sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

3月のつぶやき:後半

2024-04-19 | つぶやき
アーレントの読書会zoomの36回目。3ヶ月くらいあいたので、中々思い出せない。
ものすごく基本のエッセンスだけはぼんやりわかって、
でも大事な細かいことはいろいろわからんままだったりするけど最後まで頑張るぞ。


去年の誕生日は、一人フレンチフルコースを楽しんだけど、
今年は忙しくて何も用意できてないし、普通に1日仕事である。シャンパンは飲む。


今日はまたひとつ、初めてのことをしようと思うんだけど、
良い店で飲み始めてだんだんどうでもよくなってきておる…


初めて、ひとり焚き火。
小さい方の焚き火台で無理矢理薪をくべたけど、よく燃えました。


みなさん、「DUNE砂の惑星」見る時はIMAXで見るべきとは聞いてたけど、
前の方で見るべきというのを付け足しておきます。
これはもう、どでかいスクリーンで見るべき映画。
後ろの方で見たら、ずっと、もっと大きな画面で見たい!!という欲求不満がすごかった。


猫が撫でやすい場所で丸まってくれたので、猫を撫でながら本を読んでる。ハッピー。


ずっと音なしで見てたショート動画で、ある時声を聞いて、あーダメだーと思うことがある。
声って容姿と同じくらい好き嫌い出るなぁ。
声というか、話し方か。


「晩酌の流儀」のセカンドシーズンを今頃見始めてお腹がすいてます。
あの主人公ほどストイックじゃないけど、作って食べるシーンはほぼわたしだ。


猫を振り切って散歩に出たら、猫の呪いかめっちゃ風が強くて寒くて、
負けずにグイグイ歩いてたんだけど雪が降り出して結構濡れました。
うちのあたりって年に一、二度積もらない程度にしか雪が降らないのに、
3月も下旬になって雪かぁ〜


風が強く寒くて、雨も少し降ったりしてたので家にこもって、
本の感想を二つ、引用しながら書いて3時間くらい集中したけど、
その本がこういうのだったので、散歩に行かねばなるまい。
「部屋の中にいるときに世界はわたしの理解を超えている。しかし歩くときの世界は、いくつかの丘と、一点のくもでできているのだということがわかる。 /ウォレス・スティーブンズ「事物の表見について」
と思ったけど、かたわらで、眠る猫が可愛すぎて出かけられん…


インスタは生活の記録にしてるんだけど今月は花と野山が多い。
気持ち良く生きているな。


今の家を気に入ってるし、便利さで言えばここより便利な場所何見つからないくらいなんだけど、
窓やベランダからの景色と台所の配置だけは気に入らない。台所は我慢できても景色がなぁ。
でも散歩できる小さい山も大きな川もあるので、これ以上は望めないか。
景色を優先させると便利が犠牲になるし。
何もかも気にいる家は難しいか。


ビクトル・エリセの新作映画「瞳を閉じて」、すごく良かったんだけど、
もう一度見たかった「みつばちのささやき」と「エル・スール」が近くの映画館にくることがわかって
テンション上がる。みつばちは、少し退屈しながら良かった記憶があるんだけど
今ならすごくわかる気がする。


昼休みに家に帰ると猫が花瓶をひっくり返して、割れてた。
結構粉々に割れてたので、いったいどういうひっくり返し方をしたのか?
でも猫は怪我がなくて良かったです。


関西人なのでお出汁は昆布とかつおである。
愛知の人と結婚した時に義実家に行くとお出汁はかつおだけで、お味噌汁は豆味噌で、
味がシャープで新鮮だったけど、昆布の旨味がないと単調だなと思った。
でもさっき有賀薫先生の新玉ねぎのスープのレシピを見て、それがかつおだしだったんだけど、
確かにこれはかつおだしのシンプルな香りで煮るのが上品にきれいな美味しさになるだろうと思った。
昆布の旨味が好きで、つい入れたくなるけど、
引き算ができないと味のわかる人になれないからなぁ。

