1989年から、西鉄天神大牟田線の特急として活躍してきた8000形電車が、今年10月15日をもって引退しました。かつてCMで「しっかり手入れすれば、電車は40年走ります」と宣言していた西鉄電車としては、あまりに若すぎる引退でした。
8000形電車はデビューから28年。天神大牟田線の6両固定編成の特急専用車両は、1973年デビューの2000形から、44年もの歴史がありました。さらに優等列車向け2扉クロスシート電車の歴史も、1957年製造の1000形を起点に60年で消滅したことになります。
8000形の廃止の背景には、西鉄天神大牟田線の輸送形態の、大きな変化がありました。10月14日の定期列車としての最終運行に乗り、10月15日の「さよなら8000形ラストランツアー」を見送りつつ、その背景に思いを巡らせました。
【10月14日】8000形電車、最後の定期運行
特急用車両としてデビューした8000形。天神大牟田線の特急としての運用は、7月22日に一旦終了していました。
特急運用に入る8000形として最後の存在だった柳川観光列車「水都」が、後継の3000形にバトンタッチした時点で、特急運用は消滅していたのです。
その後、二日市~太宰府の普通電車をメインに走っていた観光列車「旅人」も、9月16日に3000形へ交代。このままイベントもなく、引退するのかと思っていました。
しかし9月28日のプレスリリースで、10月8日~14日の間、原色に復元の上で「さよなら運行」を行うことを発表。もう二度と乗れないと思っていた「赤い電車」が、天神大牟田線に帰って来ることになりました。
残念ながら3連休中の8日~9日は、登山のため福岡に不在。その後の平日も休みが取れず、一般運行の最終日となった14日(土)にようやく乗りに行けました。
この日は特急には入らず、早朝に筑紫~福岡間を普通として上り、福岡~筑紫を急行として帰って来る1往復限定の運用でした。
朝7時半にも関わらず、多くのギャラリーが集まっていました。
ずらりとクロスシートが並ぶ落ち着いた車内は、2扉車ならでは。厚手の赤いシートはデラックスな雰囲気で、バブル世代らしさも感じられた車両です。小遣いの少ない少年時代、料金のかかるJRの特急は高嶺の花で、8000形は「乗りに行ける特急」でした。
車内の中づり広告は、すべて「ありがとう」「さようなら」の惜別ポスターに変わっています。
先頭の展望席は、まさに垂涎の的。西鉄福岡駅で並んでいても、滅多に座れるものではありませんでした。
前面展望はもちろん素晴らしかったけど、3列分に渡る側窓も特大サイズで、沿線の風景をワイドに楽しめました。
観光列車「旅人」として車内外に施されていたラッピングは、きれいに剥がされていました。決して少なくない手間だったろうと思います。
「旅人」の面影があったのは、展望席の座席モケットと、観光PRコーナーだった一角のみ。スタンプは、引退記念の特別バージョンに変わっていました。
扉から車端部は、つり革のぶら下がるロングシート。ラッシュ時、特急はロングシート車で運用されていますが、車両総数の都合でクロスシート車も普通電車の運用に入らざるをえず、混雑時への対応策でした。
しかし普通の運用時は、なかなか通路に人が入ってくれず、扉付近にぎっしりということもしばしば。福岡近郊の通勤客にとっては、違う評価をされていた電車かもしれません。
二日市では、急行退避のため5分停車。撮影には最適な時間になりました。
鉄っちゃん風の大人だけではなく、親子連れやサラリーマン、通学途中の高校生もカメラを向けていたのが印象に残ります。銀色で新しい3000形の方が、子どもは好きなのかなとも思っていましたが。
3列分の大窓。
改めて車体を見てみれば、ピカピカに磨きこまれていて、引退を控えた電車とは思えません。磨きこんでくれたことに感謝しつつも、もったいないとの思いも巡ります。
乗客減の続く天神大牟田線の南部に対し、福岡市の人口増を背景に、微減程度で推移している福岡市近郊。年々、短距離客重視のダイヤへ以降する中で、2扉・クロスシート・6両固定編成の花形車両は、使いにくい存在になってしまいました。
二日市を出れば、あとは急行退避もなく福岡へと上ります。土曜日の通勤客も、駅ごとに次々乗車。特に珍しそうな表情をしている人はいませんでした。
ただホームには、スマホやガラケーを向ける「普通の乗客」も。8000形の引退はニュースでも報じられており、一般利用客にも知られるところになっていました。
次々に乗客を飲み込み、福岡駅着。折り返しの急行までわずか4分、あわただしく折り返しの作業が進みます。
いよいよ定期運行の最終列車となる、筑紫行き急行。展望席は争奪戦となり、親子連れや若い鉄道ファンが席を埋めました。
ホームの撮影隊に見送られながら、最後の旅が始まります。
