sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:悲しみのミルク

2013-02-25 | 映画


センチな感じは全然ない、純度の高い悲しみばかり迫る素晴らしい映画。

この映画のことを考えていると
以前、大阪のニコンサロンで見た写真展のことが思い出されて眠れなくなる。
「ルワンダジェノサイドからうまれて」という写真展。
(↑クリックするとこのブログ記事に行きます)

映画はルワンダではなくペルーのお話です。
1964年に結成され、残虐さから「南米のポル・ポト」と呼ばれた
革命集団センデロ・ルミノソがペルーの農村で行ったテロの
被害者親子の話なのです。
今は平和に暮らす年老いた母がベッドで息を引き取る場面から始まるんだけど、
そのときに歌う歌がこの悲惨な体験のこと。
夫を殺され、死んだ夫の陰部を口におしこまれながら
複数の男たちに強姦されたことを、つぶやくように祈るように歌うのです。
そのときすでにお腹の中にいた娘が主人公で、
彼女は母親にその話を繰り返し聞かされ育ったせいか
深く殻の中に閉じこもる少女になります。

彼女は母親のお腹の中で、すべてを見ていたと歌います。
ペルーで信じられている病気、母の母乳から伝染した恐乳病のため、
時々恐怖で鼻血を出して倒れます。
男性や強いものが何でも怖くて、外を一人で歩けません。
誰かについてもらって歩くときも、浮遊霊に連れて行かれるからと
壁伝いにしか歩かない。
レイプが怖くて、そんな心配のない時代になったのに、
自分の膣の中にジャガイモを入れています。
芽が出てくるとはさみで切り、医者からの処置を断ります。
性経験のない少女が自分を守るために自分からそうしているのです。
なんて悲しいことだろう。
でも
悲しみがあふれるように蔓延しているけど、陰鬱な映画ではないです。
とても美しくて、常にどこかに希望のある映画です。
だけどルワンダの写真を見た時のことを思い出して、気分が沈む。
男ってなんなの、って腹が立つ。
人を救う男もいるはずだけど、人を女を殺す男が多すぎる。

映画でも小説でも何でも
女性がレイプされたり中絶したり流産したりするシーンが
ものすごく苦手で、少しでも具体性があると
両手の肘から先がしびれてふるえて、体が冷たくなって
吐き気がして猛烈に気持ちが悪くなるのです。
他のことなら我慢できるグロテスクなシーンでも、
女性性に関係することはもう、具合が悪くなってしまうのです。
この映画は特にそういう映像はないんだけど
最初の方でそうなっちゃって、
手がしびれてふるえて最後まで見られるかちょっと不安だった。
でも見てよかった。
最後は希望のある終わり方でした。

ストーリーは
ヒロインの年老いた母親が死ぬ間際に歌うシーンから始まります。
母親は歌のあと静かに息を引き取り
残された少女は母親を田舎に埋葬するために、
お金持ちの屋敷に働きにいくことになります。
そして少女のおじさん一家の結婚式の準備の様子や
お屋敷の庭師との淡い気持ちのふれあい、
彼女が即興で歌う歌を利用したあと彼女を捨てる
家主である白人支配者階層の奥様の傲慢さなどが
物語を進めていきます。

でも、いい映画はたいていそうだけど、ストーリー以上に
ディテールがとても印象的な映画です。
映画全体の色が、南米特有の、ガルシア=マルケスの
寓話がかった世界のような民俗的な気配があって、
貧しいバラックの生活でも、どこかこってりした厚みを感じます。
大判カメラで撮影されたフィルムの写真を見ているようです。
物語も恐乳病、浮遊霊などの民間伝承、
人魚と音楽家、ジャガイモの芽、などの
象徴的、幻想的なイメージ、など、とても豊か。
暑苦しくない、どこかひんやりした豊潤さです。

そして少女の歌う即興の歌がいい。
つぶやくように、シンプルな美しいメロディに乗せて
気持ちや物語を歌うのですが
これがとてもいい味わいです。
(上に貼った予告編で聴けます)

ラストの海辺の砂漠のような砂浜の風景も、
また少女の家族や庭師などが、
少女を思いやるやさしい人たちなのも救いです。

ちなみに
この映画の英語タイトルは「the milk of sorrow」で、
わたしはなんだか、このsorrowって言葉が好きなんです。
悲しみ。
「grief」は具体的すぎる感じだし
「sadness」は何となくすぎる感じだし。
でも 「sorrow」は深く純粋な喪失の痛みや
悲しみの感じがある・・・気がするのです。

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