3月20日は学位記授与式でした。久しぶりに制限なしの式典が行われました。写真は、ゼミ生からいただいた贈り物です。すてきなものをいただきました。
今年度は14名の教育学ゼミ生を卒業させました(うち1名は前期中の卒業)。今後は、教員になる人、会社員になる人、大学院で研究を続ける人と、多彩です。いつもながら、卒業論文のテーマも多彩でした。今年度卒業の皆さんの卒論テーマを列記すると、以下の通りです。
「多文化共生に向けた異文化間教育〜外国にルーツを持つ児童との共学」
「外国にルーツを持つ児童生徒への日本語指導・支援 」
「特定分野に特異な才能のある児童への教育や支援」
「「非標準家庭」の子どもにおけるペアレントクラシーの克服」
「自分を肯定できる児童を育てる道徳科授業」
「LGBTQ+の児童生徒への支援」
「インクルーシブ教育システムを目指す学級経営」
「中学校の通常学級におけるLD児への支援」
「小学校教科担任制の導入による効果と課題」
「主体的・対話的で深い学びを実現する「構造的な板書」」
「小学校におけるICT活用の現状と課題」
「地域移行時代における運動部活動の意義と課題」
「学びの共同体における校長の役割」
「スクールカウンセラーとの協働場面において見いだす教師の専門性」
上記の通り、今年度のゼミ生たちは、児童生徒の多様性(外国ルーツ、ギフテッド、「非標準家庭」の子ども、自己肯定感の低い子ども、LGBTQ+、発達障害)に応じた教育・支援の在り方や、単独の教科指導にとどまらない教師・管理職の仕事の多様性(多文化共生・異文化間教育、メリトクラシー・ペアレントクラシー社会の学校、インクルーシブな学級経営、小学校教科担任制、板書、ICT活用、部活動、学びの共同体、他職種との協働)をとらえようとするテーマで卒論執筆に取り組んでくれました。これらは必ずしも私が誘導したわけではなく、私は学生たちの興味関心を学術的・実践的・政策的な用語に置き換える手伝いをした結果です。10年間、広島文教大で卒論指導をしてきましたが、教科教育学や心理学ではなく、教育学ゼミに入ってきた学生たちの選ぶテーマには似たような傾向があったように思います。
どこまで一般化できるかはわかりませんが、地方中小私立大(教育系学部学科)における教育学の役割は、このようなテーマで卒論を書けるようにしてやるところにあるのかもしれません。すなわち、教師志望者や教育関係に関心のある学生たちが、幼児児童生徒の多様性を深く理解して、適切な手立てを計画することができるように手助けすることです。また、単独の教科指導や子どもとの二者関係にとどまらない学校教育の実践をとらえ、それらの仕組みや理論を分析して課題を見出していくようにしていきます。学生は自分の興味関心にしたがって単独のテーマに取り組んでいきますが、ゼミ生同士の研究交流を積極的に行うことで、お互いのテーマや研究に触れて視野を広げ、考察を深めていきます。こうして、教育学は、子どもの多様性や学校教育を広く・深く理解し、子どもや教職・職場を深く考察して、課題を見出し、その解決策を資料に基づいて案出する知識・技能を身に付けることに資することができます。
このような教育学の役割を果たすためには、ゼミ指導にあたる大学教員、とくに教職課程担当教員自身の教育学的教養が重要です。教育学ゼミを担当する教員は、おおよそ研究大学で教育学の下位領域を専門的に修めた研究系教員か、自身の現職経験によって教師の仕事を実際的に教えていく実務家教員であろうと思います。私は前者でしたが、特定の領域の専門家であると同時に、複数の領域にも理解をもった「教育学者」としての仕事が求められてきました。大学教育に関わるようになって16年、長い時間をかけて「教育学者」として自らを鍛えてきました。その際、もちろん自分の修めた専門領域はとても役立ちました。私の場合は日本教育史を専門領域としましたが、その歴史的視点・考え方は学生たちの興味関心に応じる糸口になりました。
大学院で専門的に修めてきた限られた専門領域はとても大事です。しかし、それのみでは教育学の卒論指導を行う教職課程担当教員という役割は十分に果たせません。教職課程担当教員を育てるには、この広い幅のある教育学的教養をどうとらえ、専門領域をもつ大学院生を対象に、広い教育学的教養を論文指導が可能な域までいかに育てるかというところにあると思います。広い教育学的教養を養うには、教育学の複数の領域の専門家が協働する必要があります。そういう教育をするためには、複数の領域の教育学者を集め、教職課程担当教員を育てる目的のもとに編成された一つの教育課程をもつ組織が必要です。こういった組織・課程をもてる大学はそうそうないので、もしその可能性のある大学があるとしたらそれはとても貴重です。
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