私の知らないドラマがある。
あなたの知らないドラマがある。
"J'ai tout vu."
「私は、すべてを見たわ」
アラン・レネの映画「ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)」にて、
広島で反戦映画の撮影を行うフランス人女優の口からそう言わせたのは、
その脚本を担当したマルグリット・デュラスであった。
広島で両親を失った建築家の口は、こう応答する。
"Tu n'as rien vu à Hiroshima."
「君はヒロシマで何も見ていない」
もしも今、この世にデュラスがいたのなら、
東北に住む人たち、福島に住む人たちの視点から、
東京に住む日本人たち、さらに海外で東北や福島のニュースを目にしている人たちに向かって、
彼女はきっと、こんな台詞を用意するのではないか。
"Tu n'as rien vu à Tohoku."
「君は東北で何も見ていない」
"Tu n'as rien vu à Fukushima."
「君はフクシマで何も見ていない」
…
「わたしは東北を知らない」
「わたしは福島を知らない」
そして、
「あなたは東北を知らない」
「あなたは福島を知らない」
そして、
「わたしは、あなたを知らない」
そして、「あなた」を知らない私は、
無力感に苛まれながらも、自分の限られた想像力の中で、
何が起こったのか、必死になって考えてみることしかできない。
3月11日に起こった、無数の個々の体験を、私たちはどうやって理解することができるのだろう。
3月11日を境に、存在しないもの、
すなわち絶対的な他者となってしまった死者たちを、
私たちは、どう受け止めれば良いのだろうか?
絶望の深淵に立ちすくむ私たちは、それでも、歩みを進めなくてはならない。
今、アーティストにできることが何があるのだろう?というTweetをした時、
一番最初に手を挙げてくれたのが、画家の興梠優護さんだった。
興梠さんは、被災者のことを考えて作品を作ろうとした際、どうしても嘘っぽくなってしまうものを感じたと言う。
しかし、直接的な被災でこそないものの、震災後の東京における余震やストレスを感じながら、
今「描く」ことが僕にとって意味を持つことだと思い、筆を進めたと言う。
3月11日の出来事を自分の経験に置き換えて考えてみた際、興梠さんは、5年前に突如訪れた母の死を思い出したと言う。
今は亡き母の死を思い出しながら、被災者たちが失ってしまった大切な人のことを思いながら、描いたと言う。
全く違う二つの出来事、つまり大切な人を無くした時、自分が感じたことと、被災者たちの思いに、少しでも重なる点があるのではないか、と信じて。
興梠優護さんの作品は、青山スパイラルで4月4日まで開催予定のアートフェア「行商」にて、
コレクターの藤本兵馬さんの声掛けから始まった「Save Tohoku Project」プースにて、チャリティ販売中です。
思いを共有する作家、コレクター、キュレーターの同時発生的な声掛けから、今回実現する運びとなりました。
興梠優護さんの作品売上金は、被災者への義援金として、全額日本赤十字へと寄付されます。
皆様ぜひお誘い合わせの上、ご来場下さい。
渡辺真也
興梠優護から被災地へのメッセージ:
【この度、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。私は5年前に母を亡くしました。昨日まで元気だったにもかかわらず突然の死でした。その晩、母の姿を心に留めたい一心で亡きがらを描きました。こういう状況下で私ができることはあの夜のように、ただ描くことしかありません。このSAVE TOHOKU PROJECTをとうした収益金が、少しでも多くの皆様のお役に立てますように。】
あなたの知らないドラマがある。
"J'ai tout vu."
「私は、すべてを見たわ」
アラン・レネの映画「ヒロシマ・モナムール(邦題:二十四時間の情事)」にて、
広島で反戦映画の撮影を行うフランス人女優の口からそう言わせたのは、
その脚本を担当したマルグリット・デュラスであった。
広島で両親を失った建築家の口は、こう応答する。
"Tu n'as rien vu à Hiroshima."
「君はヒロシマで何も見ていない」
もしも今、この世にデュラスがいたのなら、
東北に住む人たち、福島に住む人たちの視点から、
東京に住む日本人たち、さらに海外で東北や福島のニュースを目にしている人たちに向かって、
彼女はきっと、こんな台詞を用意するのではないか。
"Tu n'as rien vu à Tohoku."
「君は東北で何も見ていない」
"Tu n'as rien vu à Fukushima."
「君はフクシマで何も見ていない」
…
「わたしは東北を知らない」
「わたしは福島を知らない」
そして、
「あなたは東北を知らない」
「あなたは福島を知らない」
そして、
「わたしは、あなたを知らない」
そして、「あなた」を知らない私は、
無力感に苛まれながらも、自分の限られた想像力の中で、
何が起こったのか、必死になって考えてみることしかできない。
3月11日に起こった、無数の個々の体験を、私たちはどうやって理解することができるのだろう。
3月11日を境に、存在しないもの、
すなわち絶対的な他者となってしまった死者たちを、
私たちは、どう受け止めれば良いのだろうか?
絶望の深淵に立ちすくむ私たちは、それでも、歩みを進めなくてはならない。
今、アーティストにできることが何があるのだろう?というTweetをした時、
一番最初に手を挙げてくれたのが、画家の興梠優護さんだった。
興梠さんは、被災者のことを考えて作品を作ろうとした際、どうしても嘘っぽくなってしまうものを感じたと言う。
しかし、直接的な被災でこそないものの、震災後の東京における余震やストレスを感じながら、
今「描く」ことが僕にとって意味を持つことだと思い、筆を進めたと言う。
3月11日の出来事を自分の経験に置き換えて考えてみた際、興梠さんは、5年前に突如訪れた母の死を思い出したと言う。
今は亡き母の死を思い出しながら、被災者たちが失ってしまった大切な人のことを思いながら、描いたと言う。
全く違う二つの出来事、つまり大切な人を無くした時、自分が感じたことと、被災者たちの思いに、少しでも重なる点があるのではないか、と信じて。
興梠優護さんの作品は、青山スパイラルで4月4日まで開催予定のアートフェア「行商」にて、
コレクターの藤本兵馬さんの声掛けから始まった「Save Tohoku Project」プースにて、チャリティ販売中です。
思いを共有する作家、コレクター、キュレーターの同時発生的な声掛けから、今回実現する運びとなりました。
興梠優護さんの作品売上金は、被災者への義援金として、全額日本赤十字へと寄付されます。
皆様ぜひお誘い合わせの上、ご来場下さい。
渡辺真也
興梠優護から被災地へのメッセージ:
【この度、被災された方々に心からお見舞い申し上げます。私は5年前に母を亡くしました。昨日まで元気だったにもかかわらず突然の死でした。その晩、母の姿を心に留めたい一心で亡きがらを描きました。こういう状況下で私ができることはあの夜のように、ただ描くことしかありません。このSAVE TOHOKU PROJECTをとうした収益金が、少しでも多くの皆様のお役に立てますように。】