sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

5月のつぶやき:後半

2020-06-19 | つぶやき
胃を壊してから、カフェインレスコーヒーを飲んでるんだけど、まずいと思ってたほどではない。
豆のままのがほしいけど近所には売ってなくて、挽いてあるやつを買い、
毎朝膨らまないなぁと思いながらドリップしてますが、まあ飲めます。
あと2週間の断酒のあと、お酒は食事の時に1杯くらい、というのは守ってます。
夜にもう一杯飲んだことはある。1本のワインを1週間くらいかけて飲んでる。えらい。


職場で、パンチ穴?の抜いた穴のところが溜まったのでゴミ箱に捨てたけど、
この小さい丸さ、かわいいよねぇ。


ステイホームでずっとスーパーで食品しか買ってなかったので、
昨日から会社の入ってる商業ビルが開いて、本屋も開いてて、嬉しくて
値段見ずにジャケ買いしてしまったノーベル文学賞のチェコ文学読んでて楽しい。
本屋と、映画館と、少しの良いレストランとバーが開けば、かなりしあわせです。

あと、食品以外の買い物がしたくて、お皿を少し買ってしまった。
買い物は楽しいなぁ。しばらく外食してないので、これくらいの買い物はいいよね。



昨日、スイカ解禁しました。これから3ヶ月ほどうちの冷蔵庫にスイカが途切れることはありません。
スイカ予算計上。


去年見逃した映画「グッバイゴダール」。ゴダールのイタさが可笑し哀しだな。
というか、普通に、男あるある映画か。


猫はスカート履いてる時だけ、膝の上で丸まる。
ズボンだと一旦膝の上に来ても、すぐテーブルの上に行ってしまう。
スカートもミニだと半分足が出てるし、ズボンもゆったりしたもので、
寝心地は変わらないと思うんだけど、猫なりにこだわりがあるみたい。
というわけで今も膝の上にいます。


映画館が開きだしたけど、気ばかりはやって、何見ればいいのかわからん。


あきらめるのは上手い方だと思ってる。


削れるなら心ではなくお腹のあたりのお肉が削れてほしい…


久しぶりに街に出て、友達の個展見て喋って、ひとりで街のバーに寄って、楽しかったなー。
バーでのひとときなんて、うたかた、ではあるけど、
常に本質的なものだけで生きていけるものでもないからそれもまた大事。
うたかた、でも、人と会って話すのって、すごい大事よね。いくらでも引きこもってて平気だけど。
専業主婦やってて子育てしてた時には、そういう選択肢もなく、ホントにしんどかった。
属性ではなく、自分でいる時間。


友だちの作品を少し買った。アート作品でも、結局わたしが求めるものは、
自分だけの物語だったりするので、友だちの作品に好きなものがあると買うのが正しい。
知らない人の作品はそのエッセンスだけ摂取できちゃって買わないで気が済むことも。
自分が表現する人だと。


馴染めなかったし懐かしくもないけどバブルの時代に今ではもうできないようなことを体験して
それを若い人に羨まれたり恨まれたりしたけど、
新型コロナ後世界が変わってしまったら、またその後の若い人たちに、今度は、
自由にどこでも行けて何でも見られた日々が普通だったことを羨まれるようになるのかな。


レシピを聞かれて教えたら、すぐに作ってくれた人がいて、そういう行動の速さって素敵ね、
わたしの友達はそういう人が多いけど
わたしは石橋を叩かずに眺めて考えてる間に1世紀くらいたってしまうダメな人です。


友達の個展の展示で、自分がバーをやるならこういうのを飾りたいなぁと思いながら眺めてたけど、
やっぱりもう飲食やることはないかな。
しかしながら、家に飾る小さい作品は買いました。
コロナストレスを買い物で発散か。とはいえ、いい発散。


つらいのを忘れてることもあるので、ずっと忘れていられるかなと思ったり、
いやそれは嫌だと思ったり、毎日迷い迷い考える。
先延ばしの術を、とりあえず使ってる。


小さいことから大きいことまで拒絶に直面しながら暮らすのはしんどいな。
一事が万事とはこういう時に使う言葉だなぁとどんより思う。
仕事と猫はいつもいつも通りなのがありがたい。


楽しい時しか飲まないんだけど、今楽しいのかよくわかんない。
でも医者に1杯だけと言われてるのでこれでおしまい。
どっちにしてもわたしは憂さ晴らしに飲んだりはしないな。
お酒はずっと楽しいものであってほしいし。


これはなんやろ、と一旦自分によく聞いてみること。


雨でゆったり家にいるせいなのか、数日ぶりに気持ちが落ち着いてきた。
いい感じ。こういう心の状態がなんでもっと維持できないんやろなぁ。


ネギがたくさん余ってるので、ネギ焼を焼いて、1杯何か飲む。
1杯だけしか飲めないと思うと、よく考えて飲むよね。ていうか何飲もかな。
冷えてないヴィーニョ・ヴェルデのロゼに氷入れて、ネギ焼きと。
ヴィーニョ・ヴェルデはこんな雑な飲み方にも答えてくれる、安くて良いやつ。


