sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

泣く人とあめちゃん

2017-12-15 | Weblog
大きな駅の大きなファッションビル?の中の、
ちょっとゆったりテーブルと椅子が並んでる静かなコーナーで、
映画が始まるまでの時間潰しをしてたときに、
横のテーブルに「ベティ・ブルー」のベティのような素敵な唇に
真っ赤な口紅を塗った学生らしきショートヘアの女の子がいた。
ノート?を広げてお勉強かな?と思って、特に気にしないでいたんだけど、
しばらくして、ふと気づくと、その子が座ったまま、両手を膝の上に置いたまま
身を震わせて泣いていた。
友だちらしき女の子が彼女の足元にしゃがみ込んで無言で彼女を見つめてた。
そのお友達も、あれこれ慰めたり声をかけたりするでもなく、
じっと横にいて泣いている子を見つけている人だったので、
泣いている子の事情がわかってて、でも何もできず、
だけどそばにいることのできる、いいお友達なのだろうと思いました。
お友達が一緒ならわたしが心配することは何もないはず。と思うものの、
何があったんだろうなぁ、悲しそうだなぁ。わたしまで悲しくなる。
数分たっても、そのまま。

・・・声をかけるとかえって困らせるかな。
お友達がついてるし、構わない方がいいよね、と思いながら昔あったことを思い出した。
夜のマクドナルドでポロポロ泣いてた20代半ばくらいの仕事帰りっぽい男の子のこと。
心配というか、気になったんです。勝手に気になるだけなんだけど、何か、
なんでも少しでも慰めたいと思ってしまう。
でもその時は何もできず、そのあとその子が近辺をうろうろとするのを離れて見ていて、
それからその子がバス停に並ぶのを見てから、帰りました。

あの時よりわたしは、15歳も歳をとってずっとおばあさんになってるし、
おばあさんなら声をかけても困られないんじゃないかと思ったり、
うーん、短い時間の間にあれこれあれこれ、考えては却下し考えては却下し。
余計なお世話よね。うーん。としばし逡巡した末、えいやっ!とカバンを持って立ち上がり、
その子の横まで、ほんの二歩。

泣いている子の顔をまっすぐ見て、小さい声でできるだけ優しくそっと、
大丈夫?と聞いてみた。
知らない人に大丈夫って聞かれたら誰でもはいって言うのは知ってる。
その子も、はいって言った。その子の友だちもはいって言った。
わたしにできることなんて、何もないって最初からわかってるんですよ。
それで、わたしは持ってた蜂蜜飴をひとつ彼女の前において、
やっぱり小さい声で、
「あめちゃん、、、」
と言った。
そしたら、その子が少し笑ったんです。
それで、あめちゃん、どうぞ、食べてね、と言ってその場を離れました。
困らせたかな。困らせてなかったらいいけど。
変なおかしなおせっかいだけど無害な大阪のおばちゃん、と思ってくれたらいいけど。

あめちゃん、という言葉があってよかったな。
泣いてた子といっても、二十歳くらいの子だったので、
少ないとはいえ人通りのある場所でそんな風に泣いてたのは、
なにかよっぽどつらいことがあったのでしょう。
飴ちゃんに笑ってくれたのは一瞬だったし、
自己満足でひとりよがりなお節介でしかないんだけど、
迷惑にならなくても、役に立たなくても
こういうお節介はできるようになりたいと思います。

なんども、おせっかいしたいのにできなくてあとで後悔したことがある。
何もできなくても、あなたが泣いててわたしも悲しいということだけでも
伝えたらよかったと思ったことが、いくつもいくつもある。
悲しい人への、慰め方というか、対し方というか、感情表現が下手すぎて。
ハグがもっと普通の国ならよかった、
黙ってハグすればいいもんね。

何十年も生きても、なんでもないあめちゃん一つに助けられる。

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