各駅のホームや沿線の撮影地には、カメラを携えた人が、駅によっては十数人の単位で待ち構えていました。
沿線にとっては、日常生活に溶け込んでいた電車。それぞれが、それぞれの思い入れがある地で、最後の姿を追います。
側窓いっぱいに、5000形電車の姿が映りました。5000形は昭和50年代生まれで、8000形よりもずっと古い電車ですが、今後も活躍が続きます。
ほとんど特急として運用に入っていた8000形電車は、それだけに過酷な運用でもあり、古い5000形よりも多く走りこんでいたのだとか。過去の特急車と違い、改造で普通格下げにならなかった分、引退が早まったとも言えそうです。
高架化工事の進む春日原に停車。8000形がこの高架橋の上を走ることは、かないませんでした。
もっとも8000形が登場した頃は、西鉄福岡駅はドーム型天井の旧駅舎。花畑駅付近はおろか、薬院駅も地上にあったことを思えば、隔世の感もあります。
二日市を出発すれば、以南は各駅停車。最終運用も、ラストスパートです。
筑紫駅に到着。大撮影会となりました。
車庫に引き上げていく8000形の横を、後任の優等車両である3000形がすれ違っていきます。まるでバトンタッチのような光景でした。
3000形は3つ扉でラッシュ時の対応もしやすく、2両と3両の組み合わせで編成も自由自在なオールラウンドプレーヤー。短距離と長距離の両立を図らねばならなくなった、今の天神大牟田線に求められている電車です。
筑紫車庫に入庫した8000形を車内から見て、定期運用最終日の追跡は終了。
久留米以南の沿線にもっと元気があれば、同じようなコンセプトの「後継」特急専用車も生まれたのではないかと思うと、久留米人として悔しくも感じられるのでした。
【10月15日】団体運用でラストラン
西鉄8000形電車の本当の最終運用は、西鉄福岡~花畑~筑紫間の「さよなら8000 形ラストランツアー」。西鉄旅行で企画されたツアーの、団体運用です。
身近な存在だった8000形に、5000~6000円もかけて乗るのも何か違う気がしたので、見慣れた久留米の地で最後の走りを見届けることにしました。
最終日は、涙雨。花畑方面への下りは、自宅の賃貸マンションのベランダから見送りました。昨年引っ越してきた頃には8000形の運用もずいぶん減っており、日常の風景ではありませんでした。
車内でくつろいでいる人たちを見ると、やっぱり乗ればよかったかなと後悔の念も沸きます。
その後は、自宅から歩いて10分もかからない、久留米岩田屋の階段室へやって来ました。名撮影地の一つと思うのですが、雨でガラスが濡れているからか、他にギャラリーはいませんでした。
12時10分、通い慣れた久留米の地ともお別れです。
観光電車にラッピング電車にと変幻自在だった8000形電車ですが、やはり6両まっすぐ貫かれた原色塗装はカッコいい!
特急運用を徐々に減らし、「旅人」が最後に残りと、じわじわ消えていたから寂しさもまぐれていたのに、全盛期の姿に戻ったがために、急に名残り惜しくなってしまいました。
久留米とも、これでさようなら…。
西鉄久留米駅で昼ごはんを食べて、急行で筑紫駅へ。筑紫工場で開催中の「にしてつ電車まつり」で最後の展示が行われるというので、追いかけてきました。
一旦1番乗り場へ引き上げてから車庫に入るということで、最後の本線上での姿を見届けようと、多くのファンが集まっていました。
「西鉄レッド」を受け継ぐ9000形電車と、一瞬のバトンタッチ。
この後、長い長い和音の警笛を鳴らしながら、車庫へと引き上げていきました。
西鉄電車は、古い車両の保存には消極的だけど、最後の花道はきちんと飾ってくれます。30年も経たずに戦列を離れることになってしまった8000形にも、1000形や2000形の時のように花を持たせてくれました。
車両基地へは歩いてもさほどの距離ではないけど、せっかく送迎バスを用意してくれていたので、乗ってみました。
わずか数分の乗車時間にはもったいないような、デラックス仕様の観光バスです。バスのPRも兼ねているのかも。
電車まつりに来たのも9年ぶり。非日常の電車は、楽しいもんです。
洗車機体験の電車は、「直行 二日市」や「快急 福岡(天神)」など、懐かしの方向幕を掲示してファンを楽しませてくれました。
工場内には、8000形デビュー当時のポスターが今も残されています。工場にとっても、誇りあるシンボルカーだったのでは。
そして屋外には、使命を全うした8000形電車が最後の雄姿を披露。28年間、第一線で活躍を続けたヒーローでした。ありがとうございました!
ところで西鉄では現在、本格的な観光電車の設計が進められています。8000形とはちょっと違うコンセプトではあるけど、天神大牟田線で「旅」を感じられる電車の後継として、大いに期待しています。