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「精神分析・哲学・美術からの問いかけ」の講演会の続き。

2013年01月06日 22時22分51秒 | 美術・工芸・デザイン・建築
マルクス、ニーチェ、フロイトの哲学の影響を受けた現代美術は、次の3つの流れに分かれるという。
即ち
生(なま)の芸術    アールブリュット  ソバージュ  メルロポンティやレヴィストロースらが注目した。
純粋芸術    ミニマル フォルマリズム
不純芸術    デュシャン等

生について
精神分析は、翻訳でしか理解できない。
記憶の本質は分からない。:特にトラウマ体験では歪曲変形が入り嘘が入るため、元の形は不明で、痕跡を通じて生(なま)に迫る。
生(なま)の芸術は、解釈すればする程もつれる。
本当の無意識は復元不可能。
意識の存在のため自分を「かいしゅう」できない。
セレンディピティ(わずかな兆候から本質・実態を知る:例真贋鑑定や精神分析等)の知力が精神分析にある。
それでも、生(なま)に迫るほど加工・圧縮・歪曲・誇張が入り込む。

20世紀美術は自己同一性を解体しているという。
表現は、純粋と不純に別れ、純粋はミニマルであり人格喪失といえる。不純は何でもありで多重人格といえる。
人は、ユニット的存在(均質的・ミニマル)とかけがいのない個性を持った個人(個性的・ユニーク・無限に増殖)がある。
人間に関しては、この二つの問題が常に存在する。
群衆には、人格喪失への誘惑(埋没)や、自己喪失(エクスタシー)存在する。

20世紀の巨匠は顔に拘泥した。
キリコ(顔の消滅)、ベーコン(顔が歪む)、キリコ(顔がない)、アンリ・ルソー(ステレオタイプの顔)、ウォーホール(プリント化されたスターの顔)
顔は造形を見るのではなく、想像することが芸術に関係しているのではないか。


建畠氏の話は、草間彌生の作品を中心に話されたが、映像に気をとられ、メモを取っていなかった。


(上記講演会の概要は、私用に参考程度にメモしたもので、勘違いや記憶違いの多くある可能性がありますので、決して引用等はしないでください。
各講演者の持論言説については、各氏の著書を参照してください。
前半部分は「昨日記130105」参照)

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