生える様に列挙していた。日本のアニミズムの一つの形態が、富士山のふもとであるこの場所に集約している、そんな印象を受けた。

このほこらの中にある男性器、という組み合わせは、ヒンズー教のシヴァリンガと一致している。つまり、ほこらの中に入った人間は、男性器が女性器と合体した状態を子宮の中から見て、そのほこらから出た時、人は「生まれ変わる」という疑似胎内体験をするデバイスとなっているのである。しかもここには、ご丁寧に「精水池」(=膣内の精子か?)までご用意されていた。日本には、こういったアニミズムの思想が、南方経由でヒンズー教と混じりながら入って来たのではないか、そんな風に思っている私にとって、とても貴重な体験となった。

次の日、父の提案で、熱海にあるMOA美術館へと足を運んできた。そこで驚いたのは、秀吉の金の茶室のレプリカであった。

秀吉の金の茶室のレプリカに驚いたのではない。このレプリカの作成指導をしたのが、堀口捨巳だ、という記載に驚いたのだ。

堀口捨巳は、日本分離派を立ち上げ、建築における日本のモダニスムを牽引して行ったのだが、彼が参照したのが、日本の茶室だった。まさか、堀口捨巳の仕事が、私の実家の近くにあるとは知らなかったので、とても勉強になった。

その後、庭に出ると、尾形光琳の屋敷を史料に基づき復元した「光琳屋敷」というものがあり、こちらも堀口捨己の監修であった。光琳の絵画から感じられるセンスが、空間に反映された、素晴らしい建築であった。これだけのクオリティがあれば、胸を張って海外にも紹介できると思う。

実家のある静岡に帰る度、毎回変わった発見がある気がする。今度は何を発見するのだろう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。