母からは料理は何一つ教わってないけど、母はほんだしのひとだった。すべてほんだし。
今もほんだしの味は懐かしく慣れた感じがするし、顆粒のほんだしは一応家においてて、
ほんの少量の出汁がいるときなどに使ってる。でも普段は昆布と鰹。
昆布は小さく切って置いてあって、お味噌汁やスープや煮物は出汁をとった昆布取り出さず食べちゃう。
いい昆布だとおいしいよ。(函館で買ってきた昆布、おいしい)


自分のような頼りない人間が一人で生きていることが時々不思議になる。
不思議だし、何かの間違いですぐに大きな失敗をして生きていけなくなるような気もする。

今はギリギリなんとか自分で安い切符を探して買ったりできてるけど、
それでも何かに登録したりパスワード入れたり入れたパスワードが弾かれたりすると焦ったりするし(^_^;)、
わたしより年配のお年寄りはどうしてるんだろうと思う。
母のことはわたしや弟がしてるけど、誰もがそんな相手がいるわけではないよね。
母はPayPayも使えないし、現金以外の買い物はクレジットカードしかできない。
そういうお年寄りも多いだろう。
今、お金を持っているのは年寄りで若者は貧しく苦しんでるという声をよく聴くけど、
それが本当ならもっとお年寄りがお金を使いやすいようになっていってるはずなのでは?


薄手のワンピースでポケットのついてるものは少なくて、ついてるとありがたいけど、
生地が薄いと重いものは(スマホとか財布とか)入れにくい。左右にハンカチとマスクくらいかな。
それでもいいから、どの服にもポケットはほしい。


今、髪がだいぶショートでさらに刈り上げようと思ってたけど、
自分の持ってる春の服の7割くらいが、今一つしっくり来なくなる。
着れないわけじゃないけど、しっくり来ないのよねぇ。
去年からまでのあごくらいの長さの前髪作らないワンレングスの方がずっと似合う。
夏には刈り上げがいいけど浴衣に合わない。
悩むなー
浴衣まではまだ3ヶ月あるから一旦刈り上げようかとも思うけど、
春はワンピースを着たい季節だから、やっぱり悩む…


いいことも、そうでもないこともあるけど、家に帰ると猫がいて、
猫はいつも同じのんの変わりもない猫で、いつもと同じようにツンツンしてるけど、
それがありがたいのだ。変わらないもの、ありがたいねぇ。猫よ、ありがとう。
自分がどんなにダメでも生きていける気がする。

どんな人でも生きていていいんだと考えているくせに、
自分に対してだけはダメダメな気分で消えてしまいたくなるなんて、傲慢なことだ。
猫はそんなわたしの目を覚ませてくれる。猫もわたしも生きてていいんだ。
(わたしは猫ほどかわいくないけどな)


20年くらい同じブログを最初の15年くらいは毎日、最近はほぼ毎日更新してるのだけど、
商売じゃなくて、そんな人いる?
それが1年前の投稿を知らせてくる。1年前の感傷をまた思い出す。

ひとりで外を歩いてる時大体毎日、なんとなく泣きそうになるし、たまに少し泣く。
20代の時はもっと泣き崩れてたので、ずっとマシだし、日常生活には困ってないのでそのままにしてる。
今日は楽しい集まりの後、御堂筋のイルミネーションがきれいで、地下鉄に乗らずにぶらぶらと歩いたけど、
キラキラとデコレーションされずっと先まで続く銀杏の木を眺めながら、何度か泣いた。
長く付き合った人にもそんな話はしなかった。自分のことしか考えられない人だったから。
別れてから、なんや小さい女の子やってんな、知らんかった、
小さい女の子にこんなに無理させてしまったな、と言われたのだった。
次に誰かと付き合う時は最初に、自分は小さい女の子になんだと言おう。
異常に我慢強いだけで、未熟でバカでむやみに傷つく、小さい女の子だと言おう。
50歳をはるかにすぎても、まだこんな感じよ、って思春期のわたしに言ったら驚いただろうなぁ。
10代の弱々なところは、今も弱々なままだわ。

