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教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

教職の意義等に関する科目について

2012年07月01日 23時20分21秒 | 教育研究メモ

 平成24年も半年が過ぎてしまいました。早い…

 今週に入ってから急に忙しくなりました。
 年度初めに免除されたはずの仕事の束が、諸事情により、まとめて返ってきました。せめて切りのいいところまででも、責任もって仕事して欲しいものです。おかげで昨年度までの仕事量の1.1倍くらいになってしまいました。今年度は研究関連の用事が増えているので、ちょっとシンドイ状況になっています。

 先週末、F大学へ行って来ました。近い先輩後輩を集めて、日本の教育学に関する研究会が開かれました。中国四国教育学会のラウンドテーブルを企画しようか、という案が出ていましたが、メンバーの時間が合わず、今回は参加見合わせとなりました。
 とはいえ、活発な議論と情報交換が行われ、非常に濃厚・有意義な研究会でした。私はというと、「広島大学教育学講座の変遷―今後の研究の足がかりとして」と題して発表しました。2000年までの広大教育学講座の基本的な歴史を簡単に整理しただけでしたが、予想以上に参加者の情報交換を活発にできたので、よかったかなと思っています。

 なお、会場のF大学は大きかったです。さすが県内有数(最大?)の大学でした。教職科目の講義担当者は、200名以上のクラスをそれぞれ5クラスくらい担当されるそうです。担当者は力量ある先生方なので何とかされているようですが、大変そうでした。
 200名を超える学生に教職科目を一斉指導するという状況は、教員免許取得を広く開放するという開放制教員養成の産物だと思います。この状態では、正直、教師を育てることが本当に可能なのだろうかと疑問に思わざるを得ません。保育者になるぞ!と意気込んで入って来た目的養成学科の学生120名ですら、意識が低くて手に余る者が出てきます。ましてや、目的養成でない学部・学科の学生数百人の中に、どれほど意識の高い者が含まれていることか。「教員免許とれるなら取っておこう」程度の意識でいる学生が何人(いや数十・数百人?)いることやら…。担当教員のご苦労のほどが思いやられます。
 意識の低い学生には、懇切丁寧な個別指導が必要になります。私や私の同僚たちは、毎年毎年、定員120名中に含まれる数人の意識の低い学生に対して、かなり大変な思いをして個別指導し、何とか資格・免許取得の可能なレベルまで引き上げています(もちろん、残念ながら、それでもどうにもならない場合もあります…)。我々のように数人ならまだ何とかなりますが、数十・数百人の個別指導は不可能でしょう。
 現在の制度では、気軽に教員免許取得を希望できます。教員免許取得の機会は万人に保証すべきですが、教職の質保証が求められている現在、免許は誰でも取得できるべきではないと思います。そういえば、教育職員免許法施行規則にもとづく「教職の意義等に関する科目」(「教師論」「教職概論」「保育者論」など)は、「進路選択に資する各種の機会の提供等」をその内容として含む科目として位置づけられています。この科目においては、教師となる意識を高める工夫をすると同時に、あまりに教職にふさわしくない者には確実に「NO」を出す必要があるのかもしれません。
 私は、教育学そのものは、教職教養としてだけでなく、国民教養としても重要だと思っています(参考:2010.2.1記事)。しかし、教職の意義等に関する科目については別です。学生が納得する「NO」をどのように出すのか。担当学生数が多すぎると、きめ細かい指導・評価は難しいのですが、担当教員の工夫のしどころの一つはここにあるのかもしれません。

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