美術館の美術展は、延期のところもあるけど中止のものもあって、残念だなぁ。
ハルカスの安野光雅展楽しみにしてたのになぁ。


みんな土井先善治生好きすぎる。異論はないけど。笑


鬼滅の刃、わりと面白く見てるけど、面白くて見るのがやめられないみたいなことをきくと
これがそうなのねと、よく考えながら見てる。
こういう作品への基準が自分の中にないので、世間的基準を探しながら見てる感じ。


好きな本を何度目かに読むと見逃してた小さな表現一つにもちゃんと気づいて
改めていいなぁと思ったりする。同じ場所で同じものを丁寧に見ることでも読むことでも、
知らない場所に行けるよね。


前夜食べたモノを思い出すのが難しいお年頃。
塩豚のミルクシチューと、厚揚げ焼いて生姜とネギの酸っぱいタレかけたやつと、
明太子たくさんのふんわりしたネギ焼き的なやつと、鶏と里芋と椎茸、
ヒジキの炊き込みご飯。


たまにはとハイヒールを履いて出勤した日に限って、
スマホを家に忘れて昼休みにトボトボ家に戻る。徒歩5分くらいですけどね。。。


自分は本当はわりと人を信用しない方だけど、
この人なら騙されてもいいや、と判断を投げてしまうところがある。
騙されてもいいと思うのがわたしにとっては信じるってことで、それでよく騙される。
そういえば、相続の問題の時も、あまり常識から外れた変なことにはならないだろうと
弟に丸投げしてたら、わりとびっくりするものが出てきて、ひぇ?って思ったんだった。
これは騙されてもいいの範囲を超えてたので怒ったけど。笑
いくらなんでもそんなひどいことはしないだろう、まあ多少は仕方ないけど、と思ってて、
想像以上のひどい目に遭うこともあったので、
本当に人を信用するときの加減は、いちいちよく考えた方がいいな。
でも、騙すより騙される方が、良い。
わたしはそういうとこ、自分で自分を汚したくないんだよねぇ。


胃潰瘍自粛とコロナ自粛が重なって、しばらくの間わりとちゃんと夕ご飯を作ってたんだけど、
わたしご飯作るよりお酒の肴作る方がずっとセンスがあると、つくづく思う。


会話するのと変わりない感じでブログとかSNSとかには書いてるつもりだけど、
それを普通の会話で話そうとするとすごく難しくて、
やっぱり自分は書き言葉で書くことを話し言葉で話すことにはテレがあるのだなと思う。
気取ったことを書いてるわけじゃないけど、感動とかを真面目に書いてると、喋るの難しい。


髪をずいぶん短く切ったので、人に会いたいぞ。
主に女友達に会って褒められたい!(褒めてくれるはず?


マレーシアに住んでた時は、映画を複数の字幕とともになんとか見てたけど、
英語の映画がまだ見やすかった。中国語の字幕を斜めに見て英語聞き取る助けにできる。
その他の言語の映画だと、英語の字幕もつくけど読むの忙しくて映画に集中できない。
釜山映画祭で韓国映画、英語字幕のものは両方活用してなんとかついていったけど、
フランス映画、英語韓国語字幕はちょっと大変だった。
何しろ読むのが遅い。読むのが遅いのは日本語でも同じなのですが、
日本語字幕は慣れで読めるかな。
TOEICのリスニング満点ですが、映画は全然聞き取れません。
英語でも韓国語でも、もうひとつくらい、もうちょっとできるようになればよかったなぁ。


梶井基次郎を初めて読んだとき、高校生くらいだったと思うけど、
この人の文を書くそのペン先が見える、と思った。他の作家のペン先は見えない。
見えないものを出してくるけど、梶井基次郎は見えると思った。
そこでより好きになるか興味を失うかだけど、後者だったな。
人でも、わたしはペン先の見えない人が好きなのかもしれない。
驚きや違和感が好きなのかもなー。安心も慣れもいいものなのにな。


わたしも、価値観の相違をまじまじと見て面白いと思う人間だけど、
どっちもどっちではなく自分の立場がどの地点にあるかは自覚しておきたいし、
その上でどちらかの価値観への批判もできるようでありたい。


なんか、2ヶ月ぶりに自分に戻ってきた感じだなー。
ふらふらとハシゴして飲む自分が懐かしくて楽しい。


自分の気持ちのありようについて、思春期以来くらいに悩み出している。
生まれ変わるのは本当に大変だわ。


いつも映画の後に寄るバーで、今日は何見ましたか?から話が始まるのだけど、
中国の映画の話から「ラヴソング」というマギー・チャンの出てる古い映画の話が出たので驚く。
この映画の話できる人初めて遭ったわ。
テレサ・テンの歌ありきの映画で、ベタなメロドラマだけどなんとも良い映画なのよ。
このバーテンダーはお酒の勧め方が、自分とセンスが似ててラクな相手。
流れの組み立てが、自分の思ってる通りだったりして、唸る。


猫飼って、猫もホントにかわいいけど、うさぎさんの異星人ぶりと、ぬいぐるみ的かわいさと、
何より毛の柔らかさは、格別で最高。


大人って楽しいなー、という感じを、やっと思い出してる。


ひとりでいるときの、スッキリしたきれいな寂しくなさは、
誰にも何も期待しないことから来るのだな。
人といる時に寂しいのは、何か期待があるということなのよね。
良い当然の期待にしろ、無駄でダメな期待にしろ。

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