その人は、わたしのことを心配してくれたことがなかったけど、
わたしは今もその人のことを心配しているし、これからもずっと心配してる。
夜中の御堂筋をぶらぶら歩きながらわたしのことを心配したことのない人のことを心配している。
そんな小さい女の子はいないな。これは年相応の大人だね。


電車に乗って、帰って猫と仲良く寝よう。
自分が頭を撫でてほしい時には猫の頭を撫でる。
自分は共感性がすごく高いので、これで大体間に合う。


デュオリンゴのフランス語と韓国語をやってて(主にフランス語)、
やる気はなかった英語を何気なくやってみると、どのレベルに飛び級したらいいのかわからん。
とりあえずセクション7まで来たけどまだいける。8より先もあるの?(フランス語は2くらいからやってます)
選択問題は間違えないんだけど、冠詞とスペリングの間違いが激しい(^_^;)


息子は出張でアメリカにいたと思ったらそのまま休暇を取って台湾にいたり
縦横に地球を動くけど、わたしは九州の田舎に1泊行くだけで、遠足前夜のように眠れない。
どこでも一人で行けると思うけど息子のように気楽に気軽には行けなくて、
気持ちの余裕に蓄えがいる。

息子はわたしよりひと世代分以上進化してると思う。良かったな。
わたしはわたしの異常な親からひとりで3世代分頑張って世の中に追いついた。
マイナスからゼロくらいまで頑張った。息子はマイナスから這い上がる必要はない。
普通の地面から重荷なしで、どんどん先に進むといい。


水俣に行ってきたのだけど、「苦海浄土」の読書会のことからカライモブックスのことまで、
色々と書きたいことが多いなーよい修学旅行だった。


旅行は楽しいけど、帰宅後の家の時間がまた何よりいいな。
コーヒーを淹れて、猫を撫でて、掃除しなきゃなぁとか思いながら先延ばしにして、
完全にリラックスしている日常。猫もわたしもどこも痛くなくて。しあわせ。


週末だし肉の日なので、久しぶりにお肉を焼くぞ〜。
毎月29日はお肉3割引の肉屋さんがあるのです。半額のもあった!高い肉買ったった!

肉美味しかった



映画を見たかったけど約束があったので掃除など家のことをして半日すごした。
掃除機をかけるとすごい呪詛の唸りをする猫にあやまりながら頑張った。


普通に気を遣う相手というのは怖い人や厳しい人で、
怒らせないように気を悪くしないように気をつけるけど、
でも全然気をつかわなくていい人にも気を遣ってしまう。
傷つけないように、というところで。
結局いつまでたっても全方位におどおどと生きるのをやめられないのか。

加害者にも被害者にもなりたくないと思うと、引きこもるしかない。
引きこもるのが苦じゃないので困る。


以前、本当に弱ってる時に、なんとかして映画館に行っても、
コンサート行ってもどこでもすぐに寝てしまって苦労した。常に怠くて常に眠かった。
眠いし文字の意味がわからなくなって本も読めなかった。
心がだいぶ疲れ切っていたのだと思う。ずっと項垂れていたのだろう。
今、映画を3本ハシゴしても全部ちゃんと見れる。眠くならない。すごい回復したよね。
すごいな。(自画自賛)


昨日、最寄駅にプロンプトンがいた。いや、ブロンプトン乗りの人がいた。笑
声かけたいのを眠かったし我慢したけど、話しかければよかったかな。


暑くも寒くもなく、永遠に歩けそうな夜だね。
そんな夜に散歩ばかりしたのを思い出